ストーカー
「先輩大丈夫っすか。顔色悪いですよ」
隣のデスクである後輩の高西は出社した私の顔を見るなり、朝の挨拶もすっとばして心配の言葉をかけてきた。高西は二十代女子の割に逞しさのある体育会系な口調である。
「うん…最近あんま眠れなくて」
「大丈夫っすか。なんか悩み事とかっすか?」
「うん…なんか最近ストーカーに狙われてる気がして」
「ストーカー?確かに
高西が言う通り私は美人だ。ハッキリとした二重の大きな目で鼻筋はスッと伸びている。白い肌と華奢な身体つきが可憐に見えるようでストーカーに狙われてもしょうがない。
「それがさ、ストーカーのことを警察に相談しようか迷ってるんだけど…そのストーカーが多分…"馬鹿"なんだよね」
「"馬鹿"…どういうことっすか」
高西は眉間に皺を寄せ、心底不思議そうに訊ねる。
「最近私の盗撮っぽい写真とか、手紙とかがうちのポストに入れられてて…それがかなり"馬鹿"が滲み出てるんだよ」
「馬鹿」
高西は重要な二文字をしっかり復唱する。
「これ見て」
私はカバンから複数の紙を取り出した。
「うわぁ…これ全部麻子先輩の写真っすね」
写真は持っているだけで二〜三十枚ほどあった。自宅にはまだ他にも写真は届いていたが、全てを持ってくるのは荷物の邪魔になりそうだったのでやめた。
「そうなんだよ。でもよく見て。大体は私の写真なんだけどさ、似てる他人も混ざってるの。あと撮るの下手でピンぼけしてたりする」
「あ…ホントだ」
私はストーカーから放り込まれた写真は一枚一枚チェックした。このようなこっそり盗撮された写真で、どんな角度から撮られてても自分が美しいと惚れ惚れするからだ。
しかし確認したところ、六割ほどの写真は私に服装や髪型が少し似た他人である。そして私本人を撮れている写真でも、ピントが手前のおじいさんに合っていたりする。その他にも、ティッシュ配りをしているゴリラのマスコットや牛丼屋の看板にピントが合っているものは最早訳が分からない。つまりまともな写真はほぼ無い。
「仕事が雑なのよ……ストーカーとしての意識が低い。ホントに私を狙うなら人違いすんなよ。カメラも下手だしもうちょっと勉強しろ」
気味の悪さより行為の不出来に腹が立ち、勢い余って写真をグシャっと握り潰してしまう。
「あ……写真……」
「あと今朝入ってたこの手紙。字が下手なのはともかく内容も絶妙に馬鹿が滲み出てる」
カバンからA5サイズほどの便箋を出して広げて見せた。内容は次の通りだった。
拝啓 親愛なる魔子さん
お元気でしょうか?まぁいつも見ているので元気なのは知っているんですけどねw
いつも見ていて美人だな〜と思っていたので、たまらずお手紙を書いてしまいました。
びっくりしました?ごめんなさい☆
いきなりですが、自分は魔子さんが好きです。
好きなところはラプンツォルみたいな綺麗な長い髪と、マメジカみたいな足です。
お付き合いしたいとまでは思っていません。ただ、これからも見守らせて頂ければ是、幸いです。
P.S.昨日はスーパーでアボカド、トマト、モッツァレラチーズを買っていましたね。
カプレーゼでも作るのでしょうか?いつか食べてみたいなぁ…
「いや、まず名前間違えんな」
デスクのペン立てから赤いマーカーペンを出し、魔子の魔に大きくバツ印を書いた。
「一番大事な名前だろうが。麻子の麻に鬼加えてわざわざ物騒な名前にしやがって。
あとwムカつく。草生やすな。
ラプンツォルて誰だよ。強そうな姫だな。
マメジカみたいな足って細すぎん?マメジカの足エンピツくらいだぞ。
「是、幸いです。」もなんかウザいな。洒落た事言ったつもりか知らんけど。
P.S.の内容も…これ、誰の話?また人間違いしてんじゃねぇか。どこのオシャレな家庭の買い物リストだよ。
うちの昨日の晩ご飯はたぬき冷奴でしたぁあ!
