「いいかい、ナディス。良い子にしているんだよ?」
「お父様、わたくし、はしたなくなんかいたしません!」
そうやって会話をする一組の親子。
一人は、ガイアス・フォン・ヴェルヴェディア。カーディフ王国の建国当初から存在すると言われている、由緒正しき公爵家の当主。政治の才に大変優れており、今代当主であるガイアスは王の右腕たる宰相として、存分にその手腕を発揮している。
ヴェルヴェディア公爵家の成り立ちとして、当時、王位継承権の争いをとても嫌った心優しき王弟が王家より爵位を賜ったことで、初代ヴェルヴェディア公爵と成った、と歴史書には記載されている。
臆病者、なんとも情けない日和者、などの不名誉な呼び名が初代公爵には囁かれたものの、争いが起これば被害が民にまで及んでしまうことを。彼は何よりも恐れたのだ。自分の名誉よりも他を守ることを最優先とさせたことは、後になって分かったことであるのだが、当時は大変肩身が狭かった、と伝え聞く。
だが、現在はヴェルヴェディア公爵家無くして王家無し、とまでいわれている程に力をつけてきた。
時には公爵家から王配を排出する、または王家から婿入り・あるいは嫁入りをされるという、貴族の中でも特に選ばれた家として有名になっていった。
「はは、ナディスはとてもかしこいし立派なレディだからお父様は何も心配していないけれど、念には念を、だよ」
「むぅ……」
父の言葉に、ぷく、と頬を少しだけ膨らませるのは彼の愛娘・ナディス。幼いながらもぷっくりとした唇は紅を用いずとも血色のいい薔薇色、頬もほんのりと赤くてとても愛らしい。金髪は日の光に煌めき、それに呼応するかのように碧色の瞳もキラキラと美しい。
そんな愛らしい娘と談笑している、今代ヴェルヴェディア公爵家当主・ガイアス。
大変な娘馬鹿にして愛妻家である彼は、学生時代からとんでもない優秀さを発揮し、学生では取得が困難だと言われていた初級文官の資格を中等科のときに。高等科を卒業するときには中級文官の資格を取得していた。
実務をこなさなければ取得はかなりむずかしいと言われているそれらを取得できたのは、ひとえにガイアスが大変な勤勉家であることと、ガイアスの父である先代当主の教育の賜物と言っても過言ではない。
「宰相であるお父様に、わたくしが恥をかかせるだなんて、あり得ません!」
「そうか、わたしの可愛いナディスは本当に優秀だ。では、まず誰にご挨拶すればいいのかも分かっているね?」
「国王陛下ご夫妻ですわ」
まだ六歳であるにも関わらず、ナディスは迷いなく言い切る。
王家主催のこのガーデンパーティーはあまり規模が大きくないとはいえ、招待されているのは高位貴族ばかり。
噂では、このパーティ―で今年六歳の王子ミハエルの妃候補を見つけるのでは、とも囁かれている。
ガイアスは、その噂が本当であるかどうか分からないものの、自身の娘も十分その資格があると判断して、一人娘であるナディスを連れてきた。
自分がそうされたように、ガイアスもナディスにはしっかりすぎるほど勉学やマナーを叩き込んできた。幼子に何とも苛烈なと批難されようとも、身に着けたマナーや作法はいつかナディス自身を助けてくれるはずだ、と信じていたから。
そしてナディスはある意味期待以上に学び、そして六歳にして教師陣から『ナディス様はこの公爵家を背負えるだけの立派な姫君に成長なさるでしょう』と口を揃えて褒められるようにまでなった。
このパーティ―においても、誰が最も権力を持っているのかを瞬時に判断し、誰に挨拶に向かえば良いのかを問えば、先ほどの答えがあっさりと返ってきた、というわけだ。
「ではナディス、まずは国王ご夫妻に挨拶に行こうか」
「はい。家庭教師の先生に教えられたとおりにすればよろしいですか?」
「そうだよ、決して失礼のないように」
「かしこまりました、お父様」
そう言ってナディスは微笑み、ガイアスはナディスの手を引いてお目当てともいえる国王夫妻が座っているところへと歩いていく。
自分たちの方へ歩いてきているヴェルヴェディア公爵親子を見た国王夫妻は、互いに顔を見合わせて、ふっと微笑む。まだ小さいナディスの手を引いて歩いてくる親子を見て、こちらへ、と言わんばかりに手招きをしてみせた。
「おや……」
「お父様、あれを」
これにはヴェルヴェディア公爵親子もすぐに気が付いたため、手招きされるがままそちらへと歩いて行った。
国王夫妻の前に立つと。ガイアスはナディスにお手本を見せるように礼を取り、深く腰を折った。
「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。国王陛下、ならびに王妃殿下に我が娘のお目通りも叶いましたこと、大変嬉しく思います」
「ヴェルヴェディア公爵、そちらが?」
「はい、わたしの娘です。さぁ、ナディス」
ガイアスが促すと、ナディスは小さく頷いてから微笑みを浮かべ、すっとカーテシーを披露してみせた。そして、にこりと微笑んでナディスは国王、ならびに王妃に対して一例をして口を開いた。
