「……本当に、目障りですこと」
ナディスは忌々し気に呟いてロベリアをどうにかミハエルから引きはがさないと、と息巻く。
そして、王家主催の王妃の誕生日会で、そのチャンスはやってきそうだ、と考えたナディスは、にやりと笑った。
「そうだわ、チャンスは生かさなくてはいけないわ。それから、自分で作り出すべきよね。ふふっ、わたくしったら……こんな当たり前のことにどうして気付けなかったのかしら!」
機嫌よさげに言って、ナディスは翌月にある王妃の誕生日会に着ていくドレスをデザイナーに発注した。そのデザイナーはナディスの好みをしっかりと把握してくれており、きっと今回も望み通りのものを仕立ててくれるだろう、と自然と気分が上向いていく。
だが、それに反比例するかのように、学院でのミハエルとロベリアの行動は、次第にエスカレートしていった。
ある日のランチタイムにて、いつものように個室に向かったナディスだったが、室内から何やら物音が聞こえてきた。
ああ、もうミハエルたちが来ているのか、と思ったナディスが入室しようとし、扉のノブに手をかけようとしたときに聞こえてきた、嬌声。
「え……?」
まさか、そんなはずはない。
そう考えたナディスの頭を、誰かが殴りでもしたのかと錯覚するようなほどに強い衝撃が、次の瞬間にやってきた。
『……だめよ……ミハエルったらぁ……』
『どうせあいつは俺から離れるなんてしないんだ、学園にいる間は俺はのんびり羽目を外したいし、……ロベリア、真に愛する君とこうして愛をかわしたいんだ……!』
『やだ、もう……』
「何よこれ……」
ふざけるな、と叫びながらこの扉を無理に開けられたら、どれだけ楽なのだろうか。
しかしそれをやってしまえば、ロベリア諸共、ミハエルの評判だって地に落ちる。それだけは、絶対にさせてはいけないのだ、とナディスは必死に自分に言い聞かせる。
大声を上げそうになったが、思いきり手首に噛みついて、その衝動を逃がした。
これは全てミハエルのためなのだ、と必死に己を律する。そして、せめて……と、ナディスはぱちん、と指を鳴らした。
「(ミハエル様、ミハエル様にも一度は苦い思いをしていただきます)」
ナディスが指を鳴らすことですっと現れたのは、王家の影。
彼らが現れた途端、ナディスは静かにこう告げた。
「ミハエル様が、どうやらロベリア嬢にたぶらかされ、今無理やりに体を重ねているようですわ。……様子を国王ご夫妻に、報告なさい」
「……かしこまりました」
きっと、ナディスは辛い思いをして、この命令をしたのだろうと影たちは判断する。
何ともまぁ幸いなことに、ナディスは王家の影にも大変評判が良かった。正しい仕事をしてくれるのだから、といつも彼らが報告してくれる内容については自分の悪行を報告されたとて、素直にそれを認めたうえで行動の修正をしてくれる。
基本的には王家の影は王太子のみならず、王太子妃候補にもしっかりついているのだが、緊急事態となればナディスは己を無視してでもミハエルを守るように命令していた。
今回もそうなのだろう、と影は判断してナディスの言うがままに報告を上げた。
「……ええ、間違っていないわ。だって、自分から手を出した、だなんて……ミハエル様は自分のプライドのためには、決して言わないでしょうから」
ナディスの読みは、恐ろしいほどに的中した。
報告を受けた国王と王妃は、まるで爆薬が爆発したかのようにミハエルをこれでもかと𠮟りつけた。事実確認をされたミハエルは、ナディスの予想通り、ロベリアから関係を持とうと提案された、と誤魔化したものだから、王妃の誕生日会の場にて、ロベリアは秘密裡に王妃に呼び出しを受けたのだ。
「王妃様、失礼いたし……っ!? アンタ、何してるのよ!」
「……アンタ……? それは、このナディスに、言っているの?」