あと最初に「拝啓」書くなら最後「敬具」入れろや。社会人としても失格」
一通り添削をして、ストーカーからの手紙は真っ赤になってしまった。真っ赤になった手紙を見て少しすっきりした。
「なんか…確かに馬鹿そうなんで危機感薄れるっすね」
「そうなの。馬鹿すぎて直接の害は無さそうだから警察に言ったところで相手にしてくれるのかな、って迷っちゃって。もう少しカメラの技術上げて私を可愛く撮ってくれたら許せるんだけどね」
「さすが先輩っす」
そこで始業のベルが鳴ったので、切り替えて仕事に取り掛かった。
*
今日も仕事頑張った。お疲れ私。
業務を効率良く行い定時で終えたものの、肌寒くなるこの季節はあっという間に日が暮れ薄暗くなっている。
今晩の食事もたぬき冷奴にしようかなと考えながら帰路についていると、ふと違和感を抱いた。
――……つけられている?
背後十メートルほどの距離から、控えめな足音が聞こえる。私が歩を早めると早まる。緩めると緩まる。
心当たりは当然ある。今朝高西にも話したストーカーではないだろうか。困ったな。手紙や写真を送りつけてくるだけだし馬鹿だから無害だと思っていたが。直接接触してくるアクティブタイプなストーカーだったのか。
――……こわい。
相手の風貌は分からないが、もしガタイの良い男だとしたら私に勝ち目は無いだろう。
――逃げるしかない。
脳内で地図を広げ、安全な場所に目安をつけた。
――次の角を右に曲がって百メートルほど進んだところのスーパー。太ったハゲ親父が店長のスーパー。その息子が副店長としてイキり倒しているスーパー。そのお母さんが勝手に値引きシールを貼りまくり、家族内で最もしっかり者の娘に叱られているスーパー。家族四人と数人のパートのおばちゃんで回しているスーパー。とにかくそこに逃げ込めれば人の目もある事だしストーカーも手出しは出来ないだろう。そこで警察を呼ぼう。今朝は無害かもという事で通報を保留にしていたが、身に危険があるとすれば別だ。流石に。
とにかくそこまで逃げれば。
走るか?いや、派手な動きをするとストーカーはムキになって追いかけてくるかもしれない。こちらがストーキングに気付いていないように振る舞って、自然に、歩いてスーパーに向かう方が安全かもしれない。うん、そうしよう。
私は気持ちを固め、力強く走りだした。
――ん?走ってね?私気付かれないように自然に歩いてスーパーに向かうって決めたよね?あれ?私走ってね?
脳内で決めた作戦は恐怖心によりいとも簡単に崩されてしまったようだ。理性よりも、早く恐怖の対象から遠ざかりたいという逃走本能がバキバキに目覚めている。
――でも、距離はそんなに遠くない!このまま逃げ切れば……
「あっ」
角を曲がる一メートル手前、非情にも右手首を掴まれた。一瞬振り返ると、そこには見知らぬ筋肉質の男がいた。
そのまま身体を強く引っ張られ、肩の上に担がれた。男の後頭部の裏で私の顎と左足を掴まれて持ち上げられている状態になる。見事なアルゼンチンバックブリーカーだ。
――私はどうなるんだろうか。このまま誘拐されてカプレーゼとか作らされるかもしれない。私作った事ないのに。でもこいつ勘違いしてたから。馬鹿だから。
諦めかけたその瞬間であった。
パシャッ。
目の前でカメラを構える女性――高西だった。
「うぉ――っ!」
そして高西の気合いの入った掛け声と突進。
私を持ち上げていた男の腹部は無防備で、あっけ無く倒された。ついでに私も放り出された。
いってぇなと思いながら気付けば高西は横向きに倒れた男を上から抱え込んで抑えるような形でいた。流石元女子ラグビー部だ。
「ジャッカル!ジャッカル!」
「先輩!ジャッカル言うて無いで警察呼んで下さい!!」
*
その後警察を呼び、男は確保され署に連行されて行った。私達も事情聴取をされ、今まであった被害も含めて警察の人に伝えた。
それを男にも伝えられたようだが、男は私を今日ストーキングしたのは偶々見かけてタイプだっただけで、手紙や写真については関与していないと一部容疑を否認していた。
釈然としない状況のままひとまず私達は解放された。
「手紙と写真、否認されたけど本当にあの男じゃ無いのかな」
「そうみたいっすね」
「違うとしたら怖…まだ他にもあんなストーカーがいるってことだよね」
「ですね…でも私がまた麻子先輩守るっすよ!」
「ありがとう…頼もしい。今日はホントに助かった!そういえばあの時たまたま通ったの?カメラまで構えてて……」
「いえ!麻子先輩のことつけてました!写真撮るの上手くなれば許してくれるって言ってたんで練習しよ〜って思って!」
私は盛大な思い違いをしていたようだ。