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第93話 天の怒り


 通信が終わった瞬間、爆風が後ろから襲ってきてクレノは瓦礫がれきの上を転がった。


 なんとか平静を装っていたが、ずっと脳みそを直接掴まれて揺らされているような不快な感覚があった。

 全身が重たくて指一本でも動かすのがだるい。

 瓦礫の上でもいