――忘れないで。
貴方は私が選んだ唯一よ。
◇◇◇
魔力、と呼ばれる力がある。
平民にはほぼなく、貴族ならば半々。王族ならば全員が持っているという、尊い力。
いわゆる物語の中で魔法と呼ばれるような超常的な奇跡こそ起こせないが、身体能力を向上させるなどができ、訓練し自在に操れるようになればそれなりに素晴らしい力である。特に魔力を自在に操れる騎士はソードマスターと呼ばれ、騎士爵も与えられる。騎士ならば誰もが目指すというソードマスターだが、ソードマスターになるには魔力を持っているだけではなく、かなり厳しい訓練をこなさなければならない。それでも魔力を自在に扱えるようになるのは極一部なのだが。
それゆえにソードマスターの称号を持つ騎士はこのリンディ王国の中でも十人ほどしかおらず、誰しもの憧れだった。
とは言え、魔力があるというだけで自身の血が尊いのだと証明されるので、たとえソードマスターになれなかったとしても、結婚相手に困るようなことはない。もちろん騎士じゃなくても、魔力がある人間はそれだけで引っ張りだこなのだ。
「ちょっ、簡単に私のこと見つけないでくれるかしら!? オスキャル!」
こそこそと二階の私室から抜け出し、窓を伝って一階南の貴賓室へ降りた私は、バルコニーから手すりを乗り越え外に出る。その先にある生垣の右下、植え直しのための僅かな穴から王城の外へと出ようと画策していた私は、完全に撒いたつもりでいた自身の護衛騎士にがっちりと腕を掴まれ拘束された。
「俺は子守がしたくてソードマスターになったんじゃないのにッ」
頭から穴へ飛び込んだ私を引きずり出しながら、護衛騎士のオスキャルがわざとらしい声で嘆くが、しっかりソードマスターたる所以でもある魔力を体に纏っておこなう身体強化、いわゆるオーラを使って私を捕まえている。こちとら何も力を持たない女なのに、彼のこの絶対に逃がさないという気概を感じげんなりした。本当に容赦ない男である。
「ちょっと。一国の姫を捕まえて子守だなんて酷いじゃない! あとオーラを纏うのは大人げないわよっ」
「一国の姫という自覚があるなら、こんな穴から脱走しないでください。エヴァ様!」
文字通り私を捕まえキィキィと喚く濃い茶色の髪を持つその護衛騎士は、藍色の瞳をグッと細めて大きなため息を吐いた。
掴まれている腕は決して痛くないよう力加減をしてくれているようだが、さすが我が国の最年少ソードマスター、オスキャル・スワルドンだ。拘束から逃れようと腕に力を入れるがびくともしない。それに私の腕を掴んでいる手の甲をつねっても無反応で、オーラで鎧のように自身の体を強化する技も使っているのだろう。才能と技術の無駄遣いである。
「いいじゃない、ちょっとくらい! だって私は悲劇の姫君、エーヴァファリン・リンディなんだから」
「全く理由になってませんし、護衛騎士である俺がつっこみにくいことを堂々と言わないで貰えますかね!?」
「あら。貴方も笑いたかったら笑えばいいのよ。事実に基づいた冗談なんだから」
「笑えねぇぇ!」
ふふん、と鼻を鳴らしてそう言うと、私を拘束したままオスキャルが天を仰いだ。残念ながら私の腕を掴む手は捨て身の冗談を言っても緩まなかったが。
――悲劇の末姫、エーヴァファリン・リンディ。
淡いピンクの髪にアメジストのような紫の瞳はまさに王族特有の色。けれど王族ならば必ず持って生まれるという魔力を、残念ながら私は持っていなかった。
悲劇、と言われる理由はそれだけではない。
四人兄妹の末っ子である私の出産時に、この国の王妃である母が亡くなったのだ。
姫の誕生であり、王妃の崩御。
喜ばしい日が一瞬で暗転し、国中が悲しみに暮れたと聞く。
突然母親を奪った形になる私を、兄や姉が恨まなかったことは幸いだった。それは母の愛を知ることのない末の妹に対する同情なのか、それとも魔力を持たずに生まれた王族への憐れみなのか。
「魔力がない王族なんて、笑われて当然だわ」
(王族特有の色を持って生まれなければ、きっと出生すら怪しまれたはずだもの)
魔力を持たなかったことと関係しているのかはわからないが、人より体の弱かった私はいつも大事な日に熱を出し表舞台へ立つことが出来ないまま幼少期を過ごした。
家族は寝込んでばかりの私でも可愛がってくれたが、王族が人前にも出ずに引きこもってばかりというのは外聞が悪い。それも王妃の命と引き換えに生まれた末姫ならば尚更だった。
人並みに体力がついた頃には、その姿を誰も知らない忘れられた亡霊という揶揄を込めて『幽霊姫』だなんてあだ名で呼ばれるようになっており、それは十九歳になった今でも継続し蔑まれている。
「エヴァ様……」
「そんな顔しないで、オスキャル。貴方はいつものように私を見逃してくれればいいの。さぁ、離して?」
「職務放棄した記憶はありません」
「ちょっとくらいいいじゃないっ! 離してぇ! 新作スイーツを堪能したらすぐ帰ってくるからぁ!」
「どれだけ騒いでも絆されませんよ! すぐ帰るなら出かけずに今帰るんです! スイーツは王城のシェフに頼みましょう!」
「だって私、幽霊姫なのよ!? 誰も私の顔を知らないの! 外へ遊びに行き放題じゃない!」
「そのあだ名を払拭する努力をして貰えますかねッ」
「おふたりさん、そろそろその穴、埋めていいですかねぇ……」
そうやって相変わらずきゃいきゃいと騒ぐ私たちを、植え直す予定で持った来た鉢を抱えた庭師が呆れたように眺めていた。
――これは、幽霊姫と呼ばれる悲劇の末姫と、そんな彼女に振り回されるちょっぴり不憫な護衛騎士のハチャメチャな日常の軌跡である。