「王族……っていうか、ご令嬢って何度も着替えなくちゃいけないの大変そうだよなぁ」
そんな感想を零しながらエヴァ様を私室へと送った俺は、今度はその足で厨房へと向かう。さっきメイドに言伝を頼んでおいたバスケットがそろそろ出来上がる頃だった。朝は脱走の攻防劇を繰り広げた俺たちだが、昼はあくまでも休戦である。着替えのための侍女たちもエヴァ様の側についていて逃げる隙がないのかもしれないが、不思議と彼女が昼に脱走を試みたことは無いのだ。
その理由に首を傾げつつ、厨房担当の使用人から大きめのバスケットを受け取った俺が再びエヴァ様の私室へと向かい、今度は扉をノックする。
「さ! 行くわよオスキャル!」
どうやら俺が戻ってくるのを待っていたらしいエヴァ様が、さっきまでとは違いレモンイエローのシンプルなデイドレスを纏って部屋の外に飛び出した。そして俺の側にピタッと寄り添う。まぁ、目当ては俺ではなく俺の持っているバスケットなのだが。
「ッ!」
「ふふっ、今日のお昼は何かしら。私今日はビスケットと生ハムが食べたい気分なんだけど」
にこにことしながら俺が腕に抱えたバスケットを覗き込もうとするエヴァ様から顔を背けつつ、内容は聞いていません、と素っ気なく答える。激しく鼓動が鳴っているが、表に出すわけにはいかない。けど、彼女が目の前をぴょこぴょこと動く度にどうしてか花の香りがふわりと鼻をくすぐり、全く落ち着かない――が、それももちろん表に出すなんて出来るわけないので全力で押し隠した。
離れの裏にある小さな東屋までやってくると、嬉しそうに座ったエヴァ様の前にバスケットを置く。今日の軽食は残念ながらエヴァ様の希望のビスケットではなかったが、新鮮な野菜と彼女が食べたいと言っていた生ハムも入ったサンドイッチだった。ビスケットでなかったが、そのことに駄々を捏ねるなんてせず早速ひとつ取り出しすぐにかぶりつく。
「まだ準備中ですが」
「いいから早くオスキャルも食べなさい。こういうのはかぶりついてナンボなの」
外聞なんて気にもせず豪快にかぶりつく彼女に小さく吹き出した俺は、本来主君と同じテーブルにつくなんて許されないと理解しつつも彼女の向かいに腰かけてサンドイッチを頬張った。さっぱりとした味付けのサンドイッチは何個でも食べられそうである。
(すっかりこれが当たり前になっちゃったよなぁ)
軽口のようなやりとりに、主従なんて無視した会話。本来許されないが、一緒に昼食を取るのだっていつの間にか当たり前の日常になっていた。きっと俺の主君が彼女じゃなければきっと今俺は絶対座って昼食なんて取っていないだろう。それは、エヴァ様が変わり者で特別に許されているからというだけではなく、俺の気持ち的なものが大きかった。
他の誰に仕え、その主君がどれだけ「一緒に」と言ってきても頷くつもりはないからだ。
『オスキャル・スワルドン。私は貴方を選びます』
そう凛とした声で指名されたあの任命式。彼女は俺だけを射貫くようにまっすぐ見ていた。
その瞬間、幼い頃の映像が駆け抜けたような錯覚と、自然と頭を下げたくなる神々しさを感じた俺は、どうしてだろうか。何故か泣きたくなったのだった。
――忘れたことなど一度もない。
彼女は俺の特別だから。
「オスキャル、どうかした?」
「あ、いや。エヴァ様が脱走しないよう、逃げ道をどう塞ぐか考えてました」
「最悪なこと考えてるわね!?」
うっかり考え込んでいた俺は、また適当なことを口にしてその場を流す。相変わらずエヴァ様は俺の言葉にキャンキャンと文句を言っていた。だが俺は、この文句が口先だけのもので、こういったやり取りを嫌っていないと知っている。
(エヴァ様が昼に脱走を試みないのは、この昼食の時間を楽しみにしてくれているから――なんてのは流石に俺の自惚れかな)
ソードマスターは魔力による身体強化で圧倒的な力を持っている。ひとりで一個小隊を凌駕するとも言われるその強さゆえ、俺たちソードマスターは〝外へ出ること〟が禁止されていた。国家のパワーバランスが崩れるからだ。もちろん旅行などが出来ないということではなく、場合によっては他国へ何年間も出向くことだってある。出られない、というのはあくまでも所属の話だ。
国を超えて所属を変えることは許可されず、必ずこの土地に根付くよう婚姻を結ぶ相手も同国の人間と定められているほど。それは魔力が血に宿るとされているからで、ソードマスターになれるだけの魔力量と、その魔力を操る能力も遺伝すると言われているからだった。
(ソードマスターになれる器かもしれない子供も、この国に根付かせるため……ね)
だから、俺はいつかこの国の誰かと結婚をするのだろう。
そしてエヴァ様は、この国の末の姫としていつか国のために結婚することが決まっている。他でもない彼女自身がそう言っていたし、いつどこへ嫁ぐ覚悟もしているとも言っていた。王族の結婚ならば、他国へ嫁ぐのが一般的だ。王太子であれば国内の有力貴族との婚姻をするだろうが、国同士のいざこざを起こさないためにも他の王子・王女は他国との婚姻を結ぶ。国同士の契約というやつだろう。
「だから、その日が来るまでは」
「何か言った?」
口に出しているつもりは無かったが、どうやら口に出ていたらしい。不思議そうな顔をした彼女に、なるべく平静な表情を作って向ける。
「さぁ。檻の頑丈さについて考えはしてましたが」
「ほんっとさっきから何でそんな最悪なことばかり考えてるのよ!?」
俺の言葉に顔色を悪くした彼女を見て思わず吹き出すと、エヴァ様がぷくっと頬を膨らませていた。
どうか、その日が来るまでは。
もう少しだけ、貴女の側で。