初顔合わせがあった翌日に、ジャンルカはリベリオを専門の医者に診せる手はずを整えていた。大事なリベリオが医者の精密検査を受けて、治る可能性があるかもしれない。そうでなくとも、エドアルドはリベリオを助けたかった。
(こんな夜に寝ていられるわけがない! リベたんは今も苦しんでいるんだ! 頑張れ、ぼく! やればできる! 自主練だ!)
ジャンルカの書庫から借りて来た魔法書を手に取り、エドアルドは魔法の操作の仕方を夜の自分の部屋で一人で練習していた。元々エドアルドは十歳の時点で学園に入学できるだけの能力はあると言われて、十二歳の今では学園の四年生くらいの知識はあると家庭教師のお墨付きなのだ。
魔力核も魔力臓も体の成長に伴って成長していくが、体自体がもう成人の女性を超えるエドアルドの魔力核と魔力臓はしっかりと普通の大人サイズには育っていると家庭教師が言っていた。
後は学園に入って魔力の操作を覚えるだけだったが、それも少し早くしてもいいのではないだろうか。
冬生まれのエドアルドは、春の今、十二歳で秋には学園への入学が決まっている。学園では魔力の操作を一番に覚えるのだから、それが少し早くなったところであまり変わりはない。体も魔力核も魔力臓もしっかりと育っているのだから問題はないだろう。
(これはリベたんへの愛! ぼくからのリベたんへの愛! ぼくはかわいい弟のリベたんを救うために魔力を制御するのだ!)
リベリオのためと思うと自主練にも力がこもる。
魔力を魔力核で練り上げて、魔力臓から引き出して手の平を通じて相手に渡す。
最初は魔力がうまく練り上げられなかったり、魔力臓から魔力が引き出せなかったりしたが、窓の外が白み始めるころには、エドアルドは自分の魔力をある程度は操作できるようになっていた。
アマティ公爵家の厳しい家庭教師をして全てにおいて非の打ち所がない天才と言われるエドアルドは、実のところ努力の鬼であり、その努力がリベリオのために遺憾なく発揮されたのだ。
(これでリベたんは少しは楽になるはず。あぁ、ぼく、グッジョブ! きゃわいいリベたんをもうあんな風に泣かせたりしない! リベたんが泣くときは、嬉し泣き以外認めない! ぼくがリベたんを守るんだ!)
心に誓うエドアルドは朝食までの短い時間を疲れた体を休ませるためにソファに横になった。ベッドで寝てしまうと寝坊しそうな気がしたのだ。
二時間程度の睡眠をとって、エドアルドは朝食の席に着いた。朝食は毎日家族で取るようにジャンルカが決めているが、リベリオはベッドから起き上がれない日も多いので、無理をさせず部屋で食べている。
(かわいいリベたん。一人きりで朝ご飯を食べて、寂しいに違いない! お兄ちゃんが一緒にお部屋で食べてあげたい。リベたんが食べられないときには「あーん」してあげるから! あ、九歳のリベたんに「あーん」はダメ? 恥ずかしがっちゃう? お兄ちゃんがしてあげたいのにー!)
そんなことを考えて脳内で悶えているときに、アウローラがフォークをうまく使えなくてレーナに食べさせてもらっているのを見て、エドアルドは身を乗り出しそうになってしまった。
(アウたんは「あーん」可なの!? え!? ぼくにさせてくれない? ぼくがしたいんだけど? どうすればさせてくれる? 土下座? 土下座なの!?)
「ママ、おまめたんがにげちゃうの」
「食べさせてあげましょうね」
サラダの豆を上手に食べられないアウローラが言うと、レーナがお口に運んでいる。
「あーん……」
(なんて尊い「あーん」! 乳母任せにしないレーナ様の優しさが伝わってくる! ぼくはここに割り込むことなんてできない! やっぱり、リベたんに「あーん」したいなぁ。リベたんと食事がしたい。お茶もしたい。そのためには、リベたんに魔力を注いで元気になってもらわなくちゃ!)
エドアルドが呟いたことで、レーナが「アマティ公爵家の女主人自ら娘に食べさせるなんてこと、エドアルド様は軽蔑なさったでしょうか?」と落ち込み、それをジャンルカが「そんなことは気にせずに、今まで通りにしていいんだよ」と慰めているのは頭の中で自分を鼓舞しているエドアルドには届いていなかった。
朝食後に現れた医者の検査の結果を、エドアルドも同席してどうしても聞きたいとジャンルカに頼んだ。
「ぼくも、リベリオが……」
(リベたんの検査結果を聞かないなんてない! それがどれだけ残酷な結果であろうとも、ぼくはリベたんのお兄ちゃんなのです! リベたんを救うために何ができるかをしっかりと聞いておかなければ!)
