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第20話 二回目の初めまして

 朝食の場にて、ターシャは思いきり大きなため息を吐いて、ナディスに向き合った。


「ナディス、お母さまはあなたに謝らなきゃいけないの」

「え? お母さまが、わたくしに対して何を謝るというのですか?」


 はて、とナディスは心底不思議そうな顔で首を傾げた。ターシャがナディスに謝る必要など、どこにもありはしないというのに。

 一体何なのだろうか、と思いながら朝食で出されたとてもきれいな形のオムレツにナイフを入れれば、中身は見事な半熟。

 とろりとした中身を、行儀が悪いとは思いつつ、そっとパンにつけて一口食べると、たっぷりのバターでしっかり味付けもされているから、口の中においしさがいっぱい広がった。

 サラダも食べると、新鮮な野菜故にシャキシャキととても良い歯ごたえ。

 ナディス用に準備されたオレンジジュースを一口飲んで、次はパンにバターを塗って一口。朝食を進めていきながらナディスはターシャの言葉を待っていたが、また大きなため息を吐いた母を見て思わず食事の手が止まる。


「……お母さま、どうなさったの?」

「それがね……」


 表情を暗くしたターシャは、ナーサディアの問いかけに困ったような声音で事情を説明し始めた。


 要約するとこうである。

『王家がナディスに目を付けた』

『目を付けた理由はまず、ヴェルヴェディア公爵家令嬢だということ』

『ナディスがとても優秀な令嬢なので、是非とも王太子妃に』


「……ええと……」


 ナディスは困ったように微笑んで、一旦手にしていたナイフとフォークを置いた。

 なるほど、あの王家らしい、とナディスは心の内で苦笑いを浮かべる。あの王妃ならばこれくらいはやるだろうと思っていたが、まさか本当にやってしまったのか、とナディスは己の頬にそっと手を添えつつ戸惑い気味に言葉を紡いだ。


「でもお母さま、わたくしは……」

「ええ、一応……ナディスは我が公爵家の跡取りだということはしっかりお伝え申し上げたのだけれど……」

「けど?」

「王妃様がどうしても、って食い下がって……」

「ターシャ、つまりは例のお披露目会というか、お茶会にナディスを、ということかい?」


 そうだ、と言わんばかりにターシャは頷いた。

 これは困った、とナディスは考えたが、王家に『是非とも』と乞われているところを拒否し、一旦はほだされたふりをしつつ最終的にミハエルを捨てるというのも楽しそうである。


<ツテヴウェ、どうしようかしら?>

<復讐はお前の仕事だろう? 俺は知らん>


 離れたところでも会話ができるように、と魔法回路を少しだけいじってもらったことが良かったらしい。

 ついでに、契約関係にあるナディスとツテヴウェは、どちらかが呼びさえすれば、相手の方に飛べる、という特殊スキルまで手に入れているとのこと。

 何かあって逃げるときにも使えるが、そもそもナディスの辞書に『逃げる』などという文字は生憎と書かれていないのだが。


「……うーん……お母さまを困らせるわけにもいきませんし……一応、会いに行けばいいのでしょうか?」

「まぁ……!」

「ターシャ、ナディスのこの配慮に満ち溢れた言葉を聞いたかい!? なんて素晴らしいんだ!」


 やたらと感動している両親に、にっこりと微笑みかけて、ナディスは執事を呼んだ。


「フルーツのお代わりをくださる?」

「かしこまりました、お嬢様」


 恭しく頭を下げた執事は、給仕係にすぐ指示を出した。

 すると、ナディスが好きなベリー系のフルーツや、栄養価の高いフルーツをささっと盛り付けてくれる。ナディスの食べられる量にも配慮してくれているので、特別ボーナスを支給しても良いかもしれない、とナディスが思っていると、ふと両親の視線を感じたのでそちらを向いた。


「お父さま、お母さま、なぁに?」

「ナディス、殿下に会う日はいつがいい? ターシャが前もって断ったから、もう既に王太子妃候補は何人かいるらしいんだが、一応……ということだ」

「そうですわねぇ……早い方が良いのかしら?」

「……うん」


 苦笑いをしたガイアスは頷くが、実際のところ王家からの要請は既に何回か手紙として送られてきているから、さすがにもうこれ以上断り続けたり、拒否を貫いてしまってはヴェルヴェディア公爵家の立場が悪くなってしまう。


