「……というわけで、お父さま。この子、飼ってもよろしくて?」
「そうだなぁ……ちゃんと世話をする、って約束できるかい?」
「勿論よ!」
ナディスはいそいそと父ガイアスのところに行って、ツテヴウェを飼ってもいいかの許可を取っていた。
そもそもナディスに甘いガイアスのことだ、すぐにOKを出してくれるとは思っていたが、まさかこんなに早くOKをもらえると思っていなかったが。
「良かったわね、ラヴェちゃん」
「にゃあ!(何だラヴェちゃんって!!)」
抗議の声はナディスにだけ届いているが、ナディスは聞こえていない
ふりを貫き通している。
あとで聞くから、とツテヴウェの頭を優しく撫でていると、ガイアスはほっこりとした眼差しを向けてきており、ナディスはわざときょとんとした子供らしい顔を向けた。
「お父さま?」
「ふふ、ナディスは相変わらず可愛いなぁ。ところでナディス、可愛い子猫に夢中になっているのも良いんだが、そろそろ婚約者をだな……」
「(来たわね)」
巻き戻った先は、ナディスが六歳。
つまり、あのミハエルと婚約する前、ということなのだろう。先ほどガイアスが『婚約者』と言ったことから、婚約前なのは確定。
ナディスはにこ、と可愛らしく微笑んでからツテヴウェをしっかり抱っこしたままでガイアスのところへと歩いて行った。
「お父さま、王子殿下との婚約ってしなくちゃいけないんですの?」
「おや、嫌かい?」
「うーん……、あの、嫌というよりは……別の理由があるといいますか……。そもそも論として、わたくし、お父さまに確認したいのですけれど」
「ああ、何だいナディス」
ナディスは少し考えてから、またにっこりと微笑んで言葉を続けた。
「わたくしは、この公爵家を継がないといけないんですよね?」
「そうだね」
「ということは……国内の貴族から婿を取るとして、伯爵家以上のおうちから? もしくは他国の高位貴族なのかしら? でも、わたくしが公爵家を継ぐのであれば、そういった関係性も考えなければいけないでしょう?」
「……ナディス、とっても現実的だね」
「うふ、わたくしもう六歳ですもの。それに、大好きなお父さまとお母さまにいらぬ心配をおかけするわけにはまいりませんもの」
子供らしからぬ意見だったとしても、公爵家令嬢ならば、ということで納得できてしまうのだ。前回もそうなのだが、ナディスは家庭教師たちからすこぶる好評な令嬢なのである。もちろん、それは優秀な令嬢という意味で『好評』なのである。
そして、ナディスは今回、公爵家を継ぐ、ということを全面的に押し出してみた。まずこれで父の反応を伺ってみよう、というわけである。前回も今回もイケメンが嫌いというわけではなく、今回もイケメンは大好きだ。しかしそれが災いして処刑というルートに乗せられてしまった、というわけでもある。
「確かにナディスは我が公爵家の跡取りだからな。婿を取るのが良いが……」
「あなた、ナディスには王太子妃候補としてのお話がきておりますわよ」
「お母さま!」
聞こえた母の声に、ナディスはぱっと顔を輝かせる。
ツテヴウェを抱いたままターシャの元に駆け寄ると、にこにこと笑いながらナディスは母を見上げ、これまた可愛らしく首を傾げてみせた。
「お母さま、王太子妃候補って??」
「王子様のお嫁さんになる、っていうことよ」
ああ、なるほどな、とナディスは思う。
ナディスにはこう言えば『王子様』という単語につられてほいほい乗ってしまうと分かっているから、あの時もこうして乗せたのかもしれないが、お生憎様、とナディスはひっそりほくそ笑んだ。
「でも、それって他にも候補がいるのではないですか?」
「そうね、けれどナディスは一番の候補なんですよ」
「一番……」
一番、と言われようが、王太子妃と言われようが何も響かない。
「うーん……」
「ナディス……嫌なの?」
「……だって、わたくしが王太子妃になってしまうと、ヴェルヴェディア公爵家を誰が継ぐのですか?」
「それ、は……」
前は、遠縁の子を養子に迎え入れたから良かったが、今回はそれを譲ってやるつもりはない。
ナディスは決めているのだ、今回こそヴェルヴェディア公爵家を継ごう、と。だから、王太子妃候補なんかになるわけにはいかないのだから。
