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4.ハンカチを貸した本人は

 倒れたリベリオが目を覚ますまで、エドアルドは生きた心地がしなかった。

 せっかく兄弟になれたかわいいかわいいリベリオが、死んでしまうかもしれない。それを思うだけで胸が痛く、号泣しそうになってしまう。


 リベリオを診た医者は初めて話を聞くエドアルドがいるのに気付いて、リベリオの病状を詳しく教えてくれた。


「普通の方は魔力を使うと、それが睡眠や休息によって回復します。しかし、リベリオ様は普段でも魔力が漏れ出していて、常に魔力が枯渇状態なのです。魔力は生命力にも繋がります。魔力がなくなってしまえば、我々は生きていけない。薬や魔力のあるものの魔力を注ぐことによって、リベリオ様はぎりぎりの状態で命を繋いでいるのです」


 不治の病だと聞いていたし、魔力が枯渇するのだとも聞いていたが、そんなにも危険な状態だったとは。

 それを見せないようにして健気にお茶に参加していたリベリオに、エドアルドは心の中で号泣していた。表情筋が仕事をしないので、周囲から見れば無表情だったが。


(リベたん……神よ、こんなに幼くてかわいいリベたんになんという過酷な運命を背負わせるのですか! ぼくはあなたを憎みます! リベたんが何をしたというのですか! あぁ、かわいいかわいいリベたん。早く目を覚まして。蜂蜜みたいなきらきらしたお目目を開けて。お兄ちゃんはここにいるよ)


 ちなみに、エドアルドの中でリベリオに対する自分の立ち位置は「お兄ちゃん」で決定したようである。


 目を覚ましたリベリオが一番にしたことは、お茶の時間を台無しにしたと、ジャンルカに謝ることだった。

 あのお茶の時間はエドアルドと、レーナとリベリオとアウローラの初顔合わせでもあったのだ。そのときに倒れてしまって初顔合わせを台無しにしたと反省するリベリオ。


(あぁ、リベたん! なんて尊い心の持ち主なんだ! 自分は命の危機にあったというのに、お兄ちゃんとの初顔合わせを気にするだなんて。大丈夫だよ、お兄ちゃんはしっかりとリベたんのことも、アウたんのことも分かったし、お義母様……と呼ぶのは馴れ馴れしいから口に出すときはレーナ様と呼んでおくけれど、心の中ではお義母様と呼ばせてもらう……とも、お話しできたし、リベたんが責任を感じることは何もないんだよ)


 かわいく愛しい新しい弟が立派すぎて、今度は感動の涙が出てきそうだ。思わず目頭を押さえたエドアルドが、沈痛な面持ちで眉間を揉んでいるように見えているというのを本人は気付いていない。


 それだけでなく、リベリオはエドアルドにまで謝ってきた。


(リベたん、お兄ちゃんはそんなこと全く気にしていないよ。むしろ、頑張り屋さんのリベたんのことがよく分かって、素晴らしい顔合わせだったくらいだよ。どうか気にしないで。体は大丈夫?)


 これだけの思いを込めて口に出せたのは「体は?」という単語だけだったが、リベリオは健気にそれにも大丈夫だと返してくる。


(あぁ、お兄ちゃんの育ててる薬草がリベたんの体に劇的に効いたりしないだろうか。お兄ちゃんはこの日のために亡きお母様から薬草菜園を受け継いだのかもしれない。薬草を! リベたんを少しでも楽にする薬草を早く探してあげないと!)


 リベリオのために薬草を探してあげたい。

 その思いが「薬草を……」の一言に込められていたのだが、それをリベリオが違う方向に考えていたとはエドアルドは全く知らなかった。

 エドアルドに謝って泣き出してしまったリベリオに、エドアルドは焦る。


(やっぱり、お兄ちゃんの動きが遅いのが悲しいの!? 今すぐにでも薬草を持ってきた方がいい!? お兄ちゃん、リベたんのためなら何でもできるよ! 今すぐ薬草を……あぁ、でも泣いてるリベたんを置いていけない! リベたん、泣き顔まで天使のようにかわいいんだから! ダメ! 泣き顔を凝視してたら、ただの変態だよ! お兄ちゃんは変態じゃなくて、リベたんの頼れるお兄ちゃんになりたいんだからっ!)


 泣いているリベリオをそのままにしておけないと言えた言葉は「泣かないで……」だけだったが、ハンカチを差し出せば、リベリオはそれで涙を拭いて、自分で洗って返すという。

 そんなことをさせるわけにはいかない。リベリオの自分でお礼をしたい気持ちはとても立派だし、尊重してやりたいのだが、今のリベリオは倒れたばかりなのだ。

 命の危機まである病に侵されていながら、リベリオは必死にエドアルドに好意を見せようとしている。


(そんなことしなくても、リベたんのお兄ちゃんの評価は百点満点を超えて一億点、いや、無限なんだから、気にしなくていいんだよ! そんなことよりも自分の体を大事にして! リベたんがまた倒れるようなことがあったら、お兄ちゃんは一緒に倒れてしまうかもしれない。いや、倒れてなんかいられない! リベたんを少しでも楽にさせるんだ!)


