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第3話 おねだり

「それでね、お母様!」

「ちゃぁんと聞いておりますよ、ナディス。でも良かったわ、ミハエル殿下に見初められるだなんて」

「うふふ」


 見初められる、という言葉の意味も理解しているためか、にこにこと上機嫌に笑っているナディスは可愛いのだが、あまりにはしゃぎすぎでは、と思っていたターシャの嫌な予想が当たったかのように、不意にナディスの顔が凶悪な微笑みになった。


「……ナディス?」

「ねぇお母様、ミハエル様のお妃候補って……どのくらいいるのかしら」

「まぁ……最低でも二人はいるんじゃないかしらね?」

「へぇ……」


 まずい、とターシャは一瞬で察する。

 ナディスは確かに惚れっぽい。ついでに言うと、惚れれば一直線。

 一途だと言えば聞こえがいいのだが、一途すぎるのだ。ヴェルヴェディア公爵家に仕えているとある使用人に一目ぼれをしたナディスが、彼と話しているメイドを見てブチ切れ、大人な使用人とメイドは『まぁお嬢様可愛らしい』とにこにことしていたのだが、そんなメイドを見てナディスは一言『あの女、殺しましょう』と呟いた。

 なお、その時のナディスは若干三歳。恋に恋する可愛い幼女、というくらいの認識しかなかった屋敷全体だったが、これを聞いたターシャとガイアスは思わず硬直した。

 とりあえず、うっかりナディスがメイドに何かする前に彼女を避難させたついでに、たっぷり過ぎる退職金と、次の働き先に関してもしかと世話をしておいたのが正解だったらしい。


「(ナディス……また暴走しかけているわね……)」

「お母様、お妃候補を蹴落とすにはどうしたら良いのかしら」

「ねえナディス、お母様からひとつ、良い?」

「なぁに?」


 まだターシャの言葉だから、素直に聞いてくれているらしい、

 機嫌よさげに笑っている娘をひょいと抱き上げ、ターシャは優しく問い掛ける。


「そもそも、ナディスはまだお妃様候補でもなんでもないわよ?」

「…………え?」


 母の言葉に硬直したナディスは、呆然としてターシャを見上げる。そして、わなわなと震えながらひし、と抱き着いてから必死に何かを訴えかけるように口を開け閉めしているのだが、少しの間そうしてから泣きそうに顔を歪める。

