「というか、どうしてこんなに鏡が埋め込まれてるのよ。まるでオスキャルが蜜を求めて花々を移るミツバチみたいになっちゃったじゃない」
ひとしきり笑った私がそんな疑問を投げかけると、一瞬きょとんとしたローザが一際楽しそうに口角を上げた。
「あら。そんなの私の美しい顔をずっと眺めていたいからよ」
「わぁお。オスキャルと違って本物じゃない」
まさか壁に埋められた鏡の数々が、いつでもどこでも自分の顔を確認したいからだったとは。
オスキャルのコレはあくまでも惚れ薬の効果だが、どうやら彼女は本物のナルシストだったらしい。とはいえローザは彼女自身が言っていたように薔薇のような真っ赤な髪が美しい妖艶な女性で、ある意味納得ではあるのだが。
だが、話はそれで終わらなかった。
「どうかしら」
「? あら。魔女様にしては少し歯切れが悪いんじゃない?」
「ふふふ。実はね、私も飲んじゃったの、魔女の秘薬を。試作品だったからって自身で試すものじゃないわね。あ、もちろん私は私という最高に愛する人と出会えて後悔なんかしていないわよ」
「……え?」
告げられた言葉が理解できず顔が引きつる。
どういうこと? 彼女も飲んでいた? 魔女の秘薬、つまりは惚れ薬を?
「それは、いつ?」
質問を口にした声が震える。乾いた喉が張り付いてしまったようだった。
「うーん、いつだったかしら。この家を建てるずっと前のことなのは確かよ、だから私はこの家の至る所に鏡を埋めたの。好きな人の顔はずっと眺めていたいでしょう?」
さっきまで気楽に笑っていた私からもう笑いは消え、胸の奥が重くなった。
どういうことだ。彼女がずっと前に惚れ薬を飲み、その結果、家の至る所に鏡を埋めるくらいの状況になっているのなら、この惚れ薬の効果は切れないということなの?
魔女の秘薬の効果が『絶対』だったことを今更ながらに実感する。『絶大』な効果ではなく、『絶対』だ。それは彼の全てを薬で書き換えるほどの効力ということなのだろう。
「あら、怖い顔しないで? 私の次に可愛らしい顔の子猫ちゃん。考えてみて、自分を一番好きだということは何も悪いことじゃないわ」
「何も悪いことじゃ、ない?」
愕然としながら彼女の言葉を繰り返す。
「そうよ。今は恋に落ちたばかりであぁやって自身の姿に愛を乞うているけれど、それもすぐに落ち着くわ。確かに自分への愛が絶対になってしまった以上他の人間を愛することはできないけれど、でも他人を愛しても裏切られるかもしれない。それ比べて私は私自身を絶対に裏切らないし、与えた愛と同じだけの愛が返ってくる。自分を大事にすることが悪いことであるはずもないし、何もデメリットはないじゃない」
ローザの言葉は正しかった。他人を愛してもその愛が返ってくるとは限らない。例え両想いになれたとしても、愛の重さが違えば傷付くこともあるだろう。
けれどその相手が自分ならば、同じだけの愛を必ず手にでき、そして絶対に裏切らない味方で居続けることもできる。何よりオスキャルは命をかけて戦う騎士だ。自身の命を軽く見ているわけではないだろうが、その気高い騎士の精神で命と引き換えに誰かを、今ならば主君である私を守ることが義務付けられている。そんな彼が自身を一番に愛し自身を一番に守るなら、それは悪いことではない。私だって彼の命を犠牲にして必ず生き残りたいなんて思っておらず、万一そういった危機を迎えたならばふたりともが生き残る道を模索したと思っているから。
「それとも彼、想いが通じ合った恋人でもいるの?」
「いないわ」
「じゃあ政略的な婚約者は?」
「それも、いないと聞いているわ」
「なら何も問題はないじゃない!」
パチンと両手を叩き、嬉しそうにローザが笑う。確かにオスキャルには今恋人も婚約者もいない。
だけど、これでいいのだろうか。
ローザの説明通りなら、今のオスキャルは自身に愛を乞うているだけですぐに落ち着くという。現に以前惚れ薬を飲んだというローザは、確かにナルシスト気味ではあるがコミュニケーションに不審な点はなく、日常を送れているようだ。きっとオスキャルもすぐに元通りになる。その時の彼の心の一番がオスキャル自身に埋め尽くされているとはしても、私たちの関係には何ひとつ影響はないだろう。私たちはただの主君と護衛騎士の関係なのだ。
(そうよ、別に悪いことなんて何もないわ。むしろ考えようによっては有事の際のオスキャルの生存率が上がるってことだし、むしろいいまであるじゃない)
悪くない。むしろこれでいい。薬で作られた感情だが、それが解けずに一生ものならその想いもいつか本物になるかもしれない。何も問題なんてないと私も理解した。けど。
「と、解くにはどうしたらいいのかしら?」
鏡の中の自分に愛を囁くオスキャルを見つめながら、気付けば私はそんなことを口走っていた。
「解毒薬くらいあるでしょう? それ、欲しいのだけど」
「あら。どうして? 彼はあと十分もすれば幸せになるはずよ、唯一の愛を手に入れて」
「で、でもオスキャルは、その……可愛い恋人! 可愛い恋人を求めていたもの」
「恋した相手は見た目なんて関係なく可愛く映るものよ? それに、彼が恋人を欲しがっていたというのは子猫ちゃんがからかって言っただけでしょう?」
「ッ」
あの会話をローザはどこかで聞いていたのだろうか。だが、からかっていたという私の内の気持ちまで見抜かれているとは思わず、まさに図星を突かれた私は、その気まずさに俯いてしまう。
でもこのままは嫌だった。どうしてかはわからないけれど、彼は私自身が選んだ唯一の相手だからかもしれない。
(わからないけど)
護衛騎士の任命式。そこでオスキャルを選んだのは他でもない私だ。彼は幽霊姫になんか選ばれ可哀相なのかもしれないが、それでも私の唯一は彼だけだから。
ぎゅっと自身の手を握り込んだ私は、自分勝手だと重々承知でローザを見上げる。
「それでも私は、私のために解毒薬が欲しいわ。なんでも願いを叶えてくれる魔女よ、お願い。私の願いは彼が元に戻ることよ」
「ふぅん、そうね。私は恋の魔女だけど、願われてしまったなら仕方ないわね」
いつか彼が自身の唯一を見つけるのだとしても、それは薬で本物にされた感情ではなく彼の本心で決めて欲しいから。
私の決意が伝わったのか、「それに幸せのカタチは人それぞれだものね」なんてフッと息を吐きながら言ったローザが玄関を指さした。
「解毒薬は存在するけれど、材料が足りないの。すべてこの森の中にあるから頑張ってね」
そう言ったローザから材料の図解書を貰い、私は相変わらず鏡の中の自分へうっとりとしているオスキャルをチラリと見てから外に出たのだった。