「では、明日にでも……とか、とても急なことを言ってしまっても良いの?」

「そうねぇ、とりあえず聞いてみましょうか」


 娘が王子に会うことを承知してくれたことで、公爵夫妻はほっと胸を撫でおろした。

 ナディスは『王子様』というものがとても大好きだったように思っていたのだが、別にそうではない、ということが分かり、一体どう反応していいのやら……と夫妻は少しだけ疑問に思ったが、幼い子供のことだ。

 そういう時期なのだろう、と互いを納得させ、美味しそうに朝食を食べ進めているナディスを見て、夫妻はにこにこと嬉しそうにしていたのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「ようやく了承の返事が来たわ!」


 王妃はヴェルヴェディア公爵夫人からの手紙を見て、歓喜の声を上げた。

 ミハエルの婚約者候補を決めるためのパーティーを催した際、ヴェルヴェディア公爵家令嬢が『王子様が大好きで、王子様に夢見ている』と聞いたから是非に、と招待したのにも関わらず、『娘が行きたくないそうです』としれっと断りを入れてきたのでどうしようかと思っていたところで、キャロラインは『王家からの要請だ』と権力を思いきり振りかざしたのだ。

 おかげで、公爵家からは『お呼びとのこと、明日、馳せ参じます』と端的な返事がやってきた。


「ミハエル、ミハエル!」

「何ですか、母上」


 嬉しそうに自分の名前を呼んでいる母に、何事かとそちらへ向かってみれば、とても機嫌が良さそうに微笑んでいる母がミハエルの元へと歩いてきているのが目に入る。


「何かいいことでもあったのですか?」

「喜びなさい、ヴェルヴェディア公爵令嬢がお前に会いに来るそうです!」

「……ヴェルヴェディア公爵令嬢……が」


 名前だけは知っている。いや、性格には『遠くから見たことがあるから、姿も知っているが会話したことがない』なのだが。

 あの超名門貴族、ヴェルヴェディア公爵家の一人娘。


 艶やかな金髪は見るからに手入れがされていることがよくわかり、風が吹くとさらさらと風のままに揺れている。

 ああ、きっとあの髪に触れると、とても触り心地が良いのだろう、と想像しながらナディスの姿を思い出そうとしているのだが、如何せん遠目でしか見ていないので正確に思い出せない。


「(公爵と一緒にいる姿は、遠目から見ても楽しそうだったのは……覚えているんだが)」


 王家主催のパーティーには来たことのあるナディスだが、ヴェルヴェディア公爵家に挨拶したい人間はとても多い。加えて、ナディスが一人娘ということもあって、同い年くらいの息子がいる家は、どうにかナディスとの婚約を取り付けようと必死にもなっているのだ。


「……母上」

「何?」

「どうして、令嬢は来てくれることになったのですか?」

「お母さまが『お願い』したからよ」

「すごい……!」


 来ることを頑なに拒否していたナディスを、いいや、公爵家をいとも簡単に(実際は簡単ではない)呼び寄せてしまうだなんて! と、ミハエルはとても感動した。


「令嬢が来てくれるのなら、王太子妃候補とも合わせなければいけませんね」

「ええそうね、ミハエル。ぜひそうしましょう」


 微笑んだキャロラインとミハエルだったが、現状、侯爵令嬢がミハエルのことを気に入って婚約者候補になっているから、家柄など諸々から判断して、ミハエルは後見も得て王太子になった。

 だが、ナディスがやってくるなら彼女を王太子妃候補にしさえすれば、ヴェルヴェディア公爵家がミハエルの後見になってくれれば……と、キャロラインもミハエルも、企んだのだった。


 そして、運命の日。


「……初めまして、王太子殿下。ヴェルヴェディア公爵家が長女・ナディスにございます」


 まるで六歳とは思えないような丁寧なあいさつと、立ち居振る舞い。

 ナディスの目の奥にある底冷えした光にミハエルは気が付かないまま、ほう、と見惚れたのだった。


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