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第26話:流石プロ中のプロですわ……。

「コーヒーでよかったかな? ニャッポちゃんにはミルクを持ってきてみたけど」

「ありがとうございます」

「あ、ど、どうも、恐縮ですわ!」

「ニャッポリート」



 四人ほどしか入れないような、小さな会議室に通されたわたくしたち。

 カイさんはわたくしたちに、コーヒーを振る舞ってくださいました。

 そしてニャッポには、お皿に注がれたミルクを。

 テーブルの上にふわりと下り立ったニャッポは、そのミルクをてちてちと、目を細めながら舐めます。

 フフ、ニャッポはミルクが大好物ですからね。


「さて、じゃあ早速だけど、ヴィクトリアちゃんの原稿を読ませてもらえるかな?」

「あ、はい! こ、こちらになりますわ!」


 わたくしは震える手で、カイさんに原稿を差し出します。


「はい、拝見します」


 灰皿で煙草の火を消したカイさんは、おもむろに原稿を受け取りました。

 そしてトントンと原稿を揃えると――。


「……!」


 途端に獣を仕留める前のハンターのような目になりました。


「ふむ」

「……!」


 そして物凄い早さでページをめくっていきます。

 あ、あんなに早く、小説って読めるものなのでしょうか……!?


 2万文字近くあったわたくしの小説を、カイさんはコーヒーの熱が冷める前に読み終えてしまいました。


「……なるほどね」


 そしてまたトントンと原稿を揃えてテーブルに置くと、腕を組みながらじっと原稿を見つめます。

 ゴ、ゴクリ……。

 わたくしは期待と不安が3:7くらいの心持ちで、カイさんのコメントを待ちます。


「流石ラースくんの弟子だね。小説の基礎はほぼ完璧じゃないか。文章もわかりやすいし、キッチリ起承転結もつけてる。大したもんだよ」

「――!」


 オオ!?

 思ったより高評価ですわ!?

 まさか豚聖社の編集さんから、ここまで褒めていただけるなんて……!

 これも、ラース先生のお陰ですわぁ~~~~。

 今日まで頑張ってきて、本当によかったですわぁ~~~~。


「これは相当厳しく、ラースくんに鍛えられたんだろうね?」

「ア、アハハ、ええ、まあ」


 カイさんはニヤニヤしながら、わたくしを見つめます。

 チラリと横目でラース先生を窺うと、ラース先生は無言でわたくしとカイさんの遣り取りを観察していました。

 ラース先生が何を考えてらっしゃるのかは、その表情からは読めません。


「――ただ、このままじゃアンソロジー小説の原稿としては使えないね」

「っ!?」


 が、一転、カイさんからの一言で、わたくしは天国から地獄に突き落とされました――。

 つ、使えない……。

 わたくしが心血を注いで仕上げた原稿が、使えない……。

 カイさんのその言葉は、今日までのラース先生との修行の日々を真正面から否定されたような気がして、わたくしは目の前が真っ暗になりました。


「……な、何故でしょうか」


 わたくしは喉からやっと声を絞り出し、そう問い掛けます。

 せめて納得のいく説明をくださらないと、引き下がれませんわ……!


「うん、ハッキリ言って、内容が読者ウケする感じじゃないんだよね」

「……!?」


 読者、ウケ……!?


「世界を救う勇者を養成する学園に入学した平凡なヒロインが、そこでスパダリの生徒会長と恋に落ちるっていうストーリーラインは、一昔前に流行った作風だ」

「――!」


 そ、そんな……。


「今の読者が読んだら、古臭く感じちゃうだろうね。小説の世界も日進月歩だからね。あくまで『今の』読者が求めてるものを出版しないと、売れる本にはならないのさ」

「で、ですが、わたくしが最近読んだ、ニナ・クレーベ先生の最新作は、わたくし同様、学園ラブコメでしたが……」

「ニナ先生と君を一緒にしちゃいけないよ。ニナ先生は長年小説界を一線で走り抜けて来た大ベテラン作家だ。無名の君と違って、数え切れないくらいの固定ファンがついてる。ニナ先生の新作だったら、一昔前の作風でも買ってくれる読者はいくらでもいるさ」


 あ、あぁ……。


「今の読者は良くも悪くも非常に慎重でね、確実に自分に合うと思われる小説しか買ってくれない。いわんや無名の新人をや。その無名の新人である君が本気で書籍化を狙うなら、まずは『今の』読者にウケる要素を入れないことには、スタートラインにすら立てないよ」


 流石プロ中のプロだけあって、カイさんの仰ることは、ぐうの音も出ない説得力があります。

 ……ですが、わたくしの心の一番奥のところに、どうしてもカイさんの主張を全ては受け入れたくない、『何か』があるのです――。

 とはいえ、ここでカイさんに喧嘩を売るのが得策ではないことくらい、わたくしでもわかりますわ。

 ここは一旦、カイさんのお考えを全部聞き出すことにいたしましょう――。


「……では、どうすればわたくしの作品は、書籍化たり得るものになりますでしょうか?」

「――!」

「?」


 わたくしがそう質問すると、カイさんは驚いたように目を見開きました。

 そしておもむろに煙草を咥えてマッチで火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出します。

 カ、カイさん……?


