初日同様、けも耳カフェのスタッフルームは、イケメンで満たされていた。
シフトの関係なのだろう、半数ほどはじめましての人がいる。
「おはようございま~す……」
僕がおずおずと挨拶すると、嫌味なほど整った顔面達がいっせいにこちらを振り向く。
「おはよー、ハルちゃん!」
「何このちっこいの。新人?」
「そう、子犬のハルちゃん!」
「かわいいじゃん、よろしくねハルちゃん」
各々好き勝手言いながらわちゃわちゃ群がってきて、頭をよしよししてきたり、ぶんぶん強く握手されたり、背中をバンバン叩かれたり。
僕はあっという間にもみくちゃにされた。
接客業に就いているだけあってか、ちょっと迷惑なくらい、皆フレンドリーだ。
「新人からかってないで、早く支度しろ。
ハル、とっとと着替えてカウンターに来い」
──この4本角の悪魔以外は。
キャストリーダーであるレオさんには誰も逆らえないらしく、先輩キャスト達はおとなしく散っていく。
おかげで、スムーズに身支度を整えられた。
最後に犬の垂れ耳を装着して、レオさんの待つカウンターへ行くと、英字と数字が並ぶ小さなメモを渡された。
「インスタとXにお前のキャスト垢作っておいたから、自分で運用しろ」
なるほど、SNSでの活動も、コンカフェの仕事のひとつなのだろう。
そういう時間外のネット業務を含めての、高時給設定なのかもしれない。
僕がメモをポケットにしまうのを見届けてから、レオさんは次の話題に移った。
「マニュアルは読んできたか?」
「はい」
「なら今日は、配膳と片付けの合間に、接客もしろ。無理のない範囲でな」
昨日に引き続き、スパルタなのか優しいのか分からない指示だ。
まあ、この人なりの気遣いなのだと、好意的に受けとめておこう。
「ありがとうございます。じゃ、開店準備手伝ってきます」
「あ、あと一点。オプション頼まれたら、まず俺に報告しろよ」
背中に投げられた注意事項に、若干の不安がよぎる。
オプション。
それは課金とも呼ばれる、コンカフェならではのサービスの事だと、マニュアルに書かれていた。
昨日レオさんとやらされたポッキーゲームもその一種で、お値段は1500円。
チェキでの撮影は1000円。
他にも、けも耳カフェ独自のオプションがあったりする。
キャストにとっては、キックバックを稼げるおいしいサービスではあるけれど、まだバイト2日目の僕には、精神的なハードルが高い。
「あの、レオさん。僕まだ慣れてないんで、チェキ以外はお断りしたいんですけど……」
「やるかやらないかは俺が決める」
控えめに出した意思表示は、ばっさり切り捨てられてしまった。
そんな横暴な! と抗議したいところだけれど、僕には逆らえない理由がある。
なせならばレオさんの手元に、昨日握られたてほやほやの、僕の黒歴史の証拠写真があるのだから。
(どうか今日は、僕にオプション指名が入りませんように……!)
強く願いながら、配膳とぎこちない接客をこなし、開店後30分を過ぎた頃、
「じゃあポッキー課金しちゃおっかな~!」
願い虚しく、オーダーが入ってしまった。
断頭台への階段を上るような気持ちで、僕はレオさんのいるカウンターへ向かう。
「レオさん、3卓でポッキーゲーム注文されたんですけど」
「誰と誰?」
「ケイジさんが攻めで、僕が受けってオーダーです……」
「OK、厨房から取ってこい」
なんと、即答だ。
もしかしたら「やらなくていい」と言ってくれるかも? なんて、ほんのちょっとでも期待した僕が馬鹿だった。
しょぼくれながらポッキーを運ぶと、相手役に指名されていた猫耳のケイジさんが、3卓の前でスタンバイしていた。
「ありがとハルちゃん。じゃ、やろっか」
明るく笑いかけてくるその顔は、正統派男性アイドルグループにいそうな、爽やか系カテゴリー。
男性ダンス&ボーカルグループにいそうな、精悍で色気のあるタイプのレオさんとは、また違った魅力がある。
「ハルちゃん?」
名前を呼ばれて、ケイジさんの顔に見とれてしまっていた事に気が付いた。
「すっ、すいません!
よろしくお願いします、ケイジさん」
気まずさをごまかすために、慌ててポッキーを口に咥えてから、はっとする。
自ら進んで準備を整えるなんて、これでは僕がやる気まんまんみたいじゃないか!
