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9.ゾウさん如雨露

 エドアルドはリベリオに毎日魔力を注いでくれると約束した。

 その恩着に報いるためにリベリオが何かしたいと申し出ると、庭の薬草菜園の世話を一緒にするように言われた。


 庭の薬草菜園は亡くなったエドアルドの母親が大事にしていた場所だと聞いている。それを引き継いでエドアルドは薬草菜園を続けているのだ。

 そんな思い出の場所に関わらせてもらうことができるのだとありがたく思っていると、アウローラも一緒にすると声を上げる。三歳のアウローラは足手まといになるのではないかと思ったが、エドアルドはアウローラも受け入れてくれた。


「薬草菜園の世話は朝食前……起こしに行く」

「はい、必ず起きます!」

「あーたん、おちる!」


 気合を入れて翌日のためにその日は早く休んだ。特にリベリオはこれまで庭も散歩したことがないくらい体力が落ちているのだ。薬草菜園を管理するエドアルドの邪魔になりたくない。

 早朝の日がまだ登り切っていない時間にエドアルドはリベリオの部屋のドアをノックした。リベリオは先に起きていてメイドに畑仕事をするのにいい格好を教えてもらって、動きやすい長袖シャツと長ズボンに着替えていた。靴はアマティ公爵家に来るときに新しいものを与えられていたが、それまで使っていた古いものを使うことにする。成長期で足のサイズが変わっていて窮屈だったが、我慢することにした。


 アウローラも起こされて準備を整えて庭の薬草菜園に向かう。

 薬草菜園はガラス張りの温室になっていて、一年中薬草が育てられるようになっていた。

 夜の間温室を守るカーテンは、ボタン一つで全部開くようになっている。ボタンを押したエドアルドは桶に水を汲んできた。


「リベリオとアウローラは、これで水やりを」

「はい、分かりました」

「あーたん、おみじゅあげる!」


 当然リベリオの方が桶を持って、アウローラが柄杓を持つのだと思っていた。しかし、アウローラは果敢にも自分の体の半分くらいの大きさのありそうな重い桶の取っ手に手をかける。


「これは、わたしがやってあげる」

「あーたん、ちるのー!」


 こうなるとアウローラは言うことを聞かない。


「んぎぎぎぎ!」


 取っ手を両手で握って持ち上げるアウローラだが、上手く持ち上げられずに水を盛大にこぼしてしまった。


「アウたん……アウローラ、リベリオ、大丈夫?」


 心配して見に来たエドアルドの前で、アウローラを助けようとしたリベリオも巻き込まれて水でびしょ濡れになってしまった。


「ごめんなさい。このままでもお手伝いできます」

「あーたん、よごれてもいーふく、きてちたの」

「風邪を引く」


 このまま作業を続行できると主張しても、エドアルドは決して許さなかった。厳しい表情で言われてしまうと、部屋に戻って着替えるしかない。


「今日はいい」


 素っ気なく言われてしまって、心の距離が縮まりかけていたような気がしたのに、それがなくなったようでリベリオは悲しかった。アウローラもしょんぼりして部屋に戻った。

 着替えて朝食に行くと、エドアルドは作業を終えて朝食に遅れて来た。リベリオとアウローラがいたことで逆に邪魔になってしまったのではないか。そう思うリベリオだが、エドアルドは朝食の席でリベリオとアウローラに言った。


「夕方も、家庭菜園に」


 まだチャンスはもらえるようだ。


「今度こそ失敗しません」

「エドアルドたま、ごめちゃい。あーたん、じょーじゅにでちなかった」

「大丈夫」


 表情は凍り付いたままだが、言葉は優しくリベリオはエドアルドを見ていると胸がざわざわするのを感じた。

 身長は成人女性を超え、体付きもしっかりとしているエドアルド。黒髪に青い目で格好いいし、貴族のマナーが叩き込まれているのだろう、所作もとてもきれいだ。

 エドアルドの美しさに見とれていると、ジャンルカとレーナがリベリオに声を掛ける。


「食欲がないのかな?」

「朝から働いて疲れたのではないですか?」

「いいえ、平気です。エドアルドお義兄様はお義父様によく似ているのだと思って見ていました」


 高位貴族となると金髪や色素の薄いものが多いのだが、王族は全く違って黒髪に濃い色の目を持っていることが多かった。青から紫に移り変わるような不思議な目の色は、魔力が非常に高いことを示している。

