「お、お父……様!?」
ラース先生がメガネをクイと上げながら、わたくしとお父様の顔を交互に見比べて困惑の色を浮かべます。
さもありなん。
立派なお髭を貯えた、青髪のゴリラみたいな容姿のお父様とわたくしでは、似ても似つきませんからね。
わたくしはお母様似なのですわ。
「ラース先生、ご紹介いたしますわ。こちらがわたくしのお父様である、ヴォルフガング・ザイフリート伯爵ですわ。
「そ、そうだったのですか!?」
まあ、お父様が騎士団を引退されたのは5年も前のことですからね。
ラース先生が知らないのも無理はない話ですわ。
「その名で俺を呼ぶんじゃねえよヴィク。こちとらとっくに引退してんだ。OB風を吹かすようなダセェ真似させんなよ」
お父様は右の
お父様は5年前のとある任務中に右腕の肘から先を失い、それがキッカケで引退されたのです。
――ですが。
「……その義手で今さっきわたくしをこんなに吹っ飛ばしたではありませんか。むしろ現役時代より強くなっているのでは?」
「ガッハッハ! それはねーよ! 当時の俺は、今の百倍は強かったからな」
いやいや、いくら何でもそれは盛りすぎでは?
「あ、あの、お父さん! お初にお目にかかります! 王立騎士団第三部隊所属、ラース・エンデと申します! ヴィクトリア隊長には、いつもお世話になっております!」
ラース先生がお父様に、深く頭を下げます。
流石ラース先生、相変わらず礼儀正しいお方ですわ。
「お前にお父さんと呼ばれる筋合いはねぇッ!!」
「「っ!?」」
お父様が鬼のような形相で、ラース先生に怒鳴りつけました。
お、お父様???
「こ、これは失礼いたしました、ヴォルフガング伯爵……」
「チッ、お前だろ? うちのヴィクを小説家に唆したのは?」
「「……!!」」
な、何故お父様が、そのことを……!?
……いや、むしろ今までバレていなかったのが不思議なくらいでしたわね。
ここ最近は一切実家に帰っていなかったとはいえ、わたくしがラース先生に師事してから、既に数ヶ月が経っているのですから。
風の噂で聞いていたのだとしても、何ら不思議ではありませんわ。
――ひょっとすると、とっくの昔にお父様はそのことを知っていて、今まで静観されていた、のかも……?
それにしても……。
「お父様! そんな言い方はやめてくださいまし! ラース先生は何も悪いことはされてませんわ! わたくしのほうがラース先生の腕に惚れて、弟子入りを志願したのですわ!」
「ほ、惚れ……!」
ラース先生がまた、耳まで真っ赤になりました。
何故ラース先生はわたくしがこの話をすると、いつも赤くなるのです??
「チッ、どっちでも一緒じゃねぇか、んなこたぁ。どちらにせよコイツのせいで、お前は小説家なんて
「「――!」」
見当……違い……!?
「――忘れたのかヴィク、お前はザイフリート家の女だぞ」
「「……!!」」
あ、あぁ……。
「ザイフリート家に生まれた以上、その生涯を武に捧げるべし。それがザイフリート家の家訓だ。お前がまだハイハイしてるころから、ずっと口を酸っぱくして俺が言ってきたこと、忘れたとは言わせねーぞ」
「……くっ」
わたくしの肩が、ズグンと重くなった感覚がしました。
――これが、ザイフリート家の責任というものなのでしょうか。
「お、お待ちくださいヴォルフガング伯爵!」
ラース先生……!?
「僕も小説家の仕事を続けながら、騎士としても働いております! ですからヴィクトリア隊長も騎士の仕事を続けながらでも、きっと小説家を目指せるはずです!」
あ、あぁ……、ラース先生……。
わたくしのために、そこまで……。
「だがその分、騎士として鍛錬を積む時間は減るだろう?」
「「……!」」
……くっ。
「武の道を舐めるなよ小僧。武の世界はそんな甘いもんじゃねぇ。それこそ寝てる時間まで含めて、人生の全てを強くなることに捧げた人間だけが、本物の強さを得られるんだ。――ヴィクはお前みたいな、その辺にいくらでもいる凡百の騎士とは違う。選ばれた人間なんだよ」
「……っ!」
「なっ!? お父様、そんな言い方はないではありませんか! ラース先生はこれでも――」
「お前は黙ってろヴィク」
「――!」
もう!
