さて、ヴェルヴェディア公爵家では親族揃ってナディスの新たな嫁ぎ探しに奔走していた。
とはいえ、ナディス自身とても優秀であることに始まり、短期間とはいえ王太子妃候補としての勉強と、公爵家当主の勉強を両立させたほどの才女なのである。
この国にいる限り、ミハエルを筆頭に王家がナディスにちょっかいをかけてくることには変わりない。
であれば、どうするべきなのか。
いっそ、他国にナディスを嫁がせた方が良いのでは、という意見がぽろっと出た。
「……へ?」
思わず、ガイアスは目を丸くした。
「い、いや。あの、ナディスが邪魔とかそういうわけではない、と理解はしていてくれ!」
「そうですわ! できればナディスちゃんが女公爵になることが一番良い、というのは我ら分家の総意でもございますの! けれど……ねぇ……」
親戚の夫人が困ったように呟いた言葉。
言わずもがな、ミハエルのことである。
「まさか殿下が……」
「けれど、ナディスちゃんにそこまで執着いたします?」
うんうんと唸っている親戚一同(分家も何もかも含む)が、思わず頭を抱える。
分家、本家問わず、ナディスが恋愛馬鹿だというのはとてもとても広く知られていることなのだ。そのナディスの好みの顔は、まさにミハエルの顔なのだが、ナディスが見向きもしていない。
だから、分家筋の代表はこう告げる。
「ナディスちゃんの妄想という可能性は……」
「……まぁ、それは我々も思った」
「あら」
「まぁ」
ガイアスも、ターシャも、神妙な顔で苦い顔をしている。
ナディスがもっと幼いころに、使用人で大好きな青年がいたのだが、その人に対しての執着心の強さをはじめとした、諸々の行動を知っているからこそ、ナディス本人が言うことを全て真に受けて良いのか、というのが分家の人たちの意見の一つでもあるのだ。
「だが……」
「事実ですわ」
ターシャが苦い顔をしたまま取り出した、一通の手紙。
封をしているものを見れば、見慣れた王家の封蠟がそこにあった。
「え……」
それを見た面々に、わっとどよめきが走った。
「それって、本物です……?」
ナディスを可愛がってくれている、分家の夫人が恐る恐る問いかければ、ターシャは苦い顔のままで頷いた。
あのターシャが頷いていて、しかも封蝋が王家のもの。とはいえ、中身が同化まではわからない……とその場にいる全員が思っていたのだが、おもむろに手紙を取り出して広げ、ぽつりぽつりと読み始める。
その内容を聞いた面々は、思わず硬直してしまった。まさかあのミハエルが、そこまで熱烈なラブレターを書いてくるとは思わなかった、どうしてミハエルからなのか分かったのか?
理由は簡単。手紙の中でしっかりと名乗っていたから。いやでもターシャが書かれていないものを読んでいるのでは、とも考えたが、『はいこれ中身ご確認くださいまし』と見せてきたものだから、全員が信じざるを得なかった。
「……うわ……」
これが王家の人間の書く手紙なのか、と疑いたくなるようなほどの馬鹿丸出しの手紙は、色んな意味でメンタルに来る。
若干顔色が悪くなっている先代ヴェルヴェディア公爵であるナディスの祖父・カーライルは大きなため息を吐いてから、深く椅子の背もたれに体を預けた。
「このような馬鹿に、可愛い孫を嫁がせるわけにはいかん。各自、伝手を使ってナディスをあの馬鹿王子から遠ざけよ」
「父上、すみません」
「いや……まさかガイアスに『ちょっと助けてくれ』と言われるとは思っておらなんだ……」
そしてとどめと言わんばかりに『これは頼るわ』と呟いたカーライルは、どこの知り合いに可愛い孫を託したものか……と考え始める。同様に、他の親類たちも、ナディスが嫁ぐならどこが良いのか、と考え始めたが、ふと、カーライルが顔を上げた。
「ガイアス、ナディスは他国に嫁いでも構わんのか」
「え?」