「初めまして、国王陛下、王妃殿下。わたくし、ヴェルヴェディア公爵家長女ナディスと申します。我が国の至宝であらせられるお二方にお会いできましたこと、大変光栄に存じます」
「あらまぁ……!」
ナディスの挨拶、立ち居振る舞いに王妃は感心したのかぱっと顔を輝かせた。
僅か六歳でここまでの挨拶ができる令嬢がいるとも思っていなかったことや、所詮子供だろうと、少し舐めていたことをほんの少しだけ恥じた、
「素敵なお嬢様、丁寧なごあいさつをありがとう。もっと近くにきてくださらないかしら?」
「……っ」
どうすればいいのか、とナディスが父を見上げると、ガイアスは小さく頷いて一緒に王妃の元へと歩んでくれた。
「あの……、失礼いたし、ます」
「はいどうぞ」
にこにこと上機嫌な王妃の、ほんの少しの圧に圧されたのかナディスは遠慮がちに王妃を見上げる。
父も王妃も何かお互いに気が合った、とでも言いたげに笑い合っている。国王も何やら意味ありげに微笑んでいるが、幼いナディスにはいまいちピンと来ていないようだ。
「えぇと……王妃様……」
「ナディス嬢、良ければわたくしの息子に会ってみないかしら」
「王妃様……の、ええと……王子殿下に、ということでしょうか」
そうだ、と言わんばかりに微笑んで王妃・キャロラインは大きく頷いた。パーティ―に招待されている面々を見ても、キャロラインが提案した内容は喉から手が出そうなほどに己の娘や親戚の令嬢に対して行ってほしい提案。
「陛下はどのようにお考えでしょうか?」
ガイアスはこの場の一番の主役でもある国王・ウッディに問い掛けた。ここで国王からも『王子に会わせたい』と言わせられれば……と考えていると、先ほどからのナディスの受け答えをじっと観察もしていたことから、あまりにあっさりと許可が下りた。
「そうだな、会わせようか」
近くに控えていた侍従にウッディは声をかけ、ミハエルを呼んでくるように命令した。それを聞いた参加者からどよめきが起こり、どよどよと会場に広がっていく。
「おい、聞いたか……?」
「さすがはヴェルヴェディア公爵家、というやつだろうな」
「まぁ……勝ち目はないだろう……」
諦めの入り混じった声も聞こえてくる中、ナディスはただ一人冷静だった。
「(……王子殿下、といっても……)」
どんな人なのか分からないのだから、王子妃になるも何も……と、父にも気付かれないようにナディスはぎゅ、と手を握りしめる。
だが、国王夫妻の申し出があってのことなのだから、断るわけにはいかない。いかにヴェルヴェディア公爵家が影の王家と呼ばれていようが、宰相という役職についていようが、立場としてはいち貴族でしかない。
「(……どうしても無理なら、お父様にどうにかしてお断りしていただかないと……)」
自分が嫁いだら、ヴェルヴェディア公爵家はどうなるのか、という不安もナディスの中には多少あった。
ヴェルヴェディア公爵家の子は自分一人しかいない。自分が嫁げば、せめて自分の子を公爵家の跡取りとしてもらわねばと考えたナディスだったが、自身の性格や思考回路を把握していなかったのだ。
「――失礼いたします」
幼いけれど、落ち着いた声が聞こえた。
ハッとして声のした方へ向いたナディスだったが、目に飛び込んできたミハエルの姿を見て思わず自分の口を手で塞ぐ。
「………………!」
「ナディス、さぁご挨拶を。……ナディス?」
「…………っ、あ、の……」
何ともまぁ運の悪いというか、ナディスはとんでもなく面食いだったのだ。加えるならば、ナディスの好みドンピシャの顔立ち。
惚れない可能性の方が低いのだが、ガイアスはまさかここまでとは思っていなかった。
家の使用人の中でも、ミハエルの様な顔立ちの使用人や、出入りの商人を見て『お父様、あのお方はどちらの方!?』ととてつもなく食い気味に聞いてきたこともある。
そのたびにガイアスやターシャ、執事長が総動員で止めにかかったのも記憶に新しい。今日、もしもターシャがこの場にいたら『またナディスの持病が……!』と嘆いたことだろうが、相手は王家。しかも王妃(正妃)の子のために王位継承順位も高い。
これならばナディスの相手にふさわしいと判断したのだが、それ以上にナディス自身が思ったよりも食いついている。
「……は、初め、まして。ヴェルヴェディア公爵家が長女、ナディスにございます」
「そうか。俺はミハエル=イジー=フォン=カーディフ。この国の第一王子だ」
少しぶっきらぼうだが、王家なのでセーフとするべきなのか否か。キャロラインはひくりと頬を引きつらせているが、ナディスの様子を確認しているガイアスはあまり気にしていない。
「ミハエル様……素敵なお名前ですわ……」
そして恋は盲目、とはまさにこのこと。
ミハエルを見つめるナディスの目は、まさに恋する乙女。ここからナディスが暴走していくことは、今の時点では誰も想像など出来ていなかったのだ。