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3.エドアルドのハンカチ

 目を覚ましたとき、リベリオはベッドに寝かされていて、ジャンルカがリベリオの手を握って魔力を注ぎ込んでくれていた。

 魔力が枯渇するのは体質に近いもので、一生治らないと聞かされたときには、両親が絶望していたのを幼いリベリオはよく分からずに聞いていた。こういう体質では普通は溜めて置ける魔力が常に枯渇状態にあるので将来魔法を使うこともできないだろう。それが分かっていたからこそ、ブレロ子爵家はリベリオを後継者にはできないと、父が亡くなった時点でレーナとリベリオとアウローラを実家に帰してしまったのだ。


 本当ならばアウローラはブレロ子爵家に奪われるはずだったが、レーナが必死に守って一緒に連れ帰った。

 アウローラは小さくてまだ魔力を測ることもできないが、子爵に相応しい程度の魔力は持っているのではないかと思われていた。


「せっかくの顔合わせだったのに、ごめんなさい、お義父様」


 魔力を注ぎ込まれて体を起こせるようになると、謝るリベリオにジャンルカは微笑みを見せる。


「無事でよかった。緊張していたので倒れてしまったのだろう。これからはすぐにわたしが魔力を注げないこともあるから、薬は飲んでおきなさい」


 枕元に用意された薬を受け取って、リベリオは水で錠剤を流し込む。魔力を注ぎ込んだ薬は決して安価なものではなく、子爵家の財産をもってしてもリベリオが普通の子どもとして生きられるだけの量は処方してもらえなかったが、これからリベリオはアマティ公爵家の義理の息子となるのだ。アマティ公爵家の財産をもってすればリベリオが普通に暮らせるだけの薬を処方してもらえる。


 ジャンルカの包容力に心癒されたのもあるだろうが、レーナは結婚してジャンルカに援助してもらわなければこれから成長して魔力が強くなり、ますます薬が必要となるリベリオの治療のためにも再婚という道を選んだのだ。

 それが打算であると周囲に非難されることも覚悟していたが、まず息子であるエドアルドの理解を得られていないようにしか見えないので、そこから努力していくしかない。


 エドアルドは部屋の隅でリベリオをじっと見つめていた。


 アマティ公爵家の財産目当てでレーナがジャンルカと再婚すると思っているのだろうか。

 冷たいその視線は、リベリオを責めるかのようだった。

 周囲に何を言われても仕方がないのだが、家族となるエドアルドには心を開いてほしい。それは贅沢な願いなのだろうか。


「エドアルド様……大切な顔合わせで倒れてしまってすみません」

「体は?」

「お義父様が魔力を注いでくれて、薬も飲んだので落ち着きました」

「薬草を……」

「え?」


 エドアルドは凍った表情のままでリベリオを見下ろしている。

 ジャンルカは男性としてもとても大きいのだが、ジャンルカによく似たのだろう、レーナよりも長身のエドアルドは立っていると頭の位置がとても高い。ベッドに座っている九歳のリベリオは、体の弱さもあるのか年齢の割りにとても小柄だった。

