「……ただいま、戻りました」
「あら、お帰りなさいませ」
微笑むナディスを見て、戻ってきた令嬢はとても悔しそうにしてから自分の座っていた席に、着席した。戻ってきた令嬢を見て、そっと話しかけに離席した令嬢もいるが、たった一言『あの人は、敵に回しちゃいけないわ』と返されてしまって、最早どうすることもできなかった。
「あら、皆さまどうなさったのかしら」
微笑んで問いかけてくるナディスを見て、肩をつかまれていた令嬢が何でもないと、首を横に振った。
「何もございませんわ、ナディス様」
「あら、そう? わたくし、皆さまとこれからも仲良くしていたいから……困ったことや言いたいことがあれば、何でも言っていただきたいわ」
「……ええ、そうですわね」
「うふふ」
ナディスが笑い声をあげて、そうして一瞬で一切の表情を消してから、全員をゆっくりと見渡していく。誰も、何も言わせないと言わんばかりに。
なお、ナディスは侍女に対して背を向けているから、彼女たちにこんな顔は見えていないのだが、それも何もかも、ナディスの計算の内なのだ。
「……弁えなさい? 側妃候補にしかなれなかったくせに」
その一言で、この場にいる令嬢たちは理解する。
まだ成人しておらず、自分と同い年の子供であるにも関わらず、この迫力はいったいなんなのだろうか。
「……!」
「な……っ」
「貴女、何様なの!?」
「……何様……そうねぇ……。王太子妃候補様、それも筆頭候補、かしら。他に王太子妃候補のライバルは、いないんだもの」
悪びれずにナディスはしれっと答え、表情をぱっと変えた。
先ほどまで浮かべていた、可愛らしい、穏やかとも見えるような笑みに、瞬間的に変えてからナディスはすっと立ち上がった。
「な、何よ!」
ナディスが立ち上がったことで、令嬢たちは身構える。
一体次は何をしてくるのだろうか、と警戒していたが、困ったように肩をすくめてみせた。
「とりあえず、皆さまの仰りたいことはわかったわ。わたくしがとっても気に食わない、そうですわよね」
「……」
その問いかけに何も答えられない令嬢たちは、ぐっと押し黙る。
「噛みつこうとしたら、わたくしから噛みつき返されてしまって、とりあえずどうしようかと思って改めて噛みついてみたけれど、どうしようもない、と」
「……っ!」
「ほんの少しだけ泳がせると、こうも呆気なくボロを出すだなんて……側妃候補としてもいかがなものかしら?」
「何ですって!?」
別の令嬢が思いきり立ち上がる。
だが、さすがに色々と騒いでいる様子に侍女たちが駆け寄ってきてしまった。
「失礼いたします、何かございましたか?」
「……っ、ナディス様が……」
どうにかしてナディスの暴言にも満たない暴言を報告しようとした令嬢だったが、その侍女はさっさとナディスの方に歩いて行ってしまった。
「……え?」
侍女が何故ナディスを優先したのか、だが理由は簡単だった。
「
ちら、とナディスは側妃候補たちをじっと見つめて意味ありげに微笑みかける。
侍女はその視線を追いかけて、何かを察したようにしながらも、ナディスと同じようにしてじっと彼女たちを見る。その視線は、まるで感情がなく、何だか品定めをされているかのような感覚に陥り、とても……嫌な感情があふれてきてしまうものだったけれど、どうにか令嬢たちは声を発した。
そんな中、ナディスだけは平然と微笑んでいるのだ。
「あ、あの……?」
「ちょっとだけ、諍いが……ね」
「諍い、でございますか」
侍女たちがナディスを優先する理由は、普段のナディスの行いそのものを見ているから、に加えてもう一つある。
ナディスの行動を見張る、という意味もあるし、令嬢たちの側妃としての行動の監視も兼ねていた。ナディスを害しようとする者や、側妃としてふさわしくない行動をした者については、王妃に報告するように申し付けられているのだ。
「諍い、というよりはナディス様を排斥しようと動いていたような気配すらございますが……」
「え……?」
あれ、と令嬢の中の誰かが疑問に思った。
確か、侍女はこっちをしっかり見ていたようには、見えなかったはずだった。
離れた場所で見ていたものの、声だって聞こえていないはず……というところまで考えて、ハッと気づいたその令嬢は慌てて口を開こうと思ったが、少しだけ遅かった。
「うふふ、そうね。わたくしのことが嫌いで仕方ないみたいなの」
「……っ、ナディス様!」
悲鳴のようなナディスを呼ぶ声に、聞こえているけれどナディスは聞こえないふりをしたまま続ける。
「でも仕方ないわよね、王太子妃候補がわたくししかいないんだもの」
まさか、この侍女は、とまた別の令嬢が呟く。
「まぁ……でも、ナディス様以上に優秀な候補がいるとも思えませんが……」
「うふふ、ありがとう」
確かに、ナディス以上に優秀な王太子妃候補がいないのは事実。
ついでに、ナディスがあまりに優秀で他の候補を連れてきたとしても、にこにこと笑いながらナディスが全員を蹴散らすものだから、王妃や国王は頭を抱えてしまう事態にもなっているからこそ、王太子妃候補がナディスしかいなくなってしまった、というだけの話。
「ナディス様以外に、王太子妃は務まりません。それは、国王ご夫妻がよくご存じのはずです」
「そうね、でも、このご令嬢たちは……」
ナディスが、また全員を見渡した。
「違うみたい。あわよくば、王太子妃になりたいんじゃないかしら」
「ナディス様を超えられないのに……?」
あまりにもあっさりと言われた言葉に、全員が顔をカッと赤くするが事実だ。
「……これでは、側妃候補をきちんとそろえなおすことにも苦労しそうですね……」
侍女は、すっとナディスに一礼してから、その場からふっといなくなる。
え!? と令嬢たちから驚きの声が上がったがナディスだけは普通にしていた。
「あの、ナディス様……?」
「報告に行ったんじゃないかしら」
静かに、淡々と告げる。
一体何を報告に、と思うけれど、報告される内容については自分たちが一番よく知っている。可能であるならば、その方向は誤解であるとナディスに言わせなければ、家の未来がどうなるか……。
一気にそこまで考えた令嬢たちは、慌ててナディスのところに行って、我先にと膝まづいた。
「大変申し訳ございません、ナディス様!」
「私たちが、大変愚かでした!」
「どうか! どうか我が家には何の咎めもございませんよう、伏してお願い申し上げます!」
まるで土下座をするかのように、令嬢たちはいっせいにナディスに懇願する。どうか、自分の家だけは、何も咎のないようにしてもらいたい。何でもする、自分が馬鹿だったとも受け入れる、だからどうか、と口々に『お願い』をする彼女たちを、ナディスはとても愉快そうに眺めた。
ああ、やはりこいつらは馬鹿だった。
ほんのちょっとつついただけで、こんなにも弱くて脆い一面を惜しげもなく披露してくれて、ナディスに対しての忠誠を誓うとでも言わんばかりに頭を垂れている。
「……うふふ、そんなに畏まらないでほしいわ。わたくし、そこまで鬼じゃないもの」
だからね、とナディスは続ける。
「わたくしや、ミハエル様の邪魔だけは……しないでちょうだいな。ねっ?」
可愛らしく、しかしとても傲慢に、残酷に『お願い』されたことの意味を、令嬢たちはきちんと理解する。そして、同時にこう思う。
――この人にだけは、何があっても喧嘩を吹っかけてはいけない、と。