湖に白鳥を襲う魔物が現れた。
そのことをエドアルドは先見の目で予言していた。
ついエドアルドの気持ちを考えずに先見の目を使って今後も魔物が出るのか聞こうとしてしまったリベリオだが、すぐにその気持ちを改めた。先見の目に関してはエドアルドもいい思い出ばかりではないだろう。リベリオたちの身を守るために先見の目を使ってくれたのだが、何度も使いたくはないはずだ。
後は警備兵の詰め所にジャンルカが伝えてくれて、討伐隊を呼んでくれたので何事も起こらないだろう。
湖畔の別荘ではリベリオはエドアルドと同室になった。部屋はたくさんあるのだろうが、リベリオとエドアルドが仲を深めるためにジャンルカは同じ部屋にしてくれたのではないだろうか。
体が大きくて落ち着いているので忘れてしまいそうだが、エドアルドとリベリオは三つしか年の差がないのである。三つ違いの兄弟だったら同じ部屋でもおかしくはない。
エドアルドと同じ部屋だと思うと、少し恥ずかしいような、嬉しいような気持になって、胸が躍るリベリオに、エドアルドは気付いていないようだった。
窓際に立つエドアルドが大きな窓を開いてテラスに出る。エドアルドを追いかけてリベリオもテラスに出ると、湖がテラスからよく見えた。
ほとんど落ちてしまった日が、地平線から赤い光を放っている。空の上の方は群青に近くなっていて、赤から群青へのグラデーションがとても美しい。それに加えて湖は水が澄んで底が見えるくらいで、緑がかった青い色をしていてとてもきれいだった。
「エドアルドお義兄様、きれいですね」
「リベリオと一緒に見られて嬉しい」
エドアルドにしては長い文章を口にしたと思ったら、リベリオと一緒に見られて嬉しいなんて言ってくれている。胸がいっぱいになってリベリオも口を開く。
「わたしもエドアルドお義兄様と一緒に見られて嬉しいです」
二人きりで見る空の色と湖はとても美しかった。
日が完全に落ちて、空が群青に染まるまでリベリオとエドアルドはテラスで湖を見ていた。
夕食の時間に、ジャンルカが報告してくれた。
「討伐隊が来てくれて近くの森を捜索したら、魔物の大発生が起こる兆候を見つけた。今の内ならば暴走する前に食い止められるということで、対処にあたってもらっている」
その話を聞いてリベリオはエドアルドの言葉を思い出していた。
「白鳥に気を付けて」、その一言でエドアルドは魔物の大発生まで予言していたのではないだろうか。
「魔物が大発生することもエドアルドお義兄様には分かっていたのですね」
「そんなことは……」
「謙遜なさることはないのです。エドアルドお義兄様が予言してくださったおかげで、魔物の暴走は抑えられそうではないですか」
先見の目を持ってエドアルドは魔物の大発生まで予言していた。そのおかげでジャンルカは素早く討伐隊を森に派遣して、魔物が暴走する前に抑えることができそうだった。
「やはりエドアルドお義兄様はすごいです。尊敬します」
「エドアルドおにいたま、しゅごいの?」
「エドアルドお義兄様は魔物の暴走が起きるのを予言して、それを防ぐ手立てを考えさせてくださったんだよ」
「しゅごーい! エドアルドおにいたま、かっこいー!」
アウローラから尊敬の目で見つめられて、エドアルドは何も言わなかった。
夕食が終わってリビングでジャンルカとレーナとエドアルドとリベリオとアウローラで家族の時間を持つ。
紅茶を飲みながら焼き菓子を摘まんでいると、ジャンルカのお膝に座っているアウローラが紅茶のカップを取り落としてしまった。
まだ熱い紅茶が入っているカップを素早くジャンルカが払いのけたが、ジャンルカの手に紅茶がかかってしまった。
「ジャンルカ様、すぐに癒します!」
レーナが素早くジャンルカの手に手を翳して癒しの魔法をかけていく。軽い火傷になっていたジャンルカの手は、レーナの魔法ですぐによくなった。
「ありがとう、レーナ」
「ジャンルカ様こそアウローラを守ってくださってありがとうございます」
小さなアウローラにカップの紅茶がかかっていたら、広範囲に火傷を負っていたかもしれないと考えると、ジャンルカが守ってくれて本当によかったとリベリオも思う。
「パパ、いちゃいいちゃい?」
「レーナが治してくれたからもう大丈夫だよ」
「パパ、ごめちゃい」
「『ごめんなさい』より、『ありがとう』が嬉しいかな」
「パパ……あいがちょ」
蜂蜜色の目を潤ませてお礼を言うアウローラのふわふわの髪を、ジャンルカが愛おしそうに撫でている。
実の子どもではないが、ジャンルカはアウローラを心から愛してくれているのだとリベリオは感じていた。
