貴族が通う王立学院を主席で卒業したユーグは、卓越した武芸と相まって上級貴族の嫡子の中でも次代の柱石のひとりと目されていた。
王族の血を引く公爵家出身だが、三男であるため王位や爵位の継承権は持っていない。
しかし、国に存在する四つの公爵家の若手では優良株として考えられている。
辺境審議官として2年の任期を終えたユーグは、生家であるアヴェーヌ公爵家から宮廷に仕えることを命じられていた。
宮廷に入り、相応の役職に就くために必要なのは人脈や実家の力ではない。
時の国王は宮廷仕えを貴族の血筋のみと限定するも、役職への投与についてはひとつの課題を設けている。それを高水準でクリアしなければ、宮廷に入っても最悪小間使いとしての任しか果たせないのだ。
辺境審議官としての実績は、ユーグの価値を十分に知らしめることとなった。
ヴォワールの石は辺境審議官の任務で正確な事務や監査をこなすための備品として王国から貸与されたもので、ユーグへの信頼を意味しているといっていい。次の登城の際には返却しなければならないが、それを今回の面談で活用することにしたのである。
公私混同ではなく、国を豊かにする正当な理由なら利用してもいいという連絡を受けていたため、それを無駄にしなかったということだ。
ソーの言葉の真偽を確認することはできなかったが、その結果はユーグにとって満足できる結果で終わった。
「あらためて、彼をどう思う?」
「シャーナに関する反応以外は、ほぼ条件に合致します。それに所持品のすべてが目を見張るような技術で作られているところも裏づけになるかと。断定までとはいきませんが。」
「十分だろう。被害者なのに身売りされた者の家族を気づかっていた。人間性にも問題はないと思うけどね。」
「あれには驚きました。目の前に大金を積まれてもあのような態度に出れる者は少ないでしょう。しかも、ただ正義感を振り回すわけでもなく、自身の良心と折り合いがつく加減だとの采配です。候補としては最有力かと。」
「それは俺も同じことを思ったよ。情に弱いだけの者なら躊躇ったが、そうでもないらしい。」
「もう少しだけ人柄と能力を見極めてから決断されるとよろしいでしょう。」
「そうだな。文献などの開示する幅を広げてみよう。こちらでの知識が多いほど引き出せるものも多くなるはずだ。それと、外出して市井を知ってもらうのもいいかもしれない。ティファに連れ出すように言っておく。」
「ティファニー様との相性はいかがでしょうか?」
「先ほどそれとなく聞いてみたが、ソーの体術に興味があるそうだ。」
「なるほど。ティファニー様らしいお言葉ですね。」
「まあ、ソーも良識のある男だろうから、ティファを怒らせるようなこともないだろう。」
ユーグとの面談の後、屋敷内にある図書室を自由に使っていいと執事が伝えてきた。
もちろん、監視役に声をかけて同行してもらうことは必要だったが、新たな知識を吸収できるなら嬉しい話である。
その時から、監視役は騎士のような者からメイドに代わった。信頼を得たとは思えないが、メイドは気さくに話しかけてくれるので息苦しさは軽減したといえよう。
その日は文献を漁り、読書に没頭して夜までの時間を過ごした。
この地域の文化を見る限り、やはり15世紀頃のフランスに近い気がする。
しかし、元の世界とは大きな食い違いがあった。
魔法が存在し、高価なため一般的ではないが魔道具が流通している。それを製作する魔巧技師や、見慣れない職業である冒険者やハンターなどの存在。ファンタジーな色合いが濃いが、俺にとっては心が踊る情報が満載だったのである。
「これは何のためにするの?」
翌朝、昨日よりも早い時間に部屋を訪れた女性は、今日から合気道を学びたいと言ってきた。
彼女はユーグの妹で、ティファニー・ド・アヴェーヌだと改めて自己紹介してくれる。それ以外については何も知らされていないが、俺にとっては言葉を学ぶ相手としてちょうどいい。
何気ない会話でわからない単語が出てきてもすぐに教えてくれるからだ。
「これは体を柔軟にするためと、鍛錬前に体温を上げるために行います。効果はケガを減らし、体の可動域を最大化すること。習慣として行うことで、剣技や体術のキレがよくなると思ってもらえばいいでしょう。」
ストレッチが行われるようになったのは意外に最近だといえる。元の世界では1970年代にアメリカで開発され、世界中に普及した。スポーツ科学の一種でティファニーが知らないのも無理はない。
「なるほどね。何となくだけれど、理解できるわ。これまでは誰も提唱してこなかったのが不思議なくらい。」
昨日読んだ本の受け売りでは、こちらの世界ではケガは回復魔法で治すのが主流だそうだ。ただ、損傷は治せても切断は無理などの制限がある。
いわゆる外科手術で治す類のものは魔法で対処できないようだ。また、病に関しても同様で、不治の病とされているものが多い。回復魔法に頼りすぎて医療の発展が遅いのも一因だと感じていた。