同じくしてアウローラが泣き喚いて同席すると駄々をこねた。
「にぃにのおはなち、あーたんもきくのー! あーたんのにぃになのー! にぃに、だいすちなのー!」
「アウローラ……リベリオのことが心配なんだね。意味は分からないかもしれないけれど、レーナと一緒にリベリオの診察結果を聞こう。アウローラもわたしたちの家族なのだから。もちろん、エドアルドもだ」
アウローラが駄々をこねたおかげでエドアルドも話を聞けるようになって、エドアルドはアウローラに心から感謝した。
医者の告げたことは惨かった。
リベリオは魔力を溜める魔力臓が病で壊れていて、どれだけ魔力を注いでも、薬で魔力を補っても、魔力臓自体を癒すことができない限り、魔力は漏れ続けて、何歳まで生きられるかも分からない状態だそうだ。
それを聞いた瞬間、エドアルドは心の中で号泣していた。
(うわぁぁぁ! なんて酷いんだ! 神様はかわいいリベたんに何という試練を与えたのだ! リベたんが何をしたって言うんだ! リベたんの魔力臓が壊れているなら、ぼくが魔力を注ぎ続けよう! リベたんは絶対に死なせない! ぼくの愛する弟なんだから!)
心の中で号泣してしまったエドアルドと対称的に、リベリオは落ち着いていた。
どういうことだろう。
九歳なのだから医者の言ったことが分かっていないとは思えない。特にリベリオはとても賢い子と聞いている。
医者の話を聞いてジャンルカがエドアルドに魔力の操作を覚えるようにお願いしたが、それに対してエドアルドは強く頷いた、つもりだった。実際には僅かに顔が動いただけだったのだが。
(お父様、任せてください! このエドアルド、昨日の夜のうちに自主練をして、魔法の操作はバッチリ習得しています! 愛するリベたんのためならば、例え火の中水の中! ぼくはなんでもするのです!)
その意思を込めて「はい、お父様」と答えたのだが、リベリオはそれを遠慮しようとしてくる。
(あぁ、リベたん。やっぱり、リベたんは天使なんだね。自分がどんなに苦しかろうとも、ぼくのことまで気遣ってくれて。そんな天使のリベたんのためなら、お兄ちゃん、魔力が枯渇しても後悔はない! リベたんが元気に過ごせるだけの魔力を毎日でも注ぐよ! はっ! これは新しい形式の「あーん」では!? ぼくの魔力をリベたんの体に「あーん」する! なんてことだ! こんな素晴らしい「あーん」があっただなんて!)
医者の話を聞けば、魔力を注げばリベリオは学園に通えるようにもなるかもしれないとのことだ。学園に自分が通っていいのかと遠慮がちなリベリオはどうしてこんなに落ち着いていられるのだろう。
自分の命が危ういことを知って、取り乱してもおかしくはないのに。
医者の言葉を聞いても運命と受け止めてしまうくらいにリベリオは自分の命を諦めているのだろうか。
(ダメ! リベたん! 諦めないで! お兄ちゃんが助けてあげる! お兄ちゃんは一生リベたんに魔力を注ぎ続けてもいい! リベたんが少しでもよくなるようにぼくの薬草菜園の薬草も、魔力も、全部全部捧げる! ぼくの命すらも捧げても構わない! かわいいリベたん! 生きることを諦めないで!)
その思いを込めて「ぼくの薬草菜園……薬草……魔力……全部」と呟いたエドアルドに、リベリオは顔色を変えて遠慮してくる。
何をそんなに遠慮することがあるのだろう。
もうリベリオとエドアルドは兄弟ではないか。家族ではないか。
倒れそうになっているリベリオの手をエドアルドは握り締める。
(リベたん、受け取って! お兄ちゃんからの渾身の魔力の「あーん」! 本当は食事も「あーん」してあげたいんだけど、リベたんはもう九歳だから嫌だよね? でも魔力なら受け取ってくれるはず!)
魔力を注ぎ込んだエドアルドに、リベリオは驚いている。
(驚いたでしょう? よかった、夜に自主練しておいて。これでリベたんは少しは楽になるはず)
満足のあまり笑顔満面になったはずのエドアルドだが、実際には口角が少しだけ上がって、儚い笑みを浮かべたように見えただけだった。
魔力を受け渡すエドアルドとリベリオを見て医者が驚いている。
「魔力臓が満たされていく!? もしや、アマティ公爵様の御子息同士は魔力の相性が非常によいのではないでしょうか?」
「本当か? エドアルドが魔力を操作できたとは知らなかったが、大事な弟のためにいつの間にか習得していたのだな」
「これならば、毎日一回魔力を注ぎ込めば、病の御子息は外出もできますし、普通の子どもと同じように過ごすことができるようになるでしょう」
医者の言葉に一番驚き喜んだのはエドアルドだった。
(ぼくの魔力がリベたんと相性がいい!? なんてことだろう、神はぼくを見捨てなかった! リベたん、安心して! ぼくは毎日リベたんに魔力を注ぐよ! そしたらリベたんと一緒に食事ができて、お茶もできて、もしかするとドキドキわくわくの旅行とかできるんじゃない!? お父様、リベたんと旅行に行きましょう! これまでリベたんが病のせいでできなかったことをいっぱいするのです!)
リベリオとエドアルドの魔力の相性がよくて、一日一回魔力を注げばリベリオが普通の子どものように行動できるのであれば、エドアルドはリベリオとしたいことがたくさんあった。
「リベリオ、ぼく、毎日魔力を注ぐ」
「エドアルドお義兄様……」
手を握ったままリベリオに語り掛けると、感激したリベリオが手を放してエドアルドの胴に抱き着いてくる。
(リベたんのハグ、いただきましたー! ありがとうございますー! お兄ちゃんは天にも昇る心地ですー!)
リベリオと心が通じたようで、エドアルドはふわふわのリベリオの髪を撫でながら、幸せに浸っていた。