「わたしが倒れるたびにお母様は少しでもわたしがよくなるように癒しの魔法をかけてくれました。そのことを思い出します」
「わたくしにはリベリオに分け与えられるような魔力はなかったので、自分のできることをしようと思っただけなのですよ」
「お母様の癒しの魔法は温かかった。今はエドアルドお義兄様に毎朝魔力を注いでもらっていますが、とても温かいのです」
「エドアルド様にはわたくしも毎日感謝しておりますわ。リベリオのためにありがとうございます」
「いえ……」
レーナの前に来るとエドアルドの態度がもともと凍り付いているようなのだが、それがもっとひどくなるような気がする。やはりまだレーナを義母として認められていないのかもしれない。
レーナの子どもであるリベリオやアウローラは年が近いから認められているが、エドアルドがレーナと打ち解けるにはまだ時間が必要なのだろう。
「エドアルド様のお母様のお話を聞いてもよろしいですか?」
レーナの言葉に、ジャンルカがアウローラの髪を撫でながら話してくれる。
「エドアルドの母のカメーリアとは幼いころからの婚約者だった。小さなころに婚約を決められて、反発したこともあったけれど、カメーリアは立派な淑女に育って、わたしはカメーリアのことを想うようになっていた。結婚してすぐにエドアルドができて、カメーリアは出産で亡くなってしまった」
「幼馴染だったのですね」
「そうなのだ。長く一緒にいただけに、カメーリアのことを忘れられずに、わたしはなかなか再婚に踏み切れなかった。後継者としてはエドアルドがいたし、このままずっと独身でも構わないかとも思っていた。レーナ、あなたに出会うまでは」
「ジャンルカ様」
「レーナと出会ってわたしは再び愛することを思い出した。レーナがわたしを受け入れてくれて、リベリオもアウローラもわたしの養子になってくれて、今はとても幸せだよ」
レーナの手を取って微笑むジャンルカに、本当にジャンルカとレーナは愛し合って結婚したのだとリベリオは改めて実感する。ジャンルカの話を聞いているエドアルドがどこか寂しそうに見えるのは、まだこの結婚を認められていないからなのかもしれない。
少しずつでもレーナとエドアルドが歩み寄って打ち解けてほしい。二人ともリベリオにとっては大事なひとになっているからこそ、そう思う。
「レーナ、つらいことかもしれないが、ブレロ子爵のことを聞いてもいいか?」
「ジャンルカ様が話してくださったのです、わたくしもお話しします。前の夫とは学園で同級生でした。わたくしも子爵家の娘だったので、同じクラスだったのです。共に学ぶうちにお互いを認めて、学園を卒業したら前の夫からプロポーズをされました。それを受けて、リベリオを授かり、出産したのです」
「ブレロ子爵は事故で亡くなったと聞いているが……。つらいことならば話さなくてもいい」
「いいえ、聞いてください。前の夫はリベリオの治療費を稼ぐために町に出ていたのです。そのときに馬車の事故に遭って亡くなりました。わたくしはアウローラを妊娠中で、夫の死を知って取り乱しました」
「レーナ……つらい話をさせてしまってすまない」
「アウローラを産んだ後に女の子だったから、リベリオも不治の病を抱えているしブレロ子爵家を継がせることはできないと実家に帰されたときには絶望しましたが、母に心を癒すために出席するように言われたお茶会でジャンルカ様と出会い、お互いの境遇を知るにつれて心惹かれて愛するようになったのです」
父の死についてはリベリオもはっきりと聞いたことはなかったが、そういうことだったのかと理解する。最後までリベリオのためにお金を稼ごうとして事故に遭って死んでしまった父。そのことを思うとつらく悲しいが、それを乗り越えられたからこそ今があるのだと思えばどうしようもないことだったのだと分かる。
リベリオが病にかかっていなければよかったのだとか、リベリオがいなければよかったのだとか考えないわけではないが、レーナはリベリオの父を亡くした後にジャンルカと出会ってまた幸せになろうとしている。
アウローラも生まれる前に亡くなって知らない父よりも、今優しくしてくれる義父に懐いているのだ。
「リベリオのせいじゃない」
「エドアルドお義兄様……」
一瞬でも自分が病にかからなければとか、自分がいなければとか思ってしまったことを見抜いたかのようにエドアルドがリベリオに言って来る。
見ていてくれるひとはいる。リベリオが悲しいときにそばにいてくれるひとはいる。
それを確かめられたかのようで、リベリオは泣きたいくらいに嬉しい気持ちで胸がいっぱいになっていた。