模擬試合の後、俺たちは移動して三時間ほどをノーザンパイク釣りに費やした。
公爵と両殿下はおもしろいように食いついてくる大魚に夢中となり、その強い引きと釣果を楽しんでいたようだ。
シャルロット王女殿下の竿には今日一番の大物がかかり、釣り上げると1メートルを遥かに超えるアヒルのようなくちばしを持った怪魚がいた。
物陰に潜み、目の前を通った獲物に襲いかかる獰猛なこの魚にとって、自作した疑似餌は魅力的な餌に見えてくれたようだ。
「この疑似餌の効果はすごいな。」
帰りの馬車で公爵は疑似餌を見ながら感嘆していた。
「目についた生物を手当り次第に食べようとする習性の魚ですから、このような疑似餌でもああいった釣果になるのでしょう。これがもっと臆病な気質の相手なら、なかなか食いつきもしなかったと思います。」
「ふむ、しかし疑似餌の釣り方とは興味深いな。待ちの釣りとは全然違う。常に竿を動かして相手を誘導し、食いつかせるのはなかなか楽しいものだ。」
リールがあれば糸の巻きとりで疑似餌を動かすリトリーブという基本技が使えるのだが、ないものは仕方がない。今回は竿の操作で沈みこませるフォーリングと、竿を動かして竿先を元の位置にすぐに戻すジャーキングとトウィッチング、竿を大きく立てて疑似餌を動かすシャクリだけを伝授した。
川釣りで、かつ食いつきのいい魚というのもあるが、それだけでまずまずの結果が出たのは幸いだったといえよう。
「疑似餌を使うと、針にかかる以前の楽しみも味わえますから。」
俺は笑いながらそう答えた。とはいえ、それほど釣りの経験はないので、知人の受け売りをそのまま口にしたままだ。
「釣りを趣味にしている貴族も多い。本格的に製品化すれば需要もあると思うぞ。」
それはいいかもしれない。
娯楽の少ない世界のようだし、趣味でお金を回させるというのも新しい市場を開拓することにつながるだろう。
「そういえば、あのコーヒーを王宮や私の屋敷に卸して貰うことは可能かな?」
「ええ、問題ありません。」
「飲み物といえば水で薄めた酒精や果実を搾ったものくらいだからな。それに、カフェオレは女性や子供にも人気が出そうだ。」
疑似餌はともかく、チコリコーヒーは個人的に作ったものだ。これも商品になるなら思わぬ副産物といえるかもしれない。
「原料がチコリであることはあまり広げない方がいいでしょう。チコリは自生もしていますが、葉菜としてはこれから旬を迎えます。それに飼料としても使われているので、チコリコーヒーが流行って乱獲されたり高騰すると他に影響を及ぼすかもしれません。」
「ふむ、確かにな。ただ、葉菜としては苦味があるから好みは別れる。どちらかといえば飼料不足になる可能性の方が高いだろう。こちらで栽培を強化するといいかもしれん。コーヒーにする為に煎ったものを交易に出すと継続的に売れると思うぞ。」
「それについてはユーグ様が飼料を作っている農家への補助金を考えておられるようです。農地を広げれば来季分はそれなりの量を見込めるでしょう。」
考えたのはユーグだ。
彼も都市の発展のためにいろいろと試行錯誤しているようだ。
因みに、彼とティファはもう1台の馬車に乗っている。一緒にいる両殿下は疲れたのか寝息を立てていた。
「そうだな。この都市の活性化の一因にはなるだろう。ところで、ソーはこの街のスラムをどう思う?」
「何度か訪れましたが、働きたくても職に就けずに日々の生活に窮している者が多いようです。働き口もそうですが、手に職をつけたり識字率を上げれるような働きかけがよいのではないかと愚考します。」
なぜ俺がこの馬車に乗せられたのかが何となくわかった。公爵も俺がシャーナに縁のある賢者だと思っている節がある。それを見極めたいのかもしれない。
「識字率を?」
この時代の9割近くは田舎に住み、読み書きができない者が多いと聞く。文字を学ぶのは貴族や商人、それに聖職者ばかりだという。
「庶民の識字率が上がれば、職場で培った経験から新しい技法を開発したものを文書化して広く世に伝えることができます。それに、道徳や法を学ぶことも可能になりますので、犯罪率を下げることにもつながるのではないでしょうか?」
「ふむ、確かにな。しかし、生活には不要と考える者も多いのではないか?」
「確かに、読み書きの重要性を理解できなければそう思うでしょう。しかし、税がどのように使われているかを理解できれば不満は出にくく、自ら勉学に勤しむ者が現れれば産業は活性化します。」
「庶民でもそうなると君は考えるのだな?」
「私は人を育てるのは環境だと思っています。貴族の方のように、血を受け継ぐことによって素晴らしい才能を授かるということは否定しません。だからこそ、貴族の方は庶民を守るために特権をお持ちです。しかし、庶民にも勉学によって才能を開花させる者は少なからずいるはずです。それは街や国の発展の礎にはならないでしょうか?」