湖畔の別荘では、リベリオとエドアルドは同室で二人きりで過ごすはずだった。
それを羨ましがってダリオがひっくり返って泣き喚くまでは。
五歳になったダリオはまだまだ我がままでやんちゃな盛りだ。
止めようとしても聞くはずがない。
「ダリオ、エドアルドとリベリオは婚約者なのだ。二人で過ごす時間も必要だと思うよ」
「やだやだ! おにいさまたちだけいっしょのおへやで、ずるい! わたしもいっしょがいい!」
説得に当たったジャンルカも、ダリオが床にひっくり返った時点で諦めていた。
結局、広い部屋にはもう一つ小さなベッドが運び込まれて、ダリオも同室になってしまった。
二人だけの時間を期待していたリベリオは少しだけがっかりしたが、エドアルドと寝るときもずっと一緒だというのは緊張もするので、少し安心もしていた。
「エドアルドおにいさまとリベリオおにいさまはけっこんするの? エドアルドおにいさまとリベリオおにいさまは、きょうだいじゃないの?」
純粋な五歳の疑問にリベリオは丁寧に答える。
「わたしは母上と義父上が結婚する前に、母上が結婚していたひととの間の子どもで、エドアルドお義兄様とは血が繋がっていないんだよ」
「それじゃ、リベリオおにいさまは、わたしともちがつながっていないの?」
「ダリオは母上と義父上が結婚してできた子どもだから、わたしともエドアルドお義兄様とも血が繋がっているよ」
「わたしはリベリオおにいさまともエドアルドおにいさまともちがつながっているのに、リベリオおにいさまとエドアルドおにいさまはちがつながっていない……? よくわからない」
難しい顔になるダリオに「もう少し大きくなったら分かるよ」とリベリオはくすくす笑いながら答えていた。
義兄弟で婚約など、五歳もダリオにとっては理解できないだろう。
「リベリオおにいさまは、エドアルドおにいさまのことがすきなの?」
「そ、そうだよ。す、好きだよ」
結婚するのだから当然そうなのだろうと思い込んでいるダリオに、リベリオは言葉に詰まってしまった。貴族の結婚というものは恋愛感情だけで成立するものではないし、リベリオとエドアルドの婚約は、アウローラと王太子のアルマンドが婚約したから、アマティ公爵家にこれ以上権力が集中しないようにと配慮したうえで、国王陛下から命じられた婚約だった。
リベリオはエドアルドのことが好きだったので、婚約自体は嬉しかったが、エドアルドはリベリオを義弟以上に思っていないのではないかと心配が胸に広がる。
「エドアルドおにいさまも、リベリオおにいさまがすきなの?」
「好き」
はっきりと口にするエドアルドにリベリオの心臓が跳ねる。
これは家族としての「好き」なのだろうか。それとも恋愛的な「好き」なのだろうか。
「いいなぁ。わたしもけっこんしたい」
「わたしとエドアルドお義兄様は結婚しているわけじゃないよ?」
「そうなの? けっこんしてるから、おなじへやになったんじゃないの?」
「結婚の前の段階……婚約って分かるかな?」
「よくわからない」
「結婚をする約束をしている段階なんだ。わたしが十八歳になって、学園を卒業したら、結婚する約束なんだよ」
説明をするとダリオは分かったのか分からないのか、首を傾げていた。
アウローラがこの年齢のときにはもっと大人っぽかった気がするが、女の子の方が成長が早いのかもしれない。
リベリオとダリオが話している間、エドアルドは無表情のまま座ってそれを聞いていた。
発した言葉は「好き」の一言だけ。
それでも同じ空間にいるだけでリベリオは幸せだったし、エドアルドの眼差しが優しいような気がしていた。
「つかれちゃった。わたし、ねむい」
「ダリオ、お昼寝をする?」
「うん。ちょっとねる」
ベッドに入るダリオに薄い夏用の布団をかけてあげて、リベリオとエドアルドはベッドのあるスペースとソファのあるスペースを分けるカーテンを閉めた。
朝から馬車で出かけて、途中で刺客に襲われて、湖畔の別荘で昼食後にリベリオとエドアルドと同じ部屋がいいと泣いたので、ダリオは疲れ切っていたのだろう。ベッドの方はすぐに静かになった。