お父様のわからず屋ッ!
「あらぁ、何だか穏やかな空気じゃないですわねぇ」
「「「――!!」」」
その時でした。
おっとりとした女性の声が、わたくしたちの鼓膜を震わせました。
この声は――!
「……ヴェロニカ、今大事な話をしてる最中なんだから、水を差すなよ」
そこにいたのは、金髪縦ロールにピンクのドレスという、いつも通りの出で立ちの、わたくしのお母様でした。
「あらぁ、わたくしだってヴィクの親なんですもの。口を挟む権利はありますわよぉ」
「ま、まぁ、そりゃあ、な」
フフ、ついさっきまで魔王のようなオーラを出していたお父様が、借りてきた猫みたいになってしまいましたわ。
お父様は、お母様にだけは激弱ですからね。
「ラース先生、こちらがわたくしのお母様の、ヴェロニカ・ザイフリート伯爵夫人ですわ」
「どうもぉ、ヴィクの母ですわぁ」
「あ! ど、どうも! ラース・エンデと申します! ヴィクトリア隊長にはいつも――」
「あらぁ、とっても素敵な紳士じゃなぁい。是非ヴィクのお婿さんに欲しいですわぁ」
「「「っ!!?」」」
お、お母様???
「オ、オイ、ヴェロニカ!? 滅多なこと言うなよ!? 俺はまだ、ヴィクを嫁にやるつもりはねーぞ!?」
「あらぁ、でもヴィクだってそろそろ適齢期ですわよぉ。ゲロルトくんに婚約破棄されてしまった以上、新しい婚約者を探す必要はありますわぁ」
「そ、それはそう、だけどよ……」
あれ!?
「わたくし、お父様とお母様に、婚約破棄されたこと言いましたっけ!?」
「えっ!? もしかしてまだ報告してなかったんですか、ヴィクトリア隊長!?」
え、えぇ……。
如何せん言い出しづらかったものですから……。
いつか言わなきゃとは思いつつも、今日までズルズル引き伸ばしていたのですわ……。
「ハッ! そんなんとっくの昔に知ってたぜ!」
そ、そりゃそうですわよね……。
よく考えたら、わたくしがラース先生に師事していることも知っていたくらいなのですから、婚約破棄の話も、知っていて然るべしですわ。
「まぁ、あの婚約自体は、ゲロルトの親父からどうしてもって懇願されたから、仕方なく結んでたもんだからな。あんな
あ、そうなのですか?
なあんだ、そういうことなら、とっとと報告しておけばよかったですわ。
「――だからこそ、次のヴィクの婚約者は、俺が心の底から認めた男以外は、絶対に許すつもりはねぇ」
「――!」
お父様はラース先生の顔を、またしても鬼のような形相で睨みつけます。
だ、だからわたくしとラース先生は、そんな関係ではございませんわ!
「あらぁ、あなた、また怖い顔になってますわよぉ。ほら、リラックスリラックスゥ」
「オ、オイ!?」
お母様はお父様の頬を、ムニムニと揉みます。
まったく、尊敬する
「うふふ、では、こういうのはどうでしょうかぁ」
「「「?」」」
お母様?
「今から一年間だけは、ヴィクの好きなようにさせてあげるというのはぁ」
「「「――!」」」
お、お母様――!
「それでヴィクが騎士と小説家の仕事をしっかり両立できると、
「ぐっ……、うぅん、まぁ、ヴェロニカがそこまで言うなら……。ただし、少しでも騎士としての鍛錬を怠ったら、俺は絶対に認めねぇからな!」
「ハ、ハイ! 本当にありがとうございますわ! お母様! お父様!」
やりましたわ!