「じゃあ……どうやったらわたくしはお妃様になれるの……?」

「まずはナディスが王太子妃に……いいえ、ミハエル殿下が王太子になることから始まるんだけどね」


 そこまで言ったターシャは、何かを考えこんでいるナディスを見て、嫌な予感しかしていない。

 いいや、もしかして自分がうっかりとやらかしてしまったかもしれない、そう思ったが、時すでに遅しであった。


「なら、ミハエル様のことを王太子にしてくださいませ」

「え?」


 実は同じ部屋にいたメイド長、執事長も思わず硬直する。

 ナディスはあまりに当たり前かのように。天気の話をするかのごとく自然と、子供らしく微笑んでみせながら言ったのだった。


「……、な、ナディス?」

「そうすれば、わたくしは王太子妃になり、いずれは王妃になれるのでしょう?」


――やられた。


 そうだ、確かにそう言った。

 ミハエルが王太子になったら、そしてその時の婚約者がナディスであったならば、王太子の婚約者、王太子妃候補として娘がいる場合はほぼナディスが王太子妃になるだろう。

 これが普通の令嬢であれば、『バカなことを言うな』と一蹴できてしまうのだが、相手はナディス。

 一を知れば十を知る、と言われているナディスであれば、厳しいと言われている王太子妃教育だってこなしてしまうだろう。


「それは……」


 ナディスがミハエルに惚れてしまったから、そしてナディスが彼の妃になるとしたら、の条件まで言ってしまったのだから後戻りはできやしない。


「そう……ね」


 肯定しかできないまま、ターシャは頬を引きつらせて頷く。

 我が娘ながら、恋愛バカだと思っていたけれどここまでバカだとは誰が思うのだろうか。いいや、思ったりなんかしない。


「では、ミハエル様が王太子になるということを後押ししてください」

「あのね、ナディス」

「何でしょうか、お母様」


 にこにこと上機嫌なナディスと、頬を引きつらせている母・ターシャ。

『上下関係があるとするならば、母娘だというのにまるで立場が真逆だ』と、執事長もメイド長もごくりと息を呑んだ。


「本気、なの?」

「ええ」


 間髪入れずに肯定するナディスを見て、ターシャはようやく娘が折れることはないと知った。

 目をきらきらと輝かせ、母の返答を待っているナディスを見ていれば、もう観念するしかないと悟ったターシャは、降参しましたと言わんばかりに両手を上げた。


「分かった、分かりました。けれど、王太子妃になるということは並大抵ではいなかいわよ?」

「かまいませんわ」

「ヴェルヴェディア公爵家はどうするというのですか!」

「……うーん……」


 そういえば、とナディスは少し考えた。

 本来ならばナディスが婿を取り、跡取りはナディスとするとして、だ。ここでミハエルが王太子となるべく後見となってしまえばどうなるのか。


「分家の誰かに継がせればいいのではないかしら」

「そんな簡単にいくわけないでしょう……」


 はぁ、と大きな溜息を吐いたターシャを見て、ナディスはさすがにまずかったのだろうか、としょんぼりする。

 だけれど、ミハエルの側にいるのは、いいや、最も近くに居るためには彼の妻になることが一番だと感じたからこそのこの提案。

 ヴェルヴェディア公爵家を誰が継ぐのか、まではナディスは考え至らなかったようだ。


「駄目なのでしょうか……」

「少なくとも、貴女の一存で決められる話ではありません。いくら好いているといってもいい加減になさい!」


 ぴしゃりと言われてしまったナディスは、さすがにしょんぼりとしてしまった。

 これでようやく諦めるかと思った矢先、ばっとナディスは顔を上げてからターシャをもう一度見た。


「なら、お父様にお話します!」

 ……この子聞いてるようで聞いてない……と、がっくりとターシャが肩を落とし、それを侍女長はそっと寄り添って慰めた。

 もう既に聞いていないしるんるん気分で『全は急げね!』と微笑んでいるナディスは、小走りで部屋を出て、父であるガイアスの執務室へと走る。


「おや、お嬢様」

「ねぇ、お父様はいらっしゃるかしら」

「本日はお休みの日ですので、お部屋にいらっしゃいますよ。さぁどうぞ」

「ありがとう!」


 ガイアス専属執事兼護衛係の男性が、足音を聞きつけたからか、ナディスが到着する前に部屋の前に出てくれていただから、部屋の中に簡単に案内してくれた。


「お父様、お忙しいところ失礼いたしますわ」

「おやナディス、どうしたんだい?」


 にこにこと笑って出迎えてくれたガイアスだが、執事長からナディスが来る直前にメッセージ魔法を受け取っていたために、諸々の概要は把握している。

 きっとナディスは自分に婚約の件を頼みつつ、ミハエルを王太子にするために後見となってくれ、というのだろうと思っていたら、案の定だった。


「お父様、ミハエル殿下の後見になってくださいませんか?」

「それは、お前が殿下と共に歩みたいからか?」

「はい」

「……ふむ」


 ガイアスは、娘の願いを叶えてやりたいとは思う。

 だが、それだけでは理由として弱い。せめて他の何かがあれば、と思ったがミハエルは第一王子のため、王位継承権の争いに勝てる確率はとても高い。

 我が娘ながらとても優良物件を探し当てたもの……というか一目ぼれ先がたまたま第一王子であり、外見がナディスの好みだった、ということ。

 ここで王家に恩を売っておけば後々便利かもしれないしな、とヴェルヴェディア公爵家として婚約の有用性、また、ナディスが将来王太子妃になったとき何の利益が家にあるのか、ということを少しの間考え込む。

 ココでダメなら、とナディスは期待を込めてガイアスを見上げている。

 きっと、ターシャからはこっぴどく叱られてしまったのだろう。恐らく『ヴェルヴェディア公爵家』の存続について言われてしまったのかもしれない。そこを突かれると幼いナディスが母であり公爵夫人でもあるターシャに口でかなう筈がない。


「そうだねぇ……。もし、婚約していて最悪な状態になったとしても簡単に婚約解消ができないこと。仮にミハエル殿下が何かしらの不祥事を起こした時にお前が責任を代替わりするくらいの気概はあるかな?」

「責任を……」

「そう。お母様だって、とてつもない覚悟でこの公爵家に嫁いでくれたんだ。ナディス、君はそれ以上の覚悟をしなければいけないけれど、本当に大丈夫かな?」


 あやすように、けれど公爵家当主としての厳しさも見せつつガイアスはナディスに問いかける。

 少しだけ考え、難しい顔をしているナディスを見て、『ああ、まだ子供だからやめると言い出すんだろうな』と予測した。……のだが。


「はい、大丈夫ですわ」

「……ん?」


 あれ、とガイアスは硬直した。

 ガイアスの護衛もあれ、という顔をしている。どちらからともなく互いに顔を見合わせて、首を傾げてしまう。


「……ええと、大丈夫……?」

「はい」


 先ほどまでの難しい顔はどこへやら。

 あっけらかんとした返事に、ガイアスは思わず唸ってしまうがこうなったナディスはきっと誰にも止められないのだとここでようやく察したのだ。


「そうかぁ……頑張れるしできるのかぁ……」

「はい。だって愛しいお人のためですもの」


 この子、まだ六歳なんだよなとガイアスは思うが、普段の教育が結構苛烈が故に心づもりというか、決心の仕方が並大抵の令嬢と比較してはいけないレベルにまで成長してしまっていたようだ。


「だからお父様、ミハエル様を是非後押ししてくださいませ。そして」


 にこ、と綺麗に微笑んで六歳らしからぬ迫力をもってしてナディスは父へと懇願した。


「ミハエル様を、王太子にしてくださいませね」

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