「なるほど、君、イイね」

「え?」


 どういうことです??


「普通の新人作家は、これだけ自分の作品を否定されたら、俺には見る目がないと怒り出すか、絶望のあまり無言で俯いてしまうかの大体どっちかなんだけど、君は俺の言葉をちゃんと受け止めたうえで、打開策を訊いてきた。――それはある意味、プロの作家になるために、一番必要なスキルだと俺は思っている」

「はぁ」


 そうなのですか?

 わたくしの場合は、ラース先生という絶対的な指針がいらっしゃるので、逆に自分の考えが必ずしも正しいとは思っておりませんからね。

 改善点を人に尋ねるのに、あまり抵抗がないのですわ。

 剣術の世界でもそうなのですが、誰にも師事せず、ずっと我流で腕を磨いてきた方は、得てして人からの指摘を無視しがちです。

 それで強くなる方も稀にいるにはいるのですが、大抵の場合しっかりと剣術を習った方には勝てないのが実状なので、わたくしもなるべく人の意見には耳を傾けるようにしているのですわ。


「よし、では今から俺が、こうすれば書籍化たり得るものになるというポイントを、4つ提案するよ」

「――!」


 オオ!


「よ、よろしくお願いいたしますわ!」

「うん、では1つ目。――ヒロインのキャラが、若干恋愛脳すぎるね。ここは改善したほうがいい」

「――!?」


 恋愛……脳?


「ヒロインはあくまで勇者候補としてこの学園に入学してきたのに、冒頭で生徒会長に一目惚れしてからは、終始生徒会長のことしか頭になくて、学生としての本分を疎かにしてるように見えるんだよ。所謂『頭お花畑系ヒロイン』だね。こういうヒロインは昨今非常に嫌われる傾向にある。ヒロインとして据えるのは危険だよ」

「……なっ」


 我が子にも等しいヒロインに対してこんな言い方をされたことで、わたくしは後頭部がカッと熱くなる感覚がしました。

 思わず拳を固く握ります――!


「続いて2つ目だけど」


 が、カイさんはそんなわたくしの心情を知ってか知らでか、さっさと次に話を進めてしまいます。


「ヒーロー役の生徒会長がメガネキャラっていうのもいただけないね。メガネキャラは、そこまで需要ないからさ」

「――!?」


 ハアアアアアアアアアア!?!?


「で、ですが、『追憶のビオトープ』のコンラートとか、『義母無双』のヤンとか、あとラース先生の『夜の太陽と昼の月』のアンドレアスとか、有名な作品にもメガネキャラはたくさんいますわ!」


 特にわたくし、アンドレアスがドチャクソ推しなのですわッ!!

 わたくしの小説の生徒会長も、ぶっちゃけアンドレアスを一部モデルにしてるくらいですし!


「それらは全員、サブヒーローじゃないか」

「――!」


 ……あ。


「ヒーロー役が複数いる話だったら、その内の一人をメガネキャラにするのは全然アリだよ。メガネキャラにも、需要はあるからね。でも、今回みたいなヒーロー役が一人しかいない話で、それをメガネキャラにするのはリスクが高すぎる。もちろん世の中にはメガネキャラがメインヒーローでもヒットした作品はあるよ。ただ、それはあまりにも分の悪い賭けだ。何度も言うように、君はあくまで無名の新人作家。わざわざそんな一か八かのギャンブルに、豚聖社うちとしては投資できないね。俺はこう見えて、結構慎重なんだ」

「あ……う……」


 メガネキャラが……書けない……。

 そんな……。

 そんな――!!


「そんで3つ目だけど」


 う、うぐッ!

 聞かなければ……!

 ひとまず考えるのは後ですわ……!

 今はまず、カイさんの意見を聞いておかなければ……!!


「ヒロインに不憫属性が足りないね」

「……ん!?」


 不憫……属性?

 あまり聞きなれない単語に、わたくしの頭がフリーズします。


「このヒロインはごく普通の家庭で生まれ育った、特にこれといった不幸なエピソードがない女の子じゃない? それじゃあまり読者が感情移入できないんだよね」

「……!?」


 そ、そういうものなのですか……?