これで堂々と、小説家の道を目指せますわ!
「おめでとうございます、ヴィクトリア隊長!」
「ラース先生! これもラース先生のお陰ですわ!」
ラース先生があれだけ熱弁してくださったからこそ、お母様の心も動かせたのでしょうし。
「これからもご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたしますわ」
「はい、こちらこそ」
わたくしとラース先生は、改めて固い握手を交わしたのですわ。
「オイ!? ヴィクからその汚い手を放しやがれ、この小僧がッ!」
「あ! す、すいませんでした!」
もう!
さっきから何なのですかお父様!
ただの握手ではありませんか。
「うふふ、わたくしはあなたのことも応援しておりますから、頑張ってくださいましね、ラースくん」
お母様??
ラース先生のことを応援というのは、いったい??
「は、はい! 頑張ります!」
「チィ!!」
お父様がドチャクソ不機嫌になっておりますわぁ。
もうわけがわかりませんわぁ。
「あらぁ、これはこれは、可愛い猫ちゃんですわぁ」
「ニャッポリート」
お母様がわたくしの肩に乗っている、ニャッポの顎の下をよしよしと撫でます。
ニャッポは喉をゴロゴロ鳴らして喜んでいますわ。
ピリピリした空気だったので、ニャッポは今まで黙っていたのですわね。
やはり賢い猫――いや、魔獣ですわ、ニャッポは。
「お母様、この子はこのたび第三部隊の特別顧問になった、フェザーキャットのニャッポですわ」
「あらぁ、ではうちのヴィクをよろしく頼みますわね、ニャッポちゃん」
「ニャッポリート」
「オイ、ヴェロニカ、もうそろそろ行こうぜ。新しいドレス買いに行くんだろ?」
お母様とは対照的に、ニャッポとは目も合わせようとしないお父様。
お父様はこんなナリをして、猫が大の苦手なのですわ。
何でも子どもの頃に、猫に大事なアソコを引っ掻かれたことがあるとか。
プププ、情けないですわぁ!
「うふふ、そうですわねぇ。わたくしだけでは、重い物は持てませんからぁ。――ではごきげんよう、ヴィク、ラースくん、ニャッポちゃん」
「はい、お母様こそ!」
「し、失礼いたします!」
「ニャッポリート」
二人は夕陽を背に、仲睦まじく並んで去って行きました。
嗚呼、我が両親ながら、理想の夫婦って感じですわぁ……。
――わたくしもいつか、ラース先生と二人で――。
……あれ!?
今わたくし、何を考えていたのです???
「? どうかされましたか、ヴィクトリア隊長?」
「い、いえ!? ななななな、何でもございませんわッ!」
ああもう、恥ずかしくてラース先生のお顔が見れませんわ!
「? そうですか」
「ニャッポリート」
もう!
冷やかすのはやめてくださいませ、ニャッポ!
「そうだ! すっかり忘れるところでした! わたくしたち、ホルガーさんのところに向かっているのでしたわ!」
「ああ、そうでしたね。いやぁ、まさかここでヴィクトリア隊長のご両親にお会いするとは思ってもいなかったので、頭から抜けてました」
「アハハ、あんな両親で、恥ずかしい限りですわ」
「いえいえ、素敵なご両親じゃないですか。……家族がいるというのは、それだけで幸せなことなのですから」
「――!」
……ラース先生。
「あ! すいません! 空気の読めないことを言ってしまいまして!」
「いえ、こちらこそ、ラース先生のお気持ちも考えずに、失礼いたしました。――ですが、ラース先生」
「え?」
「――ラース先生にもいつかきっと、新しい家族が出来ますわよ」
「――!」
それが誰なのかは、今はまだわかりませんが――。
「はい、そうですね。そうなれるよう、頑張ります」
ラース先生は夕陽よりも熱い視線を、わたくしに向けてきたのです。
ラ、ラース先生??
「ニャッポリート」
ニャッポが冷やかすように、低く鳴きました。
もう!?
何なのですか!?