リベリオ・ブレロはブレロ子爵家に生まれた最初の男の子だった。
両親はリベリオの誕生をとても喜んでくれていたが、リベリオが三歳のとき、魔力が枯渇することによって起きる病にかかってしまって、それが治ることがないと分かった瞬間から、リベリオの人生は大きく変わった。
魔力が枯渇して死にそうになるリベリオの魔力を保つために両親は必死に働いて治療を行ってくれていたのだが、六歳のときに妹のアウローラが生まれた直後、父親が亡くなってしまった。
父親を亡くした母親は、ブレロ家でなんとかリベリオの治療を続けようとしたが、舅や姑たちから不治の病を患ったリベリオにはブレロ家を継ぐ資格がないとして、実家に戻されてしまう。
夫も亡くし、家も追い出された母親が傷心のときに、心を慰めるためにと開かれた実家のお茶会で出会ったのが、アマティ公爵だった。
アマティ公爵は息子が生まれたときに妻を亡くしていて、夫を亡くした母親、レーナの気持ちがよく分かると同情してリベリオの治療の援助もしてくれていた。
そのレーナがアマティ公爵からプロポーズされて、継続的に治療が必要なリベリオのためにも再婚しようと決めたのは、リベリオが九歳のときだった。
再婚同士なので派手な結婚式はしないとレーナは言っていた。
アマティ公爵はリベリオの見舞いにも来てくれていたし、優しく包容力のある男性だということはリベリオもよく知っていた。
魔力が枯渇してベッドから起き上がれないリベリオに、「そのままでいいよ」と優しく声を掛けてくれて、自ら手を握って魔力を注いでくれることすらあったアマティ公爵。
リベリオの両親は貴族の中でも地位が高くなく魔力も低いので、リベリオに魔力を注ぐようなことはほとんどできなかったが、アマティ公爵は公爵という高位貴族でリベリオに魔力を注いで魔力の枯渇を治療することもできた。
公爵として忙しい身なので、いつも魔力が注げるわけではないが、アマティ公爵の息子になればリベリオは満足な治療を受けられて、ベッドから起きて生活できるようになるのかもしれない。
レーナとアマティ公爵との結婚についてリベリオは大賛成だったし、妹のアウローラもアマティ公爵に懐いていたので安心していたが、一つだけ問題があった。
結婚前にレーナとリベリオとアウローラはアマティ公爵家に住むように言われたのだが、そのときに初めて顔を合わせたアマティ公爵の息子。
氷の公子様。
そう呼ばれているエドアルド・アマティは十二歳にして成人の女性くらいの身長がある、長身の父に似た美しい少年だったが、その表情は凍てついたように動かず、口数も非常に少ないのだ。
お茶の席に招かれて、椅子に座ってカップの中の紅茶にミルクポッドから牛乳を入れてもらって、輝く蜂蜜色の目でテーブルの上を見ているアウローラのようにリベリオは無邪気には振舞えなかった。
黒髪に青い目のエドアルドがじっとリベリオとアウローラを見詰めてきている。
「あの、は、初めまして。わたしは、リベリオです。こっちが妹のアウローラ」
「にぃに? おかち、いっぱい! あーたん、あれたべちゃい!」
「アウローラ、新しいお義兄様だよ。ご挨拶しなさい」
「にぃにはにぃにだけよ?」
まだよく分かっていない三歳のアウローラは並べられたマカロンにシュークリーム、ケーキにスコーンに夢中になっている。
「ぼくは、エドアルド……」
聞こえづらい声でぼそっと呟かれて、リベリオは深く頭を下げる。
「エドアルドお義兄様……いえ、お義兄様と呼ばせていただくのは失礼だったでしょうか?」
「別に……」
素っ気なく言われてリベリオは泣きそうになってしまう。
アウローラはこの状況が全然分かっていないし、エドアルドは表情が全く変わらない。失礼なことをしているのではないか。歓迎されていないのではないかと、涙が出てきそうになる。
