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第31話

それから数日が経過し、コーンシロップの試作品が完成した。


副産物ではなく、並行して進めていたエタノールも目処がついている。


質は大してよくないだろう。ただ、実用品としては問題ないレベルではある。


元の世界の製品と比較してはいけない。技術も設備もいろいろと足りないのだ。


俺はユーグたちの屋敷で居候のようになりながら作業に没頭していた。


作業といっても製造に関しては別の者と一緒に行っており、俺は説明や工程管理に集中している。


廃業した酒工房の元主人やその家族がドニーズさんに引き連れられてきたので、彼らの手を借りることになったのだ。発酵などに関しては俺よりも彼らの方が熟知しているだろう。それに、酒工房の作業場だったところを商工会から借りることになったため、使い慣れている人がいるのは頼もしかった。


ただ、裏を返せば廃業に追い込まれた事業者ということである。


酒工房は他にもあり、今回手伝ってもらった人たちは少量ながら他地域への交易に出すものを主体に製造していた。ワイン以外の酒については都市内での需要は限られており、今からそちらへの供給に転換するには市場的に飽和状態なのだそうだ。


この都市はいろいろと問題を抱えている。


柱となる産業がなく、若年層は流出して失業率も年々高まっている現状だ。早期に経済的な復興を目指さなければ都市として衰退の一途をたどる。


当初考えていたよりも厳しい状況であることをユーグは知りながら、日々対策を打ち立てようと画策しているのだ。




「ソー、ちょっとかまわないかしら?」


ティファが俺の作業場にやって来た。


俺の監視兼護衛役として共に過ごすことが多いのだが、彼女は気さくで街の人々からも人気がある。貴族らしからね所作も多いが、俺個人としては好ましく思っていた。


ユーグにしろ、この兄妹は従来の貴族のイメージをいい意味で覆してくれるのだ。


「どうかした?」


「ちょっと相談があって···」


「わかった。すぐに行くから待ってて。」


俺はユーグとティファを恩人だと思っている。


こちらに来て、路頭に迷いそうになるところを拾いあげてもらったのだ。


それに、日々が充実していることも彼らがいなければ実現しなかったに違いない。下手をすると、そのまま投獄されてあらぬ罪を背負わされていた可能性もあるのだった。




「これ、やっぱり美味しいわ。」


ティファは別室でチコリコーヒーを飲んでいた。


ミルクとコーンシロップをたっぷりと入れるのがお気に入りらしい。


「どうぞ。」


ティファの付き人が俺にチコリコーヒーをブラックで入れてくれる。


ティファは普段からお付きの人を伴わずに歩き回ることが多い。煩わしいわけではなく、貴族の嫡男以外はそういった傾向にある。爵位を継ぐ者以外は寄宿舎に入ることが多く、自分のことは自分でするというのが貴族の慣習なのだ。


いずれ家を出なければならない嫡男以外は基本的に自立しなければならない。令嬢であれば二十歳を迎える前に婚姻することが多いので、それに向けての準備を行う。しかし、ティファはその令嬢としてのレールを歩くことを嫌い、国内でも稀な女性騎士となったのである。当然のことだが実力も高く、実はユーグに仕える騎士の中では最強だったりするのだ。


そんな彼女だから街中を歩く時には護衛などつけず、逆に俺を守護したりしている。いい意味で貴族としてのプライドは低く、そこらを走り回っている子供たちとじゃれあったりもするのだ。


「相変わらず、炭のようなものを好んで飲むのね。」


キツそうな言葉を発しているが表情は柔らかい。


「それで、相談って?」


「うん。私は虫が嫌いなのよね。」


「うん?」


「何とかしてもらえないかしら」


ごめん。


いろいろと抜け落ちすぎていて意味がわからない。一を聞いて百を知れというのは無理だぞ。


「具体的には?」


「お父様がこちらに来るらしいの。」


その父様が虫に似ているのか?


殺虫剤でも作れと?


「それで?」


「あの人の趣味で虫に触れなきゃならないのよ。」


「お父上の趣味とは?」


「釣りよ。」


ようやく意味がわかった。


そう、ティファは少し天然なのである。


かわいい一面といえばそうだろう。


ただ、長年連れ添った夫婦じゃないので、時と場合によっては話を引き出す必要があるのだ。


「ティファも釣りに付き合わされるの?」


「ええ。釣りは好きなんだけれど、餌を針につけるのがね···」


要するに、釣り餌が虫なので嫌だということだ。


「因みに釣る魚は?」


「ジャックよ。」


「どんな魚?」





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