 この国で漆黒ともいえる髪をしているのは王族くらいだ。そのためか黒はとても高貴な色としてこの国では重用されている。


 葬儀のときには黒ではなく灰色の衣装を纏うのも、この国では黒が王族の色だからだ。


「エドアルドはわたし以上の魔力を持っていると言われている。将来は偉大な魔法使いになるだろう」

「格好いい……」


 年上の男性に憧れる気持ちがあるように、リベリオはエドアルドに急速に惹かれている自分に気付いていた。

 こんな素晴らしく格好よく、家柄もよく、魔力も高い相手がリベリオを大事にしてくれる。薬草菜園で失敗をしても叱られることなく、夕方にも薬草菜園に誘ってくれる。

 氷の公子様と言われているエドアルドの心が実は先見の目の能力により傷付き、表情も乏しくなってしまったにもかかわらず、とても優しいのだと知ってしまうと、リベリオはエドアルドを義兄として慕う気持ちが強くなった。


「エドアルドたま、やたちー」

「アウローラ、エドアルドお義兄様はわたしたちのお義兄様なのだよ」

「エドアルドたま、にぃに?」

「お義兄様と呼びなさい」

「エドアルドおにいたま!」


 無邪気にエドアルドに微笑みを向けるアウローラに、エドアルドが静かに頷いたのが分かった。「お義兄様」なんて馴れ馴れしく呼ぶのを嫌がっていたかとも思っていたが、全くそのようなこともなかったようだ。

 エドアルドはリベリオとアウローラを受け入れてくれている。


 朝食の後にエドアルドはリベリオの部屋を訪ねてくれて、リベリオに魔力を注いでくれた。

 大きな手にリベリオの小さな手が包まれて、温かな魔力が流れ込んでくると、リベリオは活力を得る。


「エドアルドお義兄様、ありがとうございます」

「礼など……。ぼくはお兄ちゃん」

「え?」


 エドアルドが「お兄ちゃん」と言ったような気がする。

 聞き間違いかもしれない。高貴なエドアルドが自分のことを庶民のように「お兄ちゃん」と言うはずがない。これはリベリオが聞き間違えてしまったのだ。


「夕方にはお役に立ちます」

「リベリオ……」


 決意を込めて告げるリベリオに、エドアルドは僅かに口角を上げた気がした。その笑みがあまりにも儚げで、リベリオは胸を内側からぎゅっと掴まれたような気持になる。


 これまでの苦しみがエドアルドにそんな風な表情をさせるのか。

 先見の目を持って生まれてしまったことはエドアルドをそんなにも苦しめて来たのか。


「ぼくが役に立つ」

「エドアルドお義兄様は十分よくしてくださっています」

「薬草で」

「薬草でまで!?」


 魔力を注いでもらえるだけでリベリオは普通の九歳児のように動けるようになったというのに、更に薬草菜園の薬草を駆使してまでエドアルドはリベリオを救おうとしてくれている。先見の目を持つエドアルドにはどんな薬草がリベリオに効くのか見えているのだろうか。

 それを予見して、最初からそのために薬草を育ててくれていたのだろうか。


 エドアルドの限りない優しさに触れた気になって、リベリオは感謝で言葉も出なかった。


 夕方の薬草菜園の世話には、エドアルドが桶と柄杓ではなく、如雨露を用意してくれていた。その如雨露はリベリオやアウローラでも使いやすい大きさだったのだが、ゾウの形をしていて、ゾウの鼻から水が噴き出るような仕組みになっていた。

 リベリオのゾウの如雨露が青で、アウローラのゾウの如雨露が水色だ。


「水汲みはいらない。魔法がかかっている」

「ありがとうございます」


 朝にアウローラが水を零してしまったことを気にしてくれたのだろう。

 それにしてもなぜゾウなのか分からないが、水汲みがいらなくて水が湧き出る仕組みになっているため、使いやすさは間違いないので、リベリオはそれをありがたく受け取った。


「にぃに、ゾウたん! かーいーね」

「そうだね、アウローラ」


 きっとアウローラを喜ばせるためにゾウにしたのだろう。アウローラはリベリオとお揃いでないと気が済まないところがあるから、それも見抜いていたのかもしれない。

 さすがは先見の目を持つエドアルドは違う。

 そう思いながらリベリオはアウローラと薬草菜園の水やりを始めた。


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