「エドアルド様、急に弟妹ができたというのも受け入れがたいものだと思います。ですが、わたくしたちはエドアルド様と仲良くなりたいのです。何かお気に召さないことがあれば何でも仰ってください」
レーナも言葉を添えてくれるが、エドアルドの表情が変わることはない。
氷の公子様。
その心は生まれたときに母親を亡くして完全に凍てついてしまっているのかもしれない。
「お母様……いや……」
小さく呟かれたエドアルドの言葉に、リベリオは動悸が早くなってくるのを感じる。これは危険かもしれない。
エドアルドの前で倒れてしまったら、エドアルドもリベリオが虚弱で相手にするまでもないと思ってしまうかもしれない。
胸をぎゅっと押さえて息を整えていると、アマティ公爵こと、ジャンルカ・アマティがリベリオの手を握った。握られた手から温かい魔力が注ぎ込まれて、動悸が落ち着いてくる。
「リベリオ、息子は生まれたときに母親を亡くし、わたしも忙しくてあまり関わってやれなかったせいか、この通り愛想のない子に育ってしまった。心根は優しい子なのだ。レーナもアウローラも時間をかけて仲良くなってほしい」
「もちろんです。急に来た後妻を受け入れられるとは思っていません。少しずつエドアルド様のお心を溶かせたらと思っております」
「あまちーこうちゃく、パパ?」
「そうだよ、アウローラ。これからはわたしがアウローラとリベリオのパパだ」
「パパ! あーたん、パパいなかった。さびちかった。パパできてうれちい!」
エドアルドの凍るような視線を気にすることなく声を上げて喜んでいるアウローラに、リベリオはどうすれば三歳の妹にこの困難な状況が理解できるか考える。
誰もお茶に手を付けていないので、お茶菓子がお皿の上に来ることがなくて、必死に椅子の上から手を伸ばして取ろうとするアウローラ。乗り出したその体が椅子から転げ落ちそうになる。
「アウたん」
さっとアウローラを抱き留めたエドアルドが何を言ったのか、リベリオには理解できなかった。
アウローラの名前を言おうとして途中でやめてしまったのだろうか。
「おかち、ほちーの」
「どれ?」
「じぇんぶ!」
抱き留めてもらってにっこりと笑ってアウローラが言うのに、エドアルドは給仕に頼まずに自らアウローラの皿の上にマカロンとシュークリームとスコーンとケーキを取り分けた。お茶用の茶菓子なので全部が小さく作られていて、アウローラでも食べられそうだった。
「あいがちょ……だぁれ?」
「エドアルド」
「エドアルドたま!」
エドアルド様と呼べばいいのか、お義兄様と呼べばいいのか迷っているリベリオに対して、アウローラは躊躇いがなかった。リベリオもアウローラのように無邪気になれればいいのだろうが、ベッドで過ごしている間本ばかり読んでいたリベリオは、年齢の割りに非常に聡い子どもだった。
「アウローラがすみません」
「いや……」
何も分からないアウローラの代わりに謝ったが、リベリオに対してエドアルドの態度は非常に冷たい。
これからエドアルドとうまくやっていけるのか。
エドアルドはレーナのこともリベリオのこともアウローラのことも邪魔だと思っているのではないか。
そう考えるとどうしても動悸が早くなって、リベリオは胸を押さえる。
「アウローラは小さすぎて何も分かっていないのです。失礼をしてしまって本当に……」
申し訳ありません。
そう言おうとしたときには、リベリオは椅子から転げ落ちて床に倒れてしまった。
魔力は生命力にも直結する。その魔力が枯渇する不治の病を患っているリベリオにとって、この緊張感は体に非常に負担をかけていた。
「リベリオ! 医者を呼べ! リベリオ、しっかりするのだ!」
ジャンルカに抱き上げられて、部屋に運ばれながらリベリオは意識を失っていた。