 見降ろされて睨み付けられているようで落ち着かない。


 ジャンルカの魔力も薬もリベリオには贅沢すぎる。薬草でも煎じて飲んでおけとエドアルドは言ったのだろうか。


「エドアルド様……ごめんなさい……」


 どうしても受け入れてもらえない悲しさにリベリオの目に涙が浮かんでくる。駆け寄ってきたアウローラが、ほとほとと涙を零すリベリオを見上げて蜂蜜色の目を見開く。


「にぃに! だれがにぃに、いじめたの? あーたんが、め! ちてあげる!」

「だ、大丈夫だよ、アウローラ。初めての場所で、わたし、緊張してるだけだと思う」


 必死に手の甲で涙を拭っていると、すっとハンカチが差し出された。そのハンカチを持っている手の持ち主がエドアルドであることにリベリオは驚く。


「あ、ありがとうございます」

「泣かないで……」


 泣くと鬱陶しいから早く泣き止めと言うことなのだろうか。

 洟を啜って涙をハンカチで拭くと、ハンカチからはいい匂いがしていた。


「これ、洗って返します」

「必要ない」


 涙を拭ったハンカチをぎゅっと握り締めると、エドアルドはそれをリベリオの手から取り去ってしまおうとする。


「で、でも、エドアルド様のハンカチをお借りしたのです。わたしに洗って返させてください」

「洗濯は使用人がすることだ」


 お前は使用人以下ではないかと言われたようでリベリオの胸が冷たくなっていく。

 また泣いてしまってはエドアルドを更に怒らせる。唇を嚙んで我慢するリベリオに、ジャンルカが見かねて声を掛けてくれる。


「まだ目覚めたばかりなのだから、夕食までゆっくり休んでいなさい。エドアルド、リベリオを一人にしてあげよう」

「リベたん……」


 リベたん?

 アウローラのことも奇妙な呼び方で呼んでいた気がするが、エドアルドの口から奇妙な呼称が出て、リベリオは混乱してしまう。

 決してリベリオのことを認めない、許さないとでも言うように、何度も振り返りながら部屋から出て行ったエドアルドに、リベリオは一人部屋に残されてやっと息をつく。

 アウローラは「にぃに! にぃにといっちょにいるのー!」と暴れていたが、「リベリオは体調が悪いのだから休ませてあげるのです」とレーナに諭されて連れて行かれてしまった。


 なんとかリベリオはエドアルドの鋭い視線から逃れることができたがアウローラは大丈夫なのだろうか。リベリオのいないところでエドアルドに失礼なことを言っていないだろうか。

 アウローラは空気を読むなんてことができないまだ三歳の小さな妹なのだ。リベリオが守ってやらなくてはいけなかった。


「アウローラにも部屋を用意しているよ、見に行こう」

「あーたんのおへや?」

「そうだよ。アウローラだけの部屋だ」


 ドアの外から聞こえてくる声に、アウローラの興味が自分の部屋に移ったことにリベリオは安心する。ブレロ子爵家でも、戻されたレーナの実家でも、リベリオもアウローラも自分の部屋というものを持ったことがなかった。

 ベッドに腰かけたまま周囲を見回してみると、ここがリベリオのために用意された部屋だということが分かる。

 リベリオの体に合わせたベッド、ベッドサイドのテーブルにはガラスで装飾されたランプが置いてあって、部屋には立派なよく磨かれた飴色の机と座り心地のよさそうな椅子、それにソファとローテーブルまである。

 広い豪華な部屋に驚いていると、枕元に置かれたクマのぬいぐるみに目が行った。

 リベリオはもう九歳で、ぬいぐるみに喜ぶような年齢ではないのだが、そのぬいぐるみはとてもかわいくて、手を伸ばして触れるともふもふとしてとても手触りがいい。

 目にはガラスのビーズが使われているようだが、よく見てみると、見る角度によって青から紫に色を変えるそれはとても高価そうだった。


 ジャンルカがリベリオのために準備してくれたのだろうか。

 後でジャンルカにお礼を言わなくてはと思いながら、リベリオはベッドに横になって少し休んだ。握り締めていたハンカチはぐしゃぐしゃになっていたが、花の香りがして、それを嗅いでいると心が落ち着くようだった。


 使用人のするようなことだと笑われてもいい。

 ハンカチを差し出したのがエドアルドの歩み寄りならば、リベリオはそれに縋りたいような気持があった。


 休んで息を整えてから、リベリオは洗面所に行ってハンカチを石鹸で洗った。ブレロ子爵家でもリベリオの治療薬のせいで財政がひっ迫していたし、レーナの実家でも気軽に洗濯を言いつけるようなことができなかったので、ハンカチなどの小物は自分で洗っていたし、服は下着だけ着替えて数日同じものを着る日もあった。

 これからはそんなことはしなくていいのだと言われても、リベリオは父が生きていたころの日々も、レーナの実家で過ごした日々も忘れられなかった。


 洗い終わったハンカチは窓辺の風通しのいい日当たりもいい場所に干しておく。

 まだ日の出ている時間なので、すぐにハンカチのような薄くて小さなものは乾いてしまうだろう。


 エドアルドにハンカチを返せるだろうか。

 二人きりになったときにエドアルドの視線がこれまで以上に厳しくなるのかと思うと、怖気づいてしまうリベリオだった。


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