事業は友人とやるべきではない。
会社を設立して軌道に乗り、これから事業をさらに拡大しようと思っていた矢先に友人の不正が発覚した。
いわゆる横領だ。
本人にしてみれば、少し魔が差しただけで「ごめんごめん、すぐに返す。」などと言っていたが、その時には他にも従業員を雇っており、不正が公然の事実と化していた。
友人だからと甘い処置をしては示しがつかない。
俺はやるべきことをやり、友人は警察の厄介になることになった。
それからしばらくして、俺は以前より打診を受けていたM&Aを受け入れることにしたのだ。
M&Aとは、広義として企業の吸収や合併に加え、買収や分割などのことをいう。
あるIT企業が俺の立ち上げた知恵袋サイト"
その将来性を見越して、M&Aを持ち掛けてきた企業が新しい事業として求人関連部門を立ち上げるベースにしたいと言ってきたのだ。
友人に裏切られたことよりも彼を破滅に追いやったことに消沈していた俺は、従業員ごと受け入れてもらうことを条件に申し入れに応じた。
結果として数億円単位を手に入れた俺は、国を出て海外でひっそりと暮らそうと決意する。
そして、空港へと向かう途中にその事件は起きた。
俺は家を出てすぐに急発進してきた車にはね飛ばされたのだ。
路上に叩きつけられて意識が薄れる中、一度通り過ぎた車がタイヤを鳴らしながらバックしてきたのを見た。
その後は気づいたら河原に倒れていたという経緯である。
俺をはね飛ばした車の運転席にいた者の顔はなぜかはっきりと覚えている。
横領で身を破滅させた友人だった。
業務上横領罪は10年以内の懲役と決まっている。横領罪はすぐに逮捕されることの少ない案件だが、彼の横領額は数千万円の規模で被害弁償を父親が肩代わりしたため実刑になる可能性は低かった。とはいえ、執行猶予がつく予定と思われたので彼の将来は半ば閉ざされたといっていい。
車ではねられた日より前に彼は送検されており、おそらくそこで保釈請求が通ったのだろう。罪を素直に認め、被害弁償も保釈金も滞りなく支払われたのならおかしくないタイミングである。
ふと、俺を車ではねた時の彼の顔が思い起こされ、気持ちを重くさせた。
彼は···笑っていたのだ。
たぶん、俺ははね飛ばされた後にバックしてきた車にもう一度轢かれたのだと思う。車の軌道を考えるとそうとしか思えなかった。
だとしたら、俺は死んでいるのだろうか。
ならば今の状況は、どのようにしてなったのか理解が及ばない。
一度車ではねた後に、俺を車で拉致して倒れていた場所に放置したのであれば納得がいく。
しかし、そんなことをする意図がわからない。
普通に考えればトドメをさして逃走するか、衝動的な行動に後悔して病院に運び込むかの二択だろう。
俺をはねた時の彼の顔を思えば正気を失っていた可能性はある。だが、それにしてもこんなところに放り出す意味があるのか。
それに、痛みやケガがないのがさらに混乱させる理由でもあった。あれが現実であったかどうかもわからなくなりそうだ。死んだと思って遺棄されたにしては外傷がないのもおかしい。
少なくとも、彼が横領で逮捕されたのは間違いではないはずだ。
深く考えても結論は出なかった。
まずは今いる場所を特定し、とりあえずは連絡手段を確保しなければならない。
所持品に財布がないのはバッグに入れていたからだろう。
今手もとにあるものはすべて身につけていたものばかりだ。
耳たぶを触る。
ピアスはつけたままだった。これはプラチナ製でそれなりに価値があるものだ。最悪の場合はこれを現金化できればいい。
ただ、これを売るにしても買取業者は古物商の許可を得ている。古物台帳への記載が義務付けられているため、本人確認証がなければ売却は難しい。運転免許証は財布の中に入っていたのだ。
いろいろと考えてみたが、今集中するべきことは町や村を探すことだろう。
畦道のような通りしかないが、少なくとも人の行き来はあるということだ。
俺は川の下流に向かう方向へと歩き出した。
人が通る道に獣はあまり出ないはずである。そう考えれば少し気持ちが楽になった。
友人に命を奪われそうになったことについてはこれ以上考えないようにする。
彼を破滅に導いたのは俺だ。根本としては不正を働いた彼に非がある。他にも対処法があったかもしれないが、車ではねられたことで俺の贖罪は終わった。
無事に戻ることができたらその後は大変だろう。
横領罪で起訴され保釈された者が殺人未遂事件を起こしたのだ。メディアも騒ぐだろうし、ことによっては保釈制度自体に疑問の声が再燃するかもしれない。保釈中の再犯率は近年増加している。俺が被害にあったケースなどは稀だが、性犯罪や薬物使用については30〜40%という高い数値を見せていた。
しかし、そのことについて俺自身が騒ぐつもりはない。法の改正などは世論や有識者、そして政府が行うものである。もちろん、そういった犯罪が増えていい道理はない。何らかの形で協力要請があれば協力するつもりでいた。
それなりに歩いたが、未だに携帯のアンテナや電気が通っているような設備は目に入らない。ヒグマがいたことも思うと、どれだけ田舎なのかと思う。それに、国内でまだ馬車を使っているような地域などあるのだろうか。もしあったとしたら、俺の知識もまだまだだなと思った。