「……あ、ありがとうございましたヴィクトリア隊長。お陰で助かりました」
はにかみながら立ち上がったラース先生が、わたくしに深く頭を下げます。
まあ!
「どうかお顔をお上げくださいまし、ラース先生。ラース先生は我が国の宝。そのラース先生をお助けするのは、国民として当然の義務でございますわ」
それに、今からわたくしは、ラース先生に弟子入りを志願するのですし!
「はは、……これでヴィクトリア隊長に命を救われたのは、二度目ですね」
「え?」
二度目……?
「――あ」
その時でした。
わたくしの頭に、2年前のとある事件の記憶が、唐突に湧き上がりました。
……そうか、そういうことだったのですか。
「……2年前の【魔神の涙】事件の被害者は――ラース先生だったのですね?」
「……はい、そうです」
――あれは今から2年ほど前。
まだ騎士団員としては新人だったわたくしが、夜の街中を巡回していた時のことですわ。
突如前方から、禍々しい魔力が発生したのを感じました。
急いでその方向に走ると、どうやらその魔力は、とある小さなレストランの中から発せられているようでした。
剣を構えながら店内に入ると、そこには無数の惨殺死体と血の跡が――。
「アアアアアアアアアアアアアア」
「わああああああ!!!」
「――!」
この無差別殺人の犯人は、奥にいた悪魔のような風貌の化け物のようでした。
その化け物が、今まさに一人の男性を鋭い爪で斬り裂こうとしていました。
「させませんわ!」
「アアアアアアアアアアアアアア」
「っ!!?」
間一髪、わたくしはその化け物を斬り伏せ、男性のことを助けることはできました。
「お怪我はございませんか?」
わたくしは男性に手を差し伸べます。
「は、はい……、僕は……大丈夫、です。嗚呼……、でも……、アンネ……、父さん、母さん……!!」
男性は傍らに横たわっている、ご家族と思われる方々の遺体を抱きしめ、運命を呪うように号泣しました。
せめてわたくしが、あと少し早く駆けつけていれば……。
わたくしは男性に、何と声を掛けてよいかわかりませんでした――。
「……あの日は僕のアキュターガワ賞の受賞を、両親と妹があのレストランでお祝いしてくれていたんです」
「……そうだったのですか」
ラース先生が肩を震わせながら、あの日の出来事を語ってくださいます。
「ですが、突如店内に入って来た男が赤黒い液体を飲み干すと、悪魔のような姿に変貌したのです」
「……」
「男はその場にいた、店員さんやお客さんたちをその鋭い爪で次々に惨殺しました。……僕の両親も瞬く間に斬り裂かれ……、せめて妹のことだけでも守ろうと、震える足で男の前に立ったのですが、そんな僕を庇うように、妹が僕の前に出て……」
「……!」
……嗚呼。
「……妹も殺され、全てに絶望して死を覚悟したその刹那――あなたが僕を救ってくれたんです、ヴィクトリア隊長」
「……そういうことだったのですね」
ラース先生は初めて親を見た、雛鳥のようなキラキラした瞳で、わたくしを見つめます。
そ、そんな目で見つめられたら、照れてしまいますわ……!
「あの日からあなたは、僕の目標になったのです。僕もあなたのような偉大な騎士になり、この手で多くの人たちの命を救い――そして妹と両親の仇を討つために、【魔神の涙】を世に流している組織を潰す。そのためにこの2年間、死に物狂いで自分を鍛え、やっとつい先日、王立騎士団に入団することができたんです」
「……なるほど」
まさかわたくしの仕事が、ラース先生の人生にそこまで影響を与えていたなんて……!
実に誇らしいですわぁ!
――よし。
「そういうことでしたら、ラース先生に一つご提案があるのですが」
「提案?」
ラース先生はキョトンとした顔をされます。
萌えですわぁ!
「もしよろしければ、わたくしがラース先生のことを、騎士としてマンツーマンで指導して差し上げましょうか?」
「そ、そんな!? いいんですか!?」
またしてもラース先生は、雛鳥アイでわたくしを見つめます。
可愛いですわぁ!
「あ、でも、確かヴィクトリア隊長は、同じ隊のゲロルト副隊長と婚約されてましたよね……? それなのに僕と二人だけで指導というのは、外聞が悪いのでは……」
アラ?
ラース先生は随分わたくしの事情にお詳しいのですわね?
まだ騎士団に入団して、日も浅いでしょうに。
「フフ、心配はご無用ですわ。……実は昨日、ゲロルトから婚約を破棄されてしまったのです……」
「えっ!? そ、それは本当ですかッ!?」
「はい、何でも女のクセにゲロルトに対する敬意が感じられないから、女としては見れないとか。まったく、時代錯誤もいいところですわ! 50年前ならまだしも、今は我が国でも男女平等の時代です。それなのにあの男ときたら、いつまで経っても箱入りのお坊ちゃんなのですから……。まあ、元々親が決めた婚約相手ですし、これで子守から解放されたかと思うと、清々したくらいなのですが」
「……そんなことが」
「そういうわけですから、わたくしは今フリーなのですわ。ラース先生と二人きりで修行することに、まったく何も問題もございませんわ」
「そうですか……。だったら僕にも、チャンスがあるってことか……」
「え?」
チャンス、とは?
「あ、いえ!? こっちの話です! このご提案、是非受けさせていただきます!」
「フフ、それはよかったですわ。――ただし、こちらからも一つ、条件がございます」
「……! 何でしょう」
「わたくしを、ラース先生の弟子にしていただきたいのです!」
「で、弟子……!?」
「はい――わたくしは、ラース先生のような、小説家になりたいのですわ!」
「――!?」
まさかわたくしの口から小説家というワードが出てくるとは夢にも思っていなかったのか、ラース先生はポカンとしたお顔で、メガネの奥の目をパチクリさせます。
「しょ、小説家……、ですか。ヴィクトリア隊長が?」
「はい! 先ほど先生の『光への逃走』を拝読して、ドチャクソ感動したのですッ! わたくしもラース先生のような、多くの方々を感動させる作家になりたい! それが今日から、わたくしの夢になったのですわ!」
「そ、それは……大変光栄ですが、せっかくヴィクトリア隊長には騎士としての類稀な才能があるのですから、無理して小説家を目指さなくとも……」
「アラ? それは特大ブーメランですわよラース先生? それを言うなら先生も小説家として十二分に成功されてらっしゃるのですから、無理して騎士になる必要はないのでは?」
「……! なるほど、これは一本取られましたね」
ラース先生はまるで天使みたいに、朗らかに微笑みました。
――守りたい、この笑顔。
「向いているものが、必ずしもなりたいものとは限らないという話ですね。――わかりました。僕でよろしければ、作家になるためのノウハウくらいはお教えいたします」
「フフ、では、契約成立ですわね。――今日からよろしくお願いいたしますわ、ラース先生」
わたくしはラース先生に、右手を差し出します。
「ええ、こちらこそ、ヴィクトリア隊長」
ラース先生はそんなわたくしの手を、そっと握り返してくださったのです。
――こうしてこの日ここに、最強コンビが誕生したのですわ!