幽霊と妖精では天と地ほどの違いがある。単純に書き間違えたにしては何度も出てくるし、私が公務に出ず幽霊と揶揄されているのは正直かなり有名な話だった。それを隣国とはいえ公爵令息が知らないだなんてことはないだろう。余程のバカじゃない限り。
「もちろんこの婚約を前向きに考えているわけではありませんが……それでも、もしこの結婚が国の、そしてお父様の役に立つならと思っているんです」
それっぽいことを口にしながら父の方を上目遣いで見つめる。もちろんその直前には目をかっぴらいて乾かし、涙を強制的に滲ませることも忘れない。
「ですが、直接お会いしなければ相手方の真意はわかりません。本当は害意があるのかもしれませんし……一度私に直接確かめに行かせてはいただけませんか?」
「確かめに、だと?」
「はい。出来ればリンディ国の王女としてではなく他の貴族令嬢……いえ、平民で構いません。短期留学という形で、この目で直接確かめたいんです! この結婚の、有用性について!」
(だって接待とかは面倒くさいもの。それに)
相手が何を思って幽霊姫の私に婚約を申し込んだのかも気になるし、どこをどう間違って幽霊姫が妖精姫になったのかも気になる。私のことが隣国全体で妖精姫と話題なのか、それともこの婚約を申し込んで来た彼だけが私を妖精姫だと思い込んでいるのか、そのあたりもついでに調べたい。だがもし私がエーヴァファリン本人として隣国へ行けば、王族として出迎えられ王族としての行動を求められるだろう。そうなれば自由に動けず、私の〝気になる〟が解消されないかもしれない。
(だから絶対王族としては行きたくないわ!)
私のそんな本心をどう解釈したのか「エヴァが自分の力で国の役に立とうと……!」なんて涙を滲ませた父が指先で涙を拭いながら大きく頷いた。
「わかった。エヴァの望むようにしよう。だが絶対オスキャルの側から離れないようにな」
「シャァッ!」
「エヴァ?」
「あ、いいえ、その……はい、もちろんです。お父様、ありがとうございます」
にこりと笑みを作った私は、うっかりボロが出ないうちに、と慌てて立ち上がりお辞儀をする。そしてそのままそそくさと父の執務室から退散した。
扉の外では、私が入室した時と同じ場所でオスキャルが待ってくれていたのだが、入室時より顔色が悪くなっている。そのあまりの顔色の悪さに思わず目を剥くが、「ちゃんと弁解はしてくれましたよね?」という彼の言葉を聞き、その顔色の理由が自身のドレスのせいだと思い出した。
(お父様からは大した反応、貰えなかったのよね)
確かに私の姿を見た瞬間目を見開いた父だが、オスキャルの呻き声で真相を察したのか特別なにも言及はされなかった。「上手くやっているようで安心した」と言われただけである。そのことを教え安心させるか、朝の仕返しにもう少しからかうかを迷った私だったが、流石にこんなに顔を青くしてしまったのだ。私の大事な護衛騎士をこれ以上オモチャにするのはやめることにした。何故なら彼にはこれからエトホーフトへの留学という時間外労働を強いることになるからである。ごめん。
「大丈夫よ、安心したと言われただけだから」
「え、娘にちょっかいかけられやがって、とか言われませんでした?」
「おかしいわね。この場合私がちょっかいかけられた側であるべきでしょう」
「権力圧に屈するなんて騎士としてあるまじき行いだ、とかも言われてません?」
「おかしすぎるわね。それだと私が権力で貴方に圧力をかけているみたいじゃない」
「かけてますよね」
「かけてないわよ」
オーラで平然と王女の攻撃を弾き返すような騎士に、私程度の圧力で効果があるわけないだろう。心外だ。
オスキャルの言い分にムスッとし口を結んだ私だが、すぐに諦めてため息を吐いた。彼には後で時間外労働という……以下略。
そんな不毛な言い合いをしつつ、結局最後まで意見のすり合わせはできなかったものの、なんとか私室へ戻って来た私たち。
当たり前のように扉の前で頭を下げ、部屋の外で待機しようとするオスキャルの腕を引いて私室の中へと誘導する。そのことに驚いたオスキャルが一気に頬を赤らめ、私はそんな彼を見て首を傾げた。彼にとって私の部屋なんて珍しくもないだろう。
「どうしたのよ、いつも入って来てるじゃない」
「そのドレスで誤解を招く言い方しないで貰えます!? そろそろ物理的に首が飛びそうなんで!」
「あら。冗談が上手いわね」
「事実ですけど!?」
だが、実際彼はいつも私の脱走を止めるべく、無断で私室の扉を開け毎朝ドシドシと入って来ているのだ。あまりに今更すぎる。そんな考えが顔に出ていたのか、ハァ、とオスキャルが項垂れた。
「なによ。こんなの毎朝のことじゃない」
「毎朝脱走を試みていることを当たり前にしないでください。あと、私室に入ったとしてもエヴァ様は脱走して部屋にはいなんだから、いつもは俺ひとりなんですよ」