ナディスが帰宅許可をしれっと取って帰宅した後、王宮で、というか王妃とロベリアの間で嵐が吹き荒れていた。
かなり一方的に嵐が発生している、というだけでダメージを受けているのはロベリアだけだ。
「王宮内で……それも、一方的に何も間違ったことをしていない人に対して、難癖付けるような真似をするだなんて!」
「……っ」
事実を突きつけられ、ロベリアはぐっと押し黙ってしまう。
あの言い争いを、教育係の夫人はしっかりと王妃にまで問題として取り上げたのだ、案の定、王妃はロベリアに対して凄まじい怒りをぶつけることになっている。
「貴女、王太子妃候補という自覚があるのかしら! あんな短絡的な思考回路を持っている人間を、将来の王妃にするというの!? ああもう、信じられない!」
「も、申し訳ございません……」
ロベリアはただ謝ることしかできなかったが、今は謝ることしかできない。
たった一回の過ちで、まさかここまで叱られるとは思っていなかったし、ナディスにちょっと思い知らせてやれれば良かっただけなのに、どうしてこうなったのか。
しかし、まだ自分が王太子妃筆頭候補なのだから、チャンスはある。
ぐっとロベリアは拳を握って、王妃に対して言葉を紡ごうと一歩、前に出た。
「恐れながら、王妃殿下」
「……何なの」
「私は、きちんと努力をして、王太子妃候補としてこの場におります! ナディス嬢は、公爵家当主となる可能性があるのですから、今のうちに辞退していただくことが最善だと思って……」
「努力することなんて、当たり前でしょう!?」
ロベリアの言葉を王妃は遮り、大きな声で反論する。
王太子妃候補に選ばれたのであれば、そもそも努力することは当たり前だ。将来の国母になりうる存在なのだから、努力できない人がここにいてもらっては困るのだ。
だというのに、何を言い出すのか……と王妃は呆れかえってしまった。
「……あなたねぇ……王太子妃の役割を何だと思っているの!」
更にロベリアに対して怒鳴ろうとしていた王妃だったが、不意に部屋の扉がノックされたことで、怒りが霧散してしまった。
「……はい?」
「母上、失礼いたします」
「あら、ミハエル」
ちょうどロベリアを叱り倒していたとは言えないし、ロベリア自身も今まで散々叱られていました、とも言えず、二人してぎこちない微笑みを浮かべてミハエルを迎え入れた。
「良かった、二人がいてくれて」
「……?」
はて、と王妃が不思議そうにしていると、ミハエルがどこかうっとりした様子で話し始める。
それを言葉で表すとするならば、『恋する乙女』そのもの。何となくロベリアも王妃も、そのうっとり感が恐怖にすら思えてしまっていた。
「母上、ナディス嬢はどのようにして俺の婚約者候補になったのですか?」
「どのようにして、って」
「俺のことが好きだから、ですか!?」
何言ってんだ、コイツ、と。
もし仮に、感情をでかでかと文字にできるのであれば、王妃の背後には『馬鹿かこいつは』という文字が見えたことだろう。
「ミハエル……どうしてそういう発想になったのかしら」
「ロベリア嬢とナディス嬢が、何やら揉めているのを聞いた、というか……」
「聞いていたんですか!?」
「ああ」
悪びれる様子も何もなく、ミハエルは上機嫌のままで頷く。
「その時に、ナディス嬢が、家の力を使って王太子妃候補になった……と」
王妃が、ぎぎぎ、と音が鳴りそうなほどにゆっくりと、ロベリアの方を向いた。
顔には怒りしか見えず、ロベリアはもうどうしていいのかさっぱり分からなくなっている。
「あ、の」
「そうだとすれば、俺は何て幸せ者なんだ……!」
「ちょ、ちょっとミハエル……?」
「殿下……?」
ミハエルの考えを肯定されていないのに、何故だか彼の中では『ナディスがミハエルを恋い慕い、王太子妃候補になった』というシナリオが出来上がってしまっているらしい。
決して今回に限ってはそんなことがないのに、一体ミハエルはどうしたのだろうか、とロベリアはあわあわしている。
なお、王妃に至っては『こんなにも人の話を聞かない、妄想癖のある子だったかしら!』と悲観するレベルで、ミハエルの色々を心配しているレベルだったりする。
