「……ふわぁ」
欠伸を噛み殺しながら、のっそりと起き上がる。
時計を見ると、既に出勤時刻を40分近くも過ぎていた。
紛うことなき完全なる遅刻。
このまま出勤したら、例によってブルーノから百叩きを受けることだろう。
――だがそれも昨日までのこと。
今日はいよいよ
僕はやっと自由になれるんだ――。
鼻歌交じりにゆっくり支度をした僕は、通勤途中にある喫茶店で優雅にモーニングセットを堪能してから、王立騎士団に出勤したのだった。
「おはよーございまーす」
「「「――!!」」」
悪びれた様子もなく第二部隊の詰所に入って来た僕を、他の隊員たちは怪訝な目で見てきた。
さもありなん。
この後待っているであろう拷問を身をもって知っているこの連中は、僕の態度が理解できないのだろう。
「ホウ、いい度胸だねゲロルト君。実に君は108分も遅刻した。つまり108回ボクから鞭を受けるんだ。――覚悟はいいかい?」
ブルーノが【
――フン。
「覚悟はいいかは僕の台詞だブルーノ。――貴様が調子に乗っていられるのも、今日までだぞ!」
「……何だって?」
僕はブルーノに、ビシッと人差し指を向ける。
フフ、決まったな!
――こちらに近付いてくるコツコツという足音が、僕の鼓膜を震わせている。
僕の救世主の登場だ――!
「失礼します」
「「「――!」」」
その時だった。
一人の身なりの良い中年男性が、詰所に入って来た。
――このお方こそが、僕の父上であり、名門伯爵家の当主でもあらせられる、クレーメンス・ヒルトマン伯爵!
今日が数ヶ月の出張から、やっと父上が戻られる日だったのだ。
僕は今までブルーノと
そして王都に戻り次第、僕を助けに来てくれるように書いておいたんだ――。
ククク、これで形勢逆転だなブルーノと生真面目委員長!
父上の鶴の一声で、貴様らはクビ確定だぁッ!
「私はゲロルトの父親の、クレーメンス・ヒルトマン伯爵と申します。いつも愚息がお世話になっております」
「ああ、これはこれは、ようこそおいでくださいましたクレーメンス伯爵。ボクは王立騎士団第二部隊の隊長を務めております、ブルーノ・ゲープハルトと申します」
「副隊長のイルメラ・リリエンタールと申します」
「父上!」
「……ゲロルト!」
僕の顔を見るなり、父上がツカツカとこちらに近付いて来た。
ハグ!
ハグですか父上!
久しぶりの父と子の再会ですものね!
僕は両手を広げて、父上からのハグの受け入れ体勢を取った。
――すると。
「――こぉんの、バカ息子がああああああああッッッッ!!!!!!」
「ぶべらっ!?」
父上から思い切り顔面を殴られた。
えーーー!?!?!?
「ななななな、何をなさるんですか父上!?!?」
今まで父上からはぶたれたことないのに!?
「それはこっちの台詞だバカ息子がッッ!! 貴様、【
「え?」
ああ、確かに書いたな。
大したことじゃないから、最後に一行『そういえば、【
「あ、はい、本当です。あの女、しょっちゅう僕に暴力振るってくるし、女のクセに生意気なんですよ。あんなのが僕の妻になったら、ヒルトマン家の未来は真っ暗です。だから僕はヒルトマン家を守るためにも、今のうちに損切りしたってわけです」
「ふざけるなッ!! 私が【
「ハァ!?」
【
しかも父上今、可愛い息子のことを、無能って言いました???
「【
「え……あ、その……」
クッ、なんでみんなそうやって、【
僕が何をしたっていうんだ……!
誰も僕の味方はいないのかよ……。
「と、ところで父上、このブルーノとイルメラの処分についてなんですが……」
「フン、何が処分だ。このお二人は、貴様の性根を叩き直すために、愛の鞭を振るってくださっているに過ぎないだろう」
「……なっ!?」
愛の鞭???
いやいやいや、コイツらのは100%嫌がらせの鞭ですよ???
愛なんて、微塵も込められていませんよ???
「私が今日こちらにお伺いしたのは、改めてこの愚息を心身ともに鍛えていただくことを、第二部隊の方々にお願いするためです。どうか身分などは気にせず、今後もガンガン厳しく愚息のことを躾てやってください。こんな歳まで甘やかして育ててしまったことを、私は今になって後悔しているのです」
そんな……!?
父上……!!
「はい、承知いたしました、クレーメンス伯爵」
「お任せください」
ブルーノと生真面目委員長が、爬虫類みたいな目で、僕のことを睨んでくる。
……あ……あぁ……あ……。
「いいかバカ息子よ、誠心誠意【
「っ!? ち、父上!? いくら何でもそれはッ!」
「それでは私はこれで失礼いたします。お忙しいところ、くだらないことにお時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした」
「いえいえ、何のお構いもできませんで」
「どうかお気を付けて」
父上は僕に一瞥もせずに、詰所から出て行ってしまった――。
……う、嘘だ。
これは何かの悪い夢だ――。
誰か、噓だって言ってくれ――!
「悪意の数だけ罪は増し
罪の数だけ鎖は増し
鎖の数だけ未来は減る
――拘束魔法【
「――!!!」
ブルーノの影から、夥しい数の黒い鎖のようなものが生えてきて、それが僕の手足をガチガチに拘束した。
「や、やめてくれ……! お願いだから、今回だけは許してくれ……! い、いや、許して……ください」
「そういうわけにはいかないね。罰に例外はない。みんなに等しく与えられるから、罰は意味を持つんだ」
「う……うぅ……!」
うわああああああああああああああああああ。
「――大丈夫ですよ、ゲロルト様」
「――!」
その時だった。
アメリーが天使のような笑顔で、僕に微笑みかけてくれた――。
ア、アメリー……?
「私だけは、何があってもゲロルト様の味方です。だから、安心してくださいね」
「……!」
嗚呼、アメリー……!
そうか、僕にもいたんだ、世界にたった一人だけ、僕だけの味方が――。
「フム、愛の絆というのは実に美しいね。まあ、それはそれとして、罰は執行するよ。――1」
「ぎゃああっ!!?」
【
うぅ、だがこの痛みも、アメリーがいるから我慢できる……!
これから僕は、アメリーだけを信じて生きていく――!
アメリーこそが、僕の人生の全てだ――。