「そうね、自国だけでなくても良いなら……色々と伝手はありますわ!」
はて、どうしたものか、とガイアスは考える。
ナディスが幸せになることがまず第一条件ではあるが、そもそも他国に嫁ぐということは考えていなかったのだ。
「まぁ……そうですね……」
「ナディス自身は何と言っておるのだ」
ガイアスは、ナディスが何と言っていたかを思い出す。そして『他国へ嫁いでも問題ない』と本人が行っていたことを思い出す。
「そういえば……他国に行っても問題ないとか……」
ナディスらしいというか、肝が据わっているというか。
だが、どこまでも彼女は『公爵令嬢』なのだ、と思い知ることにもつながった。
家のためならば、他国に嫁ぐことすら厭わない。自国にいる限り、ろくでもないことにしかならないと、もう既に察している幼いナディスに敬意を表して、幸せになれそうな嫁ぎ先を一族総出で探すことにしたのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「まぁ……おじいさまたちまで巻き込んで」
「協力してくれ、と確かに言ったが、まさかここまでの全面協力が得られるだなんて思っていなかったんだ」
「一応、見るだけ見てみない?」
ね、とターシャがナディスに問う。
問われたナディスは、ツテヴウェをよしよしと撫でながら、どうしたものかと悩んでしまった。
<見るだけ見てみろよ>
「……」
ツテヴウェを撫でる手を一度止め、ターシャが差し出してくれている釣り書きを受け取るナディス。そしてそれを開いて、眉間にしわが寄った。
<おい、ナディス?>
わなわなと震え始めたナディスを見て、ターシャもガイアスも、これが失敗だったのでは……!?と焦ってしまったが、ツテヴウェすら予想していなかったほどに、ナディスが目をキラキラさせながら一度釣り書きから顔を上げた。
「お父さま、お母さま、わたくし是非ともこの方にお会いしたいです!」
「まぁ、本当!?」
「はい!! できることなら今すぐにでも!!」
目をキラキラさせているナディスの様子を伺っていたツテヴウェは、器用にナディスの手から抜け出して、その釣り書きを見る。
<あー……>
ナディスがここまで目をキラキラさせるのには、一つの理由があったのだ。
<そりゃまあ……お前ならこれ、受けるよな>
「(お黙り)」
<あいて>
呟いているツテヴウェの頭をぺち、と軽く叩いてからナディスは改めて両親へと視線をやった。
「ねぇ、お父さま、お願い!」
「そこまで言うなら、おじいさまにもナディスからお願いすると良い。これはそもそも、おじいさまが探して持ってきてくれたんだからね、お礼も忘れちゃいけないよ?」
「はい!」
ああ楽しみ! と今にも踊りだしそうなほど上機嫌になっているナディスを見て、こっそりとターシャだけが頭を押さえていたことに、ツテヴウェは早々に気付いていた。
<……ニンゲンの本質は、変わらないねぇ>
そして、心底楽しそうに呟いて、ナディスの腕から抜け出して、頭によじ登って、額を器用に前足でぺち、と叩く。
「まぁ、ラヴェちゃん痛いわ」
「にゃあ!」
「ふふ、ヤキモチ? 大丈夫よ、わたくしあなたが一番大好きだから」
器用にツテヴウェを抱き締めなおしたナディスは、両親に深く頭を下げた。
「わたくし、これからおじいさまにお礼のお手紙を書いてまいりますわ」
「ええ、それが良いわね」
「早めに送りなさい、おじいさまも喜ぶから」
それでは失礼します、とナディスはその部屋から退出した。
スキップでもしそうなくらいに軽やかな足取りのナディスを見送ったターシャは、こっそりとため息を吐いてしまった。
ナディスが喜んだ理由はひとえに、その釣り書きに一緒に同封されていたお相手の顔面偏差値がとんでもなく高かったから――というただ一点だけなのを、気付いているのは今はターシャだけなのであった。