「え……」
王妃の冷たすぎるほどの声に、ロベリアはぎくりと硬直する。
まさかこれほどまでにナディスを大切にしていたのか! と思うが、いいやそんなわけがない、と己に言い聞かせてからナディスを思いきり指さした。
「無礼者! 控えよ!」
「きゃあ!」
ロベリアはナディスを指さしていたはずだったが、王妃が立ち上がって大股でロベリアの方へと向かい、手にしていた扇でロベリアの頬を思いきり打ちのめした。
勢いのままロベリアはどさりと倒れこんだが、その先でナディスとぱちり、と目が合った。
「ちょっと、ヴェルヴェディア公爵令嬢! すましてないで助けなさいよ! あなた、同じ学校の同級生でしょう!?」
「まだナディスに向かってそのような無礼な口を! 侯爵家令嬢といえど、容赦せぬぞ!」
「…………王妃殿下、落ち着いてくださいませ」
ナディスがそう告げれば、王妃は慌ててナディスの方に駆け寄ってくる。
「ああナディス、ごめんなさいね!」
「いいえ、気にしておりませんわ。それに……悪いのは……」
ちらり、とナディスはロベリアの方を見る。
「……クレベリン侯爵令嬢、ですもの。とはいえ、殿下も学生だからと羽目を外したかったのかもしれませんわ」
「ああ……何て優しいんでしょう! ナディス、でもね……王族はそんな訳にはいかないのよ!」
「王妃様……」
「……っ!」
誘ってきたのは、実際はミハエルの方だった。
だが、それを伝えたところで王妃は決して信じない。ミハエルについている王家の影は、事情を見ているのかもしれないが、ミハエルの行動は明らかな不貞行為。
そして、ナディスの今の身分は公爵令嬢でありながらも、ミハエルと婚約していることで扱いは『準王家』なのだ。
つまり、ロベリアとミハエルの行動は、王族の顔に泥を塗りたくったも同義。
しかもナディスの立場としては、既に王太子妃にほぼ内定している。余程のことが起きない限り、婚約を破棄などできるはずもない。王妃教育に片足を突っ込んでいるナディスを、そして、王太子の後見としてとんでもなく大きな影響力を持っているというのに、今ここで王家として彼女を手放したりなんかできっこないのだから。
「ちょっと、茶番のようなこれを押し付けるために私を呼んだっていうの!?」
「茶番……? まあ、面白いことを言うのね、あなた。誰に手を出したのか、まだ理解していない?」
「ミハエルは、私と一緒にいると癒されるんですって! ナディス、あんたといると息が詰まるそうよ! だから、婚約者を私に帰るつもりだ、って言ってくれた! 学校の成績は確かにアンタに負けてるけど、でも、ミハエルを愛する気持ちはアンタなんかには負けないんだから!」
「……だ、そうですわ、王妃殿下」
ロベリアが叫んだ内容を聞いて、王妃はまたロベリアの元に駆け寄って再び扇で彼女の頬を思いきり叩いた。ばちん、と思い音がしてロベリアの頬か可哀想なほどに赤く腫れあがっている。
「何で……?」
「愛だの恋だの、馬鹿馬鹿しいこと……! そのような軽い気持ちで王太子妃が務まると思うでない!」
「……ふふ」
これまで王妃の寵愛を一心に受けているナディスは、王妃の心象操作など余裕だ。
だから、わざとこの場を選んだ。ロベリアはきっとミハエルのコネでこのパーティーにやってくるだろうことは想像できていたから、ナディスが直接手を下さなくてもいいように、王妃によってロベリアを処罰させようとしている。
「そなたとミハエルの付き合いなど、断じて認めん! 王太子妃たる資格を持つのはここにいるナディスのみ!」
王妃の宣言は、きっとドアの外で盗み聞きをしているミハエルにも聞こえただろう。
ああこれで、公にロベリアをミハエルから遠ざけられた! とナディスが喜んだのも、束の間だった。まるで鬼のような形相で、ミハエルに呼び出されたのだった。