「ね、お母さま。無理やり王太子妃候補にさせられてしまう、なんてことあるの?」
「そうね……王家にどうしても、と言われたら……」
「そんな!」
ナディスはわざと悲しそうな声を出して、腕の中のツテヴウェを不安そうに見つめる。
「そうしたら……この子とも……お別れ?」
「あ……!」
ここでターシャはようやくナディスの腕の中の子猫に気付いたらしい。
ターシャがそっとガイアスに聞けば、今日、今まさに子猫を飼う許可を得るためにここに来た、と聞いてしまった。
どうしたものか、とターシャは思案していた。
王家からは、ヴェルヴェディア公爵令嬢はとても優秀だと聞いているから、是非選抜のためのお茶会にどうぞいらして、と言われたばかりなのだ。
しかも王妃直々に、とあってはあっさり断るというのも申し訳ないし、何より貴族としてそれはできない。
「そうね……いきなりお別れなんて、ナディスは嫌よね」
「はい……」
しょんぼりとしてみせて、少しだけ拗ねたようにナディスは唇を突き出してみる。
これだけで、『拗ねてしまった可愛い女の子』の出来上がり。
そして、おずおずとターシャに近づいて、遠慮がちにドレスの裾をきゅっと握って、上目遣いも最大限利用してから震える声で問いかけた。
「お母さま……どうしても、その王太子妃候補にならないと……ダメなのかしら……」
「ああ……ナディス、そんなに不安そうにしないでちょうだい」
困ったようにするターシャを見て、ガイアスが慌てて助け舟を出してくれる。
「ナディス、大丈夫だからいつも通り、お勉強していなさい、良いね?」
「……はい」
こくん、と頷いてからナディスはガイアスの執務室を後にする。
廊下を歩きながら、予定通りいきそうだと笑みが隠し切れずにくす、と笑いが零れてしまった。
「ナディス」
「なぁに?」
「顔、にやついてるぞ」
「だって、あんなにうまくいくだなんて思っていなかったんだもの」
うふふ、と笑ってナディスは自分の部屋に入った。
念のためにと、ドアに鍵をかけてから一度ツテヴウェを腕からおろすと、ぽふ、と軽い音を立てて造りの良いソファーに腰を下ろす。窓側にあり、しかも日当たりが良いからナディスのお気に入りの場所だった。
そして、勉強しなさいと言われていたことを思い出して、遠隔操作の魔法を使って教科書を取って、ぱらぱらと適当にページを捲るが、既に学習済みな上にナディスは記憶をすべて保持した状態で戻っている。
「今やるべきことなんて、全くないわよね」
「……そりゃまぁ、お前が望んだからな」
「戻るんだから、何か特典があった方が良いじゃないの」
しれっと言うナディスだが、一応勉強をやったことにしておこうとノートと羽ペンも取って、さらさらと問題を解いてから提出すべく何枚分かを用意した。
「勉強した証拠はこれでよし、と」
「用意周到なことで」
「ツテヴウェ、考えてもみて? 今のわたくしがやることは、令嬢としてのお勉強よ。だから、やるべきことをやった、それだけ」
ナディスは当たり前のことしか言っていない。だが、中身が六歳ではないから用意周到さが半端ではない。
ミハエルと婚約していた時の十八歳のままだし、側妃候補を遠慮なく言葉で殴り倒し、家の力を惜しみなく使って様々な手段を用いてライバルというライバルを蹴落とした。
唯一蹴落とせなかったのは、ミハエルが守り切った、ともいえるロベリアのみ。
とはいえ、そのロベリアも今回は遠慮なく叩き潰すと決めているから、ナディスは予習を済ませた教科書と解いた問題の答えが記載されている紙をぽい、と床に投げる。
「おい、行儀が悪い」
「あら失礼いたしました。……ツテヴウェ、明日から本番なのだから気を抜かないでね」
「ああ。そうだ、一つ教えておいてやる」
「?」
「お前と俺が、物理的に距離が離れたとしても問題ない。お前には『目印』がついている」
「『目印』って……ちょっと、勝手につけましたの!?」
「何かあってもすぐ守れるようにな」
それは嬉しいけど、勝手につけなくても……と不満げなナディスだったが、契約がある限り、ツテヴウェは自分を裏切ったりはしない。前回、愛した人に裏切られた、といっても過言ではない状態だったから、表には出さないにしてもそれが何より嬉しかったのだ。