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2.氷の公子様(の内情)

 エドアルドは非常に難産で生まれてきて、産褥で母を亡くしている。

 若くして妻を亡くした父のジャンルカは、ずっと再婚するように勧められていたが、母のことが忘れられずに独身を貫いていた。

 ジャンルカは王弟でいずれ宰相になるであろうと言われている人物で、領地の経営から王都での仕事まで非常に忙しかった。

 そんな中でも息子のエドアルドとの触れ合いの時間は持とうとしてくれていたが、それはどうしても少なくなってしまっていた。

 エドアルドの表情筋が動かないことに、エドアルド自身はあまり気付いていない。エドアルドの乳母のルイーザ・チリーノがエドアルドを次期公爵となるように厳しく育てた、というわけでもなく、愛情深く育ててくれたのだが、不思議とエドアルドの表情筋は動きが悪く、口数も非常に少なく育ってしまった。


 そんなエドアルドが十二歳のときに父のジャンルカが再婚した。再婚した相手はレーナ・ブレロという子爵家の未亡人で、二人の子どもがいることは、エドアルドもジャンルカから聞いていた。

 結婚のためにレーナと子どもたちがアマティ公爵家に住むことになったとき、エドアルドは心の中で小躍りして喜んでいた。


 自分に弟妹ができる。

 弟のリベリオは九歳、妹のアウローラは三歳だ。


 リベリオは魔力が枯渇する病にかかっていて、それが生涯治ることはないだろうと言われているのだが、エドアルドが魔力を使いこなせるようになればリベリオに魔力を分けて少しでも健康に生きてもらえるようにできるだろう。


 亡き母が庭に作っていた薬草菜園をエドアルドは引き継いで世話をしていたが、そこで採れる薬草もリベリオの回復に役立つかもしれない。


(リベリオとアウローラ。きっと可愛いんだろうなぁ。呼び方は「リベたん」と「アウたん」にしようかな。いやいやいや、リベたんはもう九歳。そんな呼び方をされたら、恥ずかしがるかもしれない。よし、この呼び方はぼくの心の中だけにしよう)


 浮かれ切ったエドアルドがそんなことを考えているとは、表情筋が全く動かないので周囲は知ることはないのだった。


 顔合わせはお茶の時間に行われた。

 椅子に行儀よく座っているレーナとリベリオとアウローラの姿を見た瞬間、エドアルドは雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。


(きゃわいいー! なんてかわいい子たちなんだ! これは天使! 間違いなく天使! 天が遣わした神の子! その甘い蜂蜜のようなきらきらとした巻き毛、同じ色の瞳、ぼくの弟と妹は天使だった! お父様、再婚してくれてありがとう。神よ、この再婚に祝福を!)


 興奮しすぎて鼻血を出さないかエドアルドは心配になって、そっと鼻を押さえてしまった。


(頑張れ、ぼくの鼻の粘膜! 初対面で鼻血を吹いてしまったらただの不審者だからな! いくらリベたんとアウたんがかわいいとはいえ、鼻血はまずい!)


 必死に鼻血を堪えるエドアルドの表情が、氷のように凍てついていて、顔に手を当てる仕草が苦悩しているように見えたのにエドアルドは気付いていない。

 リベリオがエドアルドに対して挨拶してくれたときも、アウローラがその挨拶の意味がよく分かっていなくて、「にぃにはにぃにだけよ?」なんてかわいいことを言っているときも、エドアルドの興奮は最高潮で、頭の中で喜びの神に捧げるダンスを踊っていた。

 その上、リベリオはエドアルドのことを「お義兄様」と呼んでくれようとしたのだ。


「別に……」


 そのときに出た言葉はそれだけだったが、エドアルドの頭の中ではパレードが始まっていた。


(リベたんがぼくを「お義兄様」と呼んでくれた! 別に無理しなくてもいいんだからね! なんて言っちゃったけど、ものすごく嬉しい! 今日のことは一生忘れない! 今日はリベたんがぼくのことを「お義兄様」と呼んでくれた「お義兄様記念日」に制定すべきだ!)