「昨今じゃ毒親とかに虐げられてきた、可哀想なヒロインが人気だからね。そういった不幸な境遇にいるヒロインが、スパダリから愛されて誰もが羨むようなハッピーエンドを迎えるのが、カタルシスを生むんだよ。それこそラースくんの『光への逃走』とかが、まさにそうだろ?」

「ああ」


 確かに『光への逃走』のヒロインは、冒頭で濡れ衣を着せられてしまい、その無実を証明するために、ヒーロー役の騎士団長と二人で逃走劇を繰り広げるのですわ。

 終盤でヒロインの潔白を証明する手紙を、騎士団長が公衆の面前で朗読するシーンは、ドチャクソ感動しましたわ……!

 わたくしが、小説家を目指すキッカケになった作品でもありますし。


「そして最後に4つ目だけど――ヴィクトリアちゃん、君、婚約破棄されたことあるんだってね?」

「「――!!」」


 な、何故カイさんが、そのことを……。

 ……いや、ラース先生がいつもわたくしのことをお話ししていると仰ってましたし、きっとラース先生から聞いたのでしょうが。


「あ、その! も、もうしわけありませんヴィクトリア隊長ッ! プライベートなことを、勝手に話してしまいまして!」


 真っ青な顔をしたラース先生が、わたくしに深く頭を下げます。

 フフ。


「どうかお顔をお上げくださいラース先生。わたくしが婚約破棄されたことは紛れもない事実ですし、別に今更気にしてはおりませんわ」

「あ……はい」


 おもむろに顔を上げたラース先生は、それでもションボリとされています。

 ウフフ、相変わらずラース先生はお可愛いですわね。


「で、話を戻すけど、最近はヒロインが婚約破棄される話が、滅茶苦茶流行ってるんだよ!」


 カイさんは目を爛々とさせながら、熱く語ります。

 そ、そうなのですか??

 少なくとも、ラース先生からお借りした本の中には、そういったお話は一つもありませんでしたが……。

 チラリとラース先生を横目で窺うと、ラース先生は大層気まずそうに俯かれます。

 ……なるほど、そういうことですか。

 きっとラース先生は、敢えて婚約破棄モノを避けてわたくしに渡していたのですわ。

 わたくしが、ゲロルトから婚約破棄されたことを思い出さないように……。

 フフ、本当に、お優しい方――。


「なんてったって、婚約破棄モノには人気の要素がふんだんに詰め込まれてるからね! 冒頭でヒロインが婚約破棄されることで、早々に不憫属性を付与できるし、婚約破棄した側が不幸になることで、ざまぁ要素も入れられる! 更にスパダリからの溺愛エンドという、最強カードまでついてくる! 俺が知る限り、今最も熱いジャンルと言っても過言じゃないね」


 へぇ。

 言われてみれば、人気になるのもわかる気がしますわね。


「君がその婚約破棄された経験を活かして婚約破棄モノを書けば、この上なくリアリティのあるものが書ける――。そうすればヒットは約束されたようなものさ」

「――!」

「なっ!? カイさん! その発言は、いくら何でもデリカシーがなさすぎですよッ!」


 珍しくラース先生が声を荒げます。

 ラース先生……。


「おやおや、らしくないねラースくん。『プロの作家は、歩んで来た人生、全部丸ごと作品にぶつけて勝負するものだ』っていうのが、最近の君の口癖だったじゃないか。今の君の発言は、まるで初めて俺のところにボロボロの原稿を持ち込んで来た、13歳の青かった君みたいだ」

「……くっ!」


 まあ!

 ラース先生は、そんなにお若い頃から、カイさんとコンビを組まれていたのですか……!?

 今のラース先生がちょうど20歳ですから、実に7年もの年月を、お二人は二人三脚でやってこられたのですね。

 これは今のラース先生を形作ったのは、カイさんと言っても過言ではありませんわね。

 きっとラース先生にとってカイさんは、実の兄のような存在なのでしょう。


「まあいいさ。俺から言いたいことは以上だ。ヴィクトリアちゃん、俺が今言った4つのことを取り入れたうえで改稿してくれたら、もう一度原稿を読んでもいいよ」

「……!」


 それはつまり、4つとも取り入れない限りは、読むつもりはないということですわね?


「……本日は貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました」


 わたくしは承諾も拒否もせず、ひとまずお礼だけ述べます。


「いやいや、これも仕事のうちだから、気にしないでよ」


 フゥと深く煙草の煙を吐くカイさんのお顔を、ラース先生は無言でじっと見つめています。


「ニャッポリート」


 ちょうどミルクを全部飲み終わったニャッポが、満足そうに高く鳴きます。

 わたくしとラース先生は、コーヒーを一口も飲んではいませんでした。

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