「すいませんでしたヴィクトリア隊長……! 僕の判断ミスです……」
「……!」
豚聖社の本社から出るなり、ラース先生が奥歯をグッと噛みしめながら、そう仰いました。
……ラース先生。
「カイさんはとても優秀な方なんですが、如何せん作家に対する理想が高すぎるというか、あの通りデリカシーに欠ける発言が多い方でして……。不快な思いをされたことと思います」
「いえ、ラース先生が謝ることではございませんわ。――それに、流石プロの編集者だけあって、カイさんの仰ってること自体は、とても説得力のあるものでしたし……」
「ヴィクトリア隊長……」
ですが……。
ですが――!!
「……ラース先生、わたくしはどうすればよろしいのでしょうか?」
「――!」
思わず目元に浮かんだ涙を必死に
「カイさんの提案を全て受け入れれば、ヒット作になるかもしれないというのは、何となくわたくしでもわかるのです。――ですが、そうやって出来上がったものは、果たしてわたくしの作品と言えるのでしょうか?」
「……」
そう、ずっとわたくしの胸の奥につかえていたのは、まさにそれなのです――。
「それは最早、カイさんの作品ですわ。わたくしはただ単に、カイさんの頭の中にあるものを文字に起しただけの、マシーンに過ぎないのでは……」
仮にそれでプロになれたとして、わたくしは本当に夢を叶えたと言えるのか――。
「……そうですね。これは非常に難しい問題だと思います」
ラース先生は顎に手を当てながら、言葉を選ぶように慎重に話し始めます。
「まず最初に僕の考えを言わせていただくと、今ヴィクトリア隊長が仰ったように、編集さんの言う通りに売れ線の話ばかりを機械的に書き続けることも、立派なプロの形の一つだとは思います」
「……!」
……ラース先生。
「実際世の中には、自分の書きたいものは一切封印して、読者が求めるものだけを書き続けて、何冊も書籍化してらっしゃる大人気作家もいらっしゃいます」
「そ、そんな方が……!?」
確かにそれはそれで、プロフェッショナルって感じですわね……。
読者のためだけに、自分の人生全てを捧げているという意味では。
「……ただ、正直この方法は、ヴィクトリア隊長にはあまりお勧めしたくありません。多分ヴィクトリア隊長は僕と同じく、
「――!」
ラース先生――!
「実は僕もプロデビューする前は、さっきのヴィクトリア隊長みたいに、カイさんに売れ線の話を書けと何度もダメ出しを受け続けていたんですが、ことごとく無視していたんです。昔の僕は若かったこともあって、自分の書きたいものだけで勝負するのが正義で、売れ線の話を書いたら負けだとすら思っていたんです」
「そ、そうだったのですか!?」
まさかラース先生にも、そんなヤンチャな時期があったなんて……!
それはそれで、ギャップ萌えですわぁ~~~~。
「ただ、何年もカイさんの話を聞いているうちに、だんだんカイさんの意見も一理あるなと思うようになりまして……。実際当時の僕の小説は、どのコンテストに応募しても落選続きでしたし……。とはいえ、それでもカイさんの意見を全面的に受け入れるのは、どうしても抵抗がありました。むしろ、それで仮にプロデビューできたとしても、意味はないとさえ思っていました」
「……」
ああ、まさしく今のわたくしと同じ心情ですわね……。
「そ、それで、ラース先生はどういった選択をされたのでしょうか?」
ゴクリ……。
「はい、最終的に僕は、
「ど、どうしても譲れないもの??」
それは、いったい……!?
「その結果、カイさんも遂に折れてくれまして。僕はやっと『四分の一の女神』で、書籍化デビューできたというわけです。まあ、『四分の一の女神』は、正直あまり売れなかったんですけどね」
ラース先生はアハハと苦笑いしながら、照れくさそうに頭を掻きます。
フム、とはいえ、『四分の一の女神』でプロデビューできたことが、ラース先生にとっての転機になったのも、紛れもない事実。
実際その1年後に、『夜の太陽と昼の月』でアキュターガワ賞を受賞し、一躍時の人になったのですし。
「では、わたくしもラース先生と同じく、どうしても譲れないものを1つだけ残して、それ以外はカイさんの言う通りに改稿いたしますわ!」
「ええ、それがいいと僕も思います。僕にできることなら何でもお手伝いしますので、遠慮せず言ってください」
「はい、ありがとうございますわ!」
「ニャッポリート」
よおおおおおし、やってやりますわよおおおおおおおおお!!!!
そしてあっという間に1週間が経ちました――。
「では、行きますよヴィクトリア隊長」
「は、はい!」
「ニャッポリート」
この1週間、ラース先生にもご協力いただき、全身全霊を傾けて改稿を終えたわたくしは、ラース先生と共にまた豚聖社の本社にやって参りました。
くうっ!
前回来た際は期待と不安が3:7くらいの心持ちでしたが、今回はぶっちゃけ1:9くらいですわ……!