給仕を呼んで紅茶を入れさせてから、リベリオはエドアルドの方を見詰める。エドアルドの青い目が静かにリベリオを映している。
「エドアルド……二人きりじゃなくなっちゃったね」
「ダリオはまだ小さい」
「え、エドアルドは、わたしのこと……」
「好き」って言ったけど、それはどんな「好き」なの。
聞こうと思って口を開いたはいいが、リベリオは肝心の問いかけが出て来なくなってしまう。
家族としての「好き」だと言われたら、立ち直れない気がする。
「リベリオは?」
「え?」
「リベリオは、ぼくのこと……」
同じ問いかけをされてリベリオは焦ってしまう。
ここでなんと答えるのが正解なのか。
エドアルドが家族として「好き」と思っているのならば、リベリオが恋愛として「好き」と思っているのは重荷になるかもしれない。逆にエドアルドが恋愛として「好き」と思っているのなら、リベリオが家族として「好き」と答えてしまったら、まずい気がする。
「え、エドアルドこそ!」
「ぼくは、リベリオが」
そこでエドアルドの言葉は止まってしまうから、リベリオもエドアルドの本心を図りかねているのだ。
言葉にしなくても通じるだなんてことは、物語の中だけの世界だ。大事なことは言葉にしないと全く通じない。
「エドアルド、わたしと婚約して、後悔してない?」
「リベリオは?」
「わたしは、エドアルドと婚約できて嬉しかったよ。誰よりも近しい知っているひとだったし、エドアルドが優しいことは知っていたもの」
正直な気持ちを口にすると、エドアルドの手がリベリオの頬を撫でる。そのままエドアルドの顔が近付いてこようとして、リベリオは焦ってしまう。
間近で見るエドアルドの目は、紫がかった青で、黒い睫毛が僅かに伏せられている。
キスをされるのだろうか。
唇にキスをされるのだろうか。
ドキドキしながらリベリオが目を瞑った瞬間、カーテンが開いた。
「おしっこ! もれちゃう!」
昼寝から目を覚ましたダリオがベッドのある方から走り出て来る。弾かれたように体を離したエドアルドに、リベリオは頬が熱くなってくるのを感じていた。
「だ、ダリオ、お手洗いに行こうね」
「リベリオおにいさま、つれてって!」
そそくさとソファから立ち上がってダリオの手を引いてお手洗いに連れて行くと、エドアルドもついてきていた。
どういうつもりでエドアルドがリベリオにキスをしようとしたのか、本当にあれはキスをしようとしていたのかもよく分からなくなってくる。リベリオとキスができるか試したのだろうか。
試しにキスしてみて、ダメだったらリベリオのことは義弟として、結婚も形だけにするとか嫌なことを考え出すとリベリオも落ち込んでくる。
「エドアルドお義兄様……」
「リベリオおにいさま、てをあらったらそでがぬれちゃう! そでをまくって!」
真相を聞こうとしてもダリオがいるので深く聞くことができない。
湖畔の別荘での滞在期間、リベリオとエドアルドはずっとダリオに邪魔され続けたのだった。
帰りの馬車は護衛が二倍に増えて、仰々しく馬車が進んでいった。
アマティ公爵領の警備兵が刺客を取り調べたようなのだが、その結果は誰一人として口を割らないというか、捕らえられた時点で何かの魔法が発動したらしく、刺客たちは自分たちが何をしたかも覚えていない状態だったというのだ。
「前の魔物の大暴走を起こそうとしたときといい、はっきりしないよね」
黒幕が誰なのか、今回も分かっていない。
国王陛下にもこのことは報告されているから、国王陛下やジャンルカは黒幕が誰か想定しているのかもしれないが、リベリオには全く予想がつかなかった。
エドアルドと二人きりの馬車で呟くと、エドアルドがリベリオの手を握る。
「何があろうと、守る」
「エドアルド……」
表情は動かないが、エドアルドが優しく情に厚いことをリベリオはもう知っている。
大事な家族を守ろうとしてくれているのだ。
「王都に行っても気を付けるね。エドアルドも気を付けて」
「リベリオ」
「エドアルド」
手を握り合っていると、本当の恋人のような気がして、リベリオはこの時間がずっと続けばいいのにと思ってしまった。