 それにしても緊張している面持ちのリベリオがエドアルドは心配でならなかった。

 リベリオは病を患っているはずだ。時折胸をぎゅっと押さえているが、苦しいのだろうか。


 自分が魔力を扱うことができれば、少しでも楽になるように魔力を注ぎ続けるのに。

 例えエドアルドの魔力がすべて失われても後悔はしない。かわいいリベリオが苦しんでいるのよりも、自分が倒れる方がどれだけマシか。


 自分の無力さを味わっていると、レーナがエドアルドに話しかけて来る。

 レーナはエドアルドのことを「エドアルド様」と呼んでいた。


(あぁ、新しいお義母様。ぼくはこんなにもあなたを歓迎しているのに、どうしても最初はそうなりますよね。大丈夫です。ぼくは子どもではありません。ちゃんと分かっています。それでもいつか、お義母様がぼくのことを「エドアルド」と呼び捨てにしてくれる日を待ちます)


「お義母様……いや」


 まだ早い。

 「お義母様」とレーナのことを呼びたかったが、今はレーナと出会ったばかりだし、馴れ馴れしすぎするのではないか。そう思い言い直すエドアルドに、なぜかレーナは悲しそうな顔をしている。

 誰がそんな顔をさせているのだろう。

 それが自分とは全く気付かぬまま、エドアルドは父とレーナの会話を聞くことになる。


 エドアルドとしては完全にレーナとリベリオとアウローラを歓迎しているし、三人がアマティ公爵家に来てくれて心は喜びのパレードに沸いている。それなのに、なぜかそれが全く伝わっていない。


(これはぼくに課せられた試練!? お義母様と打ち解けるのにはまだ早いということ!? 大丈夫、ぼくは決してめげない! お義母様とリベたんとアウたんと仲良しになってみせる!)


 心の中で強く誓うエドアルドだが、その表情が全く動いていないどころか、苦悩しているようにすら見える。


 そのうちにお茶のお菓子に気を取られたアウローラが椅子から転げ落ちそうになって、エドアルドはその小さな体を抱き留めて椅子に戻した。


(小さい!? 柔らかい! いい匂いがする! アウたんはやはり天使だった! リベたんのふわふわの髪もなでなでしたい。すべすべほっぺをつんつんしたい。そんなことしたら、「お義兄様嫌い」って言われちゃうだろうか。リベたんはもう九歳、複雑なお年頃だもんね。「お義兄様嫌い」なんて言われたら、立ち直れない!)


 心の中では感情豊かに話しているのに、表情が全く動かない上に言葉も美味く出てこないエドアルドだが、アウローラはエドアルドを恐れずにお茶菓子を取ってほしいとお願いした。

 アウローラのためならばどれだけでも取るのだが、食べ過ぎて夕食が入らなくなっても困るので、小さなマカロンとミニシュークリームと小さなケーキと小さなスコーンにジャムとクリームを添えて皿を差し出すと、アウローラは可愛らしく「あいがちょ」と言って頭を下げた。


 そこまではよかったのだ。

 その後に名前を聞かれて「エドアルド」と答えると、アウローラはにっこりと笑ってエドアルドを呼んだ。


「エドアルドたま」


(えぇー!? そこは「にぃに」じゃないのー!? せめて「おにいたま」にしてくれない!? いや、アウたんの「にぃに」はリベたんだけって言っていた。ぼくはまだまだアウたんの心に入れていないんだ。ちょっとお茶菓子を取ってあげたからって、贅沢になってはいけない。これからもっとアウたんを甘やかして、かわいがって、アウたんの「にぃに」とまではいかないけれど、「おにいたま」の座を勝ち取るのだ!)


 心の中でエドアルドは拳を突き上げて誓った。


 その後でリベリオが倒れてしまったときには、エドアルドは自分の無力さに打ちひしがれた。


(早く魔力を使えるようになろう。庭の薬草菜園の薬草も活用しよう。リベたんが少しでも元気に過ごせるように、ぼくは努力を惜しまない! リベたん、お兄ちゃんに任せて! あ、「お兄ちゃん」っていう響きもいいなぁ。リベたん、ぼくのこと「お兄ちゃん」って呼んでくれないかなぁ)


 氷の公子様ことエドアルド・アマティの内情は感情豊かで、パレードまで起きているのに、リベリオとアウローラとレーナが……いや、周囲がそれを知ることはまだなかったのだった。

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