「ラ、ラース先生、よろしくお願いしますわ」
「はい、拝見します」
「ニャッポリート」
あれから数日。
お父様から一年間は、堂々と小説家を目指していいという許可をいただいたわたくしは、益々やる気に満ち溢れておりました。
今日はわたくしもラース先生も非番だったので、この数日で5回目の改稿を終わらせたわたくしは、ラース先生にいつものお洒落なテラスカフェで、批評していただくことになったのですわ。
「ふむ」
メガネをクイと上げて、真剣なお顔でわたくしの原稿を見つめるラース先生。
嗚呼、何度見てもラース先生のこのメガネを上げる動作、萌えますわぁ。
……ただ、今日まで5回もダメ出しをされ続けていたことで、今回こそは合格点を貰えるのではないかという期待と、やはり今回も不合格なのではないかという不安がないまぜになり、緊張で心臓が飛び出そうですわ……!
こんなに緊張したのは、14歳の時に、修行で伝説の神獣アーティスティックモイスチャーオジサンと、一人で対峙した時以来ですわ!
それにしても、5回の改稿を経たことで、わたくしの小説もすっかり別物になりましたわね。
初稿の時は壮大な冒険ファンタジー恋愛小説だったのに、今や小規模な学園ラブコメに。
あれだけ深く考えた世界観の設定も、ごく一部しか残ってはおりません。
――ですが、読者の目線になってみると、これでよかったとも思いますわ。
数々のプロの小説を読んできてよくわかりました。
読者は設定が読みたいのではなく、物語が読みたいのですわ。
特に短編では世界観を説明している余裕はあまりないので、説明は最小限に留め、なるべく物語を進めることに注力するのがセオリー。
やっとわたくしも、それが肌感覚でわかってきましたわ。
それもこれも、ラース先生のご指導のお陰ですわ!
「……!」
その時でした。
原稿を読み始めたラース先生のメガネの奥の目が、カッと見開かれました。
ラ、ラース先生……?
「ふむふむ」
その後も顎に手を当て、何度も頷きながら原稿を読み進めていくラース先生。
こ、これは……!
ついさっきまで期待と不安が5:5だったわたくしは、7:3くらいの心持ちで、ラース先生が読み終えるのをじっと待ちました――。
「……拝見しました」
「……!」
一口も口をつけていない紅茶が、すっかり冷めてしまった頃。
ラース先生はわたくしの原稿を綺麗に揃えながら、そう仰いました。
ゴ、ゴクリ……。
「そ、それで……、今回のわたくしの原稿は、どうでしたでしょうか?」
か、神様……お願いします……!
今度こそ、お願いしますわ……!!
「……よく頑張りましたね、ヴィクトリア隊長」
「っ!」
ラース先生は春の木漏れ日のような優しい笑顔で、そう仰いました。
あ、嗚呼――。
「そ、それはつまり……合格ということでしょうか?」
「そうですね。現時点のヴィクトリア隊長が書けるものの中では、最高峰のものに仕上がっていると思います」
「――!」
や、やりましたわああああああああッッ!!!!
若干気になる言い回しではあるものの、遂にあのラース先生から、お褒めの言葉をいただきましたわああああああああッッ!!!!
正直今日まで何度も心が折れかけましたが、諦めずに頑張ってきて、本当によかったですわぁ……!
「ニャッポリート」
ニャッポも「よく頑張ったな」とでも言いたげに、わたくしの頬をペロリと舐めます。
フフ、ありがとうございますわニャッポ。
「――これでやっと、次の段階に進めます」
「え?」
ラース先生?
「ヴィクトリア隊長、今から一緒に行っていただきたいところがあるのですが、よろしいですか?」
「あ、はい」
行きたいところ……。
いったい……。
ついさっきまで期待と不安が7:3だったわたくしの心持ちは、また5:5に戻ってしまいました……。
「ここです」
「……なっ!?」
「ニャッポリート」
そうしてラース先生に連れて来られたのは、超大手の出版社である、
豚聖社のロゴである、白豚のマークがデカデカと入口に掛けられています。
ラース先生の書籍も大半は豚聖社から出版されていますが、まさかまだ作家としては駆け出しのわたくしが、豚聖社の本社に来るだなんて……!
あ、あまりにも恐れ多いですわッ!
「実は今度、豚聖社でアンソロジー恋愛小説を出す企画があるんですが、それに僕も原稿を書くことになっているんです。――いい機会ですから、ヴィクトリア隊長の原稿も僕の担当編集者さんに読んでもらって、あわよくばそのアンソロジー小説に、ヴィクトリア隊長の原稿も載せてもらいましょう」
「ファッ!?」
「ニャッポリート」
正気ですかラース先生ッ!?!?