「じゃあ俺の肩に手ぇ置いて。俺はちょっとハルちゃんのほっぺ触るよ」
ケイジさんは、初心者の扱いに慣れているのだろう。
テンパる僕にきちんと段取りを説明して、心の準備を整えられるよう、気遣ってくれている。
だからといって、落ち着いていられるはずがない。
二度目とはいえ、男同士、しかも芸能人並の美形との公開キスなのだから、当然だろう。
ポッキーを咥えた直後から心拍数が最高潮だし、ケイジさんの肩に乗せた手だって、小刻みに震えている。
「あはっ! ハルちゃん、注射される前の子犬みたいだね」
緊張で上気している僕の頬を、ケイジさんが予告通り、両手でそっと包み込んでくる。
ひやりと冷たいその温度に驚いて、思わず体がビクッと跳ねてしまった。
「そんなに怯えないで。安心して任せてくれれば大丈夫だよ。
俺、うまいから」
──うまい、とは?
キスが上手いという意味だろうか。
今この状況で、それ以外に考えられない。
艶っぽいセリフに翻弄されている間にも、ポッキーがだんだん短く、ケイジさんの顔がどんどん近くなってきている。
(うあぁぁぁっ! もうダメだ‼︎)
唇と唇がぶつかるまで、あと1センチ。
ついに観念したものの、ギリギリのところで──進攻が止まった。
(え……?)
驚きに目を見開くけれど、顔と顔の距離が近すぎて、ケイジさんの表情と真意を読めない。
「はい、ごちそうさまでした~!」
混乱する僕をよそに、ケイジさんの挨拶とお客さんの歓声で、ポッキーゲームという名の公開キスショーが締めくくられた。
いったいなぜ、寸止めしてくれたのだろう。
答えを求めて見つめていると、ケイジさんは僕に向かって、意味ありげなウィンクをしてきた。
(……ああ、そういう事か!)
たったそれだけのサインで、察する事ができた。
たしかにケイジさんは上手かった。
「キスが」ではなく、「キスをするふり」が!
両手で僕の頬を包んだのは、ただの演出ではなく、口元を隠すための手段だったようだ。
(ケイジさん、神! 助かった……!)
偉大なる先輩キャストに感謝しつつ安堵した、そのすぐ後、
「すいませーん、こっちもオプション頼んでいいですか~?
ポッキーを、雅くん×ハルくんで!」
隣りのテーブルから、新たなオーダーが入ってしまった。
こういうのを同調現象と呼ぶのだろう。
誰かが赤信号を渡ると、我も我もとそれに続く……みたいな。
ちっとも嬉しくない連鎖反応だ。
「……少々お待ちください。確認してきます」
どうして不慣れな新人なんかに、こんなにも需要があるのだろう。
不思議でならない。
げんなりしながら、僕は再びカウンターへと足を運ぶ。
「レオさん、今度は4卓でポッキー、雅さんと僕だそうです」
「ダメだ。断ってこい」
「え?」
「今日は俺かケイジか虎太郎が相手ならOK。他キャストとはダメだ」
レオさんがどういう理屈でそんなルールを決めたのか、全然分からない。
けれどまあ、オプション指名を回避できるのはラッキーだ。
手ぶらで4卓に戻って、お客さんに丁重にお断りすると、案の定ぶーぶー文句を言われてしまった。
「なんでぇ~⁉︎
鬼畜攻めの雅くんと、まだ腐海に染まってない受けのカプが、最高に尊いのにぃ!」
「すみません……」
「じゃあハルくん、誰とだったらできるの⁉︎」
「ええと、ケイジさんとレオさんと虎太郎さんならOKだそうです」
「紳士攻めとクール攻めと筋肉攻めの三択かぁ……。
じゃあ、レオくんとやって!」
書き換えられたオーダー内容に、ざあっと顔面から血の気が引いた。
必然的に、昨日の悪夢がよみがえる。
(レオさんが相手だったら、また実際にキスされちゃうじゃんっ!)
あの辱めをまた受けるくらいなら、今のうちにうまくごまかして、勝手に断ってしまおうか。
だけどうまいごまかし方って何だろう?
切羽詰まった僕の耳に、ふいにドアベルの音が届いた。
これは大チャンスだ。
新しい来客の応対を口実にして、オーダーをうやむやにしてしまおう。
不誠実なキャストだと思われてしまうかもしれないけれど、仕方がない。
「ごめんなさい、ちょっと失礼します!」
誰よりも早く出入り口に駆けつけた僕は、遠慮がちに開いているドアに手をかけ、ガバッと思い切り全開にする。
「いらっしゃいませ! 何名様です……か……」
ドアの向こうには、満面の笑みを浮かべる美羽ちゃんと、見知らぬイケメンが立っていた。