 「必要ない」とも「洗濯は使用人がすることだ」とも言っても、リベリオの決意が変わることはない。それならばリベリオの思う通りにさせてあげよう。それがリベリオのためになるのだろう。


(リベたんがお兄ちゃんのハンカチを洗ってくれる。そのハンカチは尊すぎてもう使えないのでは!? リベたんが手ずから洗ったハンカチ、その価値、無限大! お兄ちゃんはハンカチを家宝にすればいいの!? 額に入れて飾ればいいの!? そんな大事なもの誰にも見せないでしまっておきたい)


 エドアルドの頭の中で再びパレードが始まりそうになったところで、ジャンルカがリベリオが休めるように他の全員に退室を促した。

 言われてみれば倒れて意識を取り戻したばかりのリベリオの部屋に長居をするのはよくない。リベリオの容体が非常に心配だったが、エドアルドは後ろ髪引かれながらリベリオの部屋を後にした。


 リベリオの部屋を出るとき、暴れて出たがらないアウローラのために、ジャンルカがアウローラの部屋の話をして気を引く。純真な三歳児のアウローラはすぐに自分の部屋に興味が移ってしまった。


 ジャンルカとレーナと一緒にアウローラに部屋を案内するエドアルド。

 アウローラとはお茶の時間にお茶菓子を取り分けてあげたし、椅子から落ちそうになっているのを抱っこしてあげたので、少しは打ち解けられていると思いたい。

 リベリオと同じ作りの広い一人部屋に入って、アウローラは蜂蜜色の目を輝かせていた。


「おっちい! じぇんぶ、あーたんのおへや?」

「そうだよ。寂しくないようにリベリオの部屋の横にしたからね。作りもリベリオの部屋と全く同じだ」


 いい木材をよく磨いて作られた飴色の机と座り心地のいい椅子。布張りのふかふかのソファとローテーブル。大きくなっても使えるようにリベリオと同じ大きさのベッド。ベッドサイドのテーブルとそこに置かれたガラス細工のランプまでアウローラの部屋はリベリオとお揃いだった。


「ママ、あーたんのおへやなの! あーたん、ここでねんねちていーの?」

「アウローラもリベリオもこれまで自分の部屋を持ったことがありませんでしたからね。自分の部屋を持ててよかったですね」

「パパ、あいがちょ。あ! ベッドにウサギたんがいる!」


 ベッドに置かれたウサギのぬいぐるみは、リベリオと違う点だった。

 リベリオの部屋にはクマのぬいぐるみが置いてある。どちらも魔法具を作る職人が一つ一つ手作業で作ったもので、健康な安眠をもたらす魔法がかけられている。


(リベたんもクマさんのぬいぐるみ、気に入ったかなぁ? あれ、お兄ちゃんが選んだんだよ。リベたんにはかわいいクマさん、アウたんにはかわいいウサギさん。かわいいリベたんがかわいいクマさんのぬいぐるみを抱っこしていたら、かわいさが倍増されるよね! あぁ、その光景をお兄ちゃんは見たい! リベたんは病気で休んでいるんだから、今は見られないけれど、いつかは必ず見てやる! リベたんとクマさんの姿、アウたんとウサギさんを添えて、肖像画に描いてもらってお兄ちゃんの部屋に飾りたい!)


 興奮しすぎて鼻血が出そうになって、そっと鼻を押さえるエドアルド。

 その仕草が、妹を認められない苦悩を示しているように周囲に移っていることをエドアルドが知ることはない。


(ここで鼻血出したら、お兄ちゃんじゃなくてただの不審者だよ! アウたんのお部屋も汚しちゃうし! 頑張れ、ぼくの鼻の粘膜! お前ならやれる! 我慢できるはずだ!)


 鼻の粘膜を鼓舞し、鼻血が出ないように耐えているエドアルドが、認められない継母と妹に対して厳しい表情を隠そうとしているかのように見えているのだが、エドアルド本人はそれどころではなかった。

 今鼻血を吹いて倒れたら、アウローラからもレーナからも不審者だと思われてしまう。


 その話はリベリオにまで到達するかもしれない。


(不審者になりたくない! ぼくはお兄ちゃん! リベたんとアウたんを愛する、お兄ちゃんでいたい! 鼻の粘膜よ! どうか頑張ってくれ!)


 鼻血を吹きたくなくて必死に耐えるエドアルドに対して、レーナが目を伏せて申し訳なさそうにしていたのを、エドアルドは気付かなかった。


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