何せカイさんの指摘したことを、わたくしは全部は取り入れていないのです。
ある意味約束を破っているわけですから、門前払いされても文句は言えない立場ですからね……。
とはいえ、ここまできたらもう後には引けませんわ。
わたくしは左腕のミサンガを軽く撫でてから、豚聖社の本社へと入って行きました――。
「え? マジで改稿したの?」
「……!?」
が、受付にやって来たカイさんに改稿した旨を伝えると、カイさんはポカンとした顔で、危うく咥えていた煙草を落としそうになりました。
んん??
「ああ、いや、ゴメンゴメン。てっきり君は二度と、俺の前には現れないと思ってたからさ」
ああ、そういうことですか。
前回の去り際のわたくしの雰囲気から、わたくしが素直に改稿するとは思えなかったのでしょう。
もしかしたらカイさんのところに持ち込みに来た無名作家の大半は、カイさんからのダメ出しで心が折れて、二度とカイさんの前には現れないのかもしれませんわね。
実際わたくしもラース先生が一緒でなければ、心が折れていたかもしれませんし。
「じゃあ、会議室行こっか」
「は、はい!」
「ニャッポリート」
逸る心臓を抑えながら、わたくしはカイさんの後に続きました。
「はいコーヒー。ニャッポちゃんにはミルクね」
「ありがとうございます」
「ど、どうも、恐縮ですわ!」
「ニャッポリート」
前回と同じ会議室に通されたわたくしたちに、カイさんはまたコーヒーとミルクを振る舞ってくださいました。
テーブルの上にふわりと下り立ったニャッポは、またミルクをてちてちと、目を細めながら舐めます。
「さてと、早速原稿読ませてもらえるかな?」
「は、はい! よろしくお願いいたしますわ!」
わたくしは震える手で、カイさんに原稿を差し出します。
「はい、拝見します」
灰皿で煙草の火を消したカイさんは、おもむろに原稿を受け取りました。
そしてトントンと原稿を揃えると、また獣を仕留める前のハンターの目になり、物凄い早さでページをめくり始めます。
くぅ……!
「……!?」
が、程なくしてカイさんのお顔が険しくなりました。
さもありなん。
カイさんの言ったことを、
ですが、不思議と後悔はありませんわ。
これでもしカイさんに原稿を突っ返されても、その時はその時ですわ。
わたくしは諦観にも似た心持ちで、カイさんが原稿をめくる手を、ぼんやりと眺めていました――。
「……ふむ」
今回もコーヒーが冷める間もなく原稿を読み終えたカイさんは、トントンと原稿を揃えてテーブルに置くと、腕を組みながらじっと原稿を見つめます。
ゴ、ゴクリ……。
この、カイさんからのコメントを待っている間が、一番緊張しますわぁ~~~~。
「……流石ラースくんの弟子だね」
「……!」
おもむろに口を開いたカイさんは、ボソッとそう呟きました。
こ、これは――!?
「まさか
「…………え?」
「ちょ、ちょっと、カイさん!?」
そんな……!
ラース先生がどうしても譲れなかった点というのは、ヒロインを金髪縦ロールにすることだったなんて……!
……よく考えたら、ラース先生の小説に出てくるメインヒロインって、ただの1つの例外もなく、金髪縦ロールですわね。
よもや、ラース先生がそこまで強火の金髪縦ロール萌えでしたとは……。
「ああ、もう……!」
いたたまれなくなってしまったラース先生は、耳まで真っ赤にしながら、両手で顔を覆ってしまわれました。
ウフフフフ。
まあまあラース先生、そんなに照れなくてもよろしいではありませんか。
ウフフフフ。
「しかも今回は、ヒーロー役がメガネキャラであることに、必然性まで持たせている。ヒーロー役の目が悪かったことが、物語の鍵になっているからね。――これじゃ流石に、ヒーロー役をメガネキャラじゃなくせとは、俺も言えないよ」
「――!!」
で、では――!?
「――俺の降参だ。これはお世辞抜きで素晴らしい原稿だよ、ヴィクトリアちゃん。この原稿、是非今度のアンソロジー小説に使わせてもらうよ」
「……あ、ああああああ」
な、涙で……!!
涙で前が見えませんわ……!!
「おめでとうございます、ヴィクトリア隊長!」
「ニャッポリート」
ラース先生が、ギュッとわたくしの両手を握ってくださいます。
ニャッポは祝福するかのように、そのわたくしとラース先生の握った手の上に、前足をちょこんと乗せました。
「あ、ありがとうございまずううううう」
嗚呼、今日は人生最高の日ですわ――。
「コーヒー、いただきますわね!」
「ハハ、どうぞ」
わたくしは程よくぬるくなって飲みやすくなったコーヒーを、一気飲みしました。
――すると。
「にっがッ!?」
思いの外ドチャクソ苦かったですわぁ!?
よく考えたらわたくし、コーヒーを飲んだのは生まれて初めてでしたが、コーヒーってこんなに苦い飲み物だったのですわね……。
「アハハハハ! ヴィクトリアちゃんは本当に、おもしれー女だねぇ!」
「ふふ」
「ニャッポリート」
「むぅ……!」
もう!
三人とも、笑わないでくださいまし~~~~。
――何はともあれ、こうしてこの日わたくしは、やっと夢への道を、一歩だけ踏み出したのですわ。