「あのヴェルヴェディア公爵家の後ろ盾を手に入れられる可能性まであるんだ! ははっ、何て素晴らしいんだ……!」
「いやあの、ちょっと、ミハエル」
「母上、このままナディス嬢が王太子妃候補でいられるように、是非ともお願いいたします!」
「え、えぇ……」
それじゃ! と、ミハエルは言いたいことだけ言って、颯爽と部屋を出て行ってしまった。
「……ロベリア嬢」
「本当に……申し訳ございません……!!」
今回のミハエルに関しては、誰がどう聞いても、ロベリアが悪いと言うだろう。
まさか、こんなにも妄想爆発させるとは、誰しもが想像していなかった……が、ミハエルが暴走機関車レベルで一人劇場を繰り広げてしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「何ですの、これ」
<何だそれ>
「……殿下からですわね」
ミハエルから不意打ちでやってきた手紙を見て、ナディスは『うげ』と嫌悪感をあらわにした。
<ナディス、顔>
「気色悪いものなんて、誰しも見たくないでしょう? ツテヴウェ、お前、見たい?」
<えー……怖いもの見たさで?>
「はいどうぞ」
ぺい、とまるでごみを投げ捨てるかのように、ナディスは子猫の姿をしているツテヴウェに、ミハエルから届いた手紙を投げてよこした。
<へー、ニンゲンの手紙ってどんな………………>
数秒間、じっと手紙を読んだツテヴウェだったが、予想以上の内容だったらしく、にゅ、と爪を出すと、手紙に突き刺してびびびびび、と破り裂いた。
「あ、ちょっとツテヴウェ!?」
<いや、何か魅了効果のある香水……? が、振りかけられてて>
「破る前にわたくしに言いなさい! もう……燃やそうと思っていたのに」
あ、そっちなんだ、とツテヴウェは思わずナディスをまじまじ見る。
「何?」
<いやー……気持ちを代償にしたからか、本当に何とも思ってない感じか?>
「ええ」
<感情を代償に差し出した奴、お前が初めてだったから、ここまでうまくいくと思ってなかったんだよな~>
「失敗していたら、多分わたくしは持てる力全てを使ってあなたを滅ぼしていたでしょうね」
<ひょえ……>
成功して良かった、と思う反面で、あれだけの激重感情ならばここまで強い力を発揮できるのか、とツテヴウェはほくそ笑む。
しかし、それはナディスの想いがとてつもなく激重だったから、ということに加えて、本来の魔力のキャパシティも相当多かったことに起因しているだろう。
今、ツテヴウェが使える術は、相当強化されている。
ナディスの傍にいれば尚のこと、それが強く感じられるのだ。
ちなみに、ナディスを見失わないようにと彼女の腰には小さく薔薇の刻印が刻まれている。
これは、魂の回収義務のある人物なのだとすぐに見極められるように、ということに加えて、あらかじめ魔法を込めておけば、ナディスを自動的に守ってくれるという素晴らしい機能を兼ね備えているもの。
ナディスが王宮に行く時を筆頭に、ありとあらゆる事態を想定してツテヴウェは刻印に魔法をストックしておくようにしている。
<手紙の返事書くのか?>
「……さぁ、どうしてくれようかしら」
<書けよ、面白い…………って、あいて!>
面白い、と言われた瞬間、ナディスは遠慮なくツテヴウェのこめかみ付近を狙ってデコピンを繰り出した。
見事命中し、ツテヴウェは猫の体で器用に額を押さえて悶絶している。
「面白がるんじゃなくってよ!」
<だぁってー……俺らの楽しみってこんくらいなんだからな?>
「わたくしの魂をきちんと回収したいのであれば、お前自身がまずきちんとなさいな」
<ちぇー……>
だが、どうしてだろうか。
ナディスとの会話が、触れ合いが、ツテヴウェはほんの少しだけ楽しみになってきているのだ。
<(変な感じだな、これ)>
今まで人間に対して、何か特別な感情を抱くことなんてなかったはずなのにな、と思うツテヴウェは、ナディスの肩にひょいと飛び乗って、前足で頬をつついた。
「ちょっと!」
<なぁ、その王太子にいつ真実を告げる?>
「そうねぇ……」
うーん、とナディスは少しだけ考えて、そしてにっこりと満面の笑顔を浮かべてこう続けた。
「ギリギリまで告げないわ。だって、その方が……面白いでしょう?」