「最初に喧嘩を吹っかけてきたの……だぁれ?」
可愛らしく首を傾げながらも、ナディスの雰囲気は底冷えするほどに極寒である。まずい、逆鱗に触れたかもしれない、とどこかの令嬢が思うが、別にナディスの逆鱗には触れてなどいない。
ただちょっと、そう、ほんのちょっとナディスの癪に触っただけなのだ。
「王太子妃候補は、わたくし一人なのに、側妃候補はこぉんなにいるの。とっても不思議だこと」
「何が言いたいんですか!」
「分からない?」
「分からないから聞いているのよ!」
平然とお茶を飲んでいるナディスが余程腹立たしかったのだろう。ナディスに食って掛かった令嬢は大きな音を立てて、勢いよく立ち上がった。
わなわなと震える彼女を見て、ナディスは声のトーンをわざと明るくして言葉を続けたのだ。
「皆さまの、側妃としてのお役目って、何かしら」
「は!?」
「そう、わたくしに子が出来なかった場合の保険ですわよね」
「それが……」
どうした、と言おうとしてその令嬢は言葉を途中で止めた。
まさか、ナディスが言おうとしているのは……と思って、ごくり、と唾を飲んだ。
「わたくしに子が出来た場合、その子がすくすくと健やかに育った場合」
「や、やめて」
「皆さまの存在価値って、一体何かしら」
可愛らしく首を傾げながら、けれど明確に『お前は決して許さない』という強い意志をもってして、ナディスはその令嬢を思いきり言葉で打ちのめした。
別にナディスが子を産んだとしても役割はある。
だが、悲しきかな。今の令嬢たちには、想像できなかったのだ。
「(他国に嫁がせるための、道具にする。これぐらいの答えをすぐに導きだせないだなんて……本当にお馬鹿さん)」
幼いがゆえに、皆揃って『ナディス』という共通の敵を殴りにかかったまでは良かったのかもしれない。しかし、反撃されるとは思っていなかったのだろう。
「そ……それ、は」
突然挙動不審になってしまった、その可哀想な令嬢の肩に手をかけるべく、ナディスは立ち上がった。身長差はほとんどない二人だが、顔色は驚くほど異なっている。
「もう、お行儀が悪いですわ。どうぞお座りになって?」
そうナディスは告げ、ぐ、と手に力を込めて思いきりその令嬢を座らせたが、手の力を緩めることはしなかった。
「い、……っ」
「マナーもなにもなっていない方に対してあれこれ言い聞かせるのも馬鹿馬鹿しいですけれど……あえて言いますわね」
その令嬢にはしっかりと聞こえるように。周りには察しろ、とでも言わんばかりに、ただナディスは、淡々と告げていく。
「先ほどの答え。国の道具に使う、なのだけれど……そんなことも理解せずして側妃候補であるならば、ミハエル様にとっても失礼であると同時に、国王ご夫妻に対しても、とってもご無礼であることは、ご理解なさって」
はい、という答えしか望んでいません、と言わんばかりのナディスの言い切りように、全員が固唾をのむ。
「側妃は、子を産めなければますます用無し。嫁いで、王家からいらないといわれた貴女方を、どこの誰が受け入れるというのかしら。それも想像なさった?」
「……あ……」
していなかった。
側妃になれば、囲われて、楽しく笑いながら過ごしていける、とっても楽な役割だと思っていたから。
でも、きっとそうではないということに、今更ながら気づいてしまったのだ。ナディスは、とうの昔にその覚悟が出来ているというのにも関わらず、ライバル心をむき出しにしているだけの自分たちは、覚悟も何も、出来ていなかった。
……何て、愚かで、甘い考えなのだろうか。そう思うと涙がジワリと滲んでくるが、それすらも甘かったのだと、ナディスの冷たい声が現実を突きつける。
「泣いてどうにかなりまして?」
――ただ、淡々と。
同い年の少女なのにも関わらず、あまりにも覚悟の大きさが違うということを見せつけられた。
ぎりぎりと、掴まれた肩が痛いということが、これは夢ではなく現実なのだと突きつけられてしまう。
くだらない嫉妬心を抱く暇があるのなら、もっと他のことを勉強するという時間に費やせばよかったというのに、それをしなかったのは誰か。――自分。
「……っ、申し訳、ございま、せ……」
「くだらない嫉妬心を抱く暇があるくらいだから、もっともっと勉強の時間を増やしても問題ないですわよね」
「え……?」
「わたくし、王妃殿下に進言しようかと思っておりますの。側妃候補の皆さまが、とってもお時間を持て余しているのではないでしょうか、って」
一体ナディスは何を言っているのだろうか、とその場にいる側妃候補の令嬢たちは、いぶかしげな顔をする。
「人前ですぐに感情を見せられるような表情を浮かべてしまう。嫌味を言う暇もあるので向上心豊かだと思っていれば、大した知識を得ているわけでもないではありませんか」
反論したかったけれど、反論できない。とはいえ、時間を持て余しているわけではないのだが、と思っていれば、ナディスが力を入れていた肩からようやく手を離してくれる。
痛みがすごかったから、もしかしたら指のあとがついているかもしれない、そう思えるくらいの痛みだった。いや、これを逆手にとってナディスが暴力を振るった、といえば……と考えていると、痛みだけが残ったものの奇妙すぎるほどの違和感があった。
「あれ……?」
「わたくし、馬鹿ではありませんもの」
「一体、何を……」
「ちょっと、工夫してみました」
ナディスのいうところの『工夫』がよくわからないが、嫌な予感がする。
「……ナディス様、あの……」
「ああ、お手洗いですか? 案内させましょう」
ぱんぱん、と手を叩けば、侍女が素早く来てくれる。ナディスが呼ぶまで来なかったのは、そういう命令だからである。今、この場では助けに来てくれてもいいんじゃないか、とほんの少しだけ恨み言を言ってしまいそうになるが、侍女たちにとってナディスの命令は絶対なのだ。
王家に名を連ねる者となるナディスのいうことを最優先にさせるのは当たり前のこと。
「あの……」
「御用が終わりましたら、お申し付けくださいませ」
にこやかだが、何というか結構な迫力の侍女に圧倒されて、そっと令嬢は用件を済ませようと入る。
別に、用を足したいわけではない。ただ、気になったところを確認したかっただけなのだ。
「……馬鹿力すぎるでしょ……何なのよ、あの女……」
ぶつぶつと文句を言いながら、来ていたドレス少しだけずらして、肩のあたりを確認してみる。そして、ぎょっとした……。
「嘘でしょう……?」
確かに痛みはあるのに、ナディスに握られて手の跡がついているのでは、と期待した箇所には何もなかった。
「まさか……あの人……」
その予想は、見事に的中していた。
ナディスはとてつもなく器用に、痛みだけはしっかりと残した状態で、自分がつけてしまった指の跡を消していたのだ。普通に何かやっても消えるわけがない。
「魔法で……?」
使ったような印象はなかったというのに、一体どうやったのだろうか。魔法を使うような素振りは一切見せなかった。だが、事実として魔法は発動しているのだから、ナディスの圧倒的な才能を見せつけられた、ということだ、
「……かないっこないじゃない……! なれるものなら王太子妃候補にだって……なりた、かった……! でも……!」
それはきっと、紛れもない令嬢の本音だが、誰にも吐き出すことができないまま、たった一人のこの空間に溶けて、消えていったのであった。