わ、わたくしの原稿を、あの豚聖社の編集者さんにッ!?!?
いくら何でも、心の準備ができてませんわぁ~~~~。
「何事も経験です。さあ行きましょう」
「は、はい……」
「ニャッポリート」
普段はあんなにお優しいのに、ラース先生は小説のことに関してだけは、滅茶苦茶スパルタですわぁ~~~~。
「こんにちは」
「っ!? ラース先生! こ、こんにちはッ!」
大理石で作られた荘厳な受付には、見目麗しい受付嬢さんが座られていました。
受付嬢さんはラース先生の顔を見るなり、目をハートにして立ち上がります。
さ、流石ラース先生……。
受付嬢さんにも大人気なようですわね。
「カイさんに用事があるんですが、お呼びいただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい! 只今!」
受付嬢さんはトテトテと奥に駆けて行かれました。
カイさんという方が、ラース先生の担当編集者さんでしょうか。
くううぅ、ドキドキしますわぁ……!
「おぉ、ラースくん、もうプロット出来たの?」
「お疲れ様です、カイさん。プロットはまだなんですが、今日はカイさんに、ご紹介したい人がいるんです」
「紹介……?」
のっそりと受付に現れたカイさんは、ボサボサ頭で無精髭を生やした咥え煙草の、気だるげな雰囲気漂う、30代前半くらいの高身長な男性でした。
こ、この方が、ラース先生の担当編集者さん……!
「こちらは僕の上司にあたる、王立騎士団第三部隊隊長の、ヴィクトリア隊長です」
「は、はじめまして、ヴィクトリア・ザイフリートと申します」
わたくしはたどたどしいカーテシーをします。
「……! 君が、あの」
「え?」
カイさんは無精髭が生えた顎を撫でながら、わたくしをじっと見つめます。
カ、カイさんはわたくしをご存知なのですか?
「ふふ、君のことはいつもラースくんから聞いてるよ。むしろラースくんてば、打ち合わせの時とか、ほとんど君の話しかしないんだよ」
「……!」
「ちょ、ちょっとカイさん!? そのことはヴィクトリア隊長には秘密にしてくださいって、何度も言ったじゃなですか!?」
「あはは、そうだっけ? ゴメンゴメン忘れてたよ」
ニヤニヤしながらわたくしとラース先生を交互に見比べるカイさんと、耳まで真っ赤になっているラース先生。
ラ、ラース先生がカイさんに、わたくしの話を……!?
いったいどんな話をされてるのか、ドチャクソ気になりますわぁ~~~~。
「ニャッポリート」
「んん? これは珍しいね、羽の生えた猫とは」
「あ、こちらは第三部隊の特別顧問を勤めている、伝説の魔獣フェザーキャットのニャッポですわ」
「ニャッポリート」
「へぇ、伝説の魔獣ねぇ。うんうん、ラースくんの話通り、いろいろ規格外みたいだね、ヴィクトリアちゃんは」
「……!」
カイさんは鼻と鼻が付きそうなくらいの距離まで、顔をわたくしに近付けてきました。
ふおっ!?
「カ、カイさん!? ヴィクトリア隊長から離れてくださいッ! それにヴィクトリア隊長は伯爵家のご令嬢ですよ! あまりそういう気安い態度は――」
「あ、そうだっけ? ゴメンゴメン、あんま普段貴族様と話す機会なんかないからさぁ。敬語とか使うの苦手だし、俺」
「あ、わたくしはタメ口でも構いませんので、どうかお気になさらず。――それに今日は、貴族令嬢としてではなく、一人の作家としてお伺いいたしましたので」
「……! へぇ、ヴィクトリアちゃんがラースくんの弟子になったっていう話も、本当だったんだね」
「――!」
途端、カイさんの纏う気だるげな空気が、ピリッとしたものに変わりました――。
まるで水の中にいるみたいに、息が苦しいですわ……!
これが、プロの編集者のオーラ……!
「アンソロジー小説の作家さんが、まだ足りてないって言ってましたよね? ヴィクトリア隊長の書かれた短編を、是非カイさんにも読んでいただきたいと思いまして」
「ふぅん、そういうことか。――いいよ、会議室行こうか」
煙草の煙をふぅと吐き出したカイさんは、わたくしたちに背を向けて、スタスタと歩き出しました。
「さあ、行きましょう、ヴィクトリア隊長」
「は、はい……!」
「ニャッポリート」
ヒイイイィィィ……!!
ぶっちゃけもう、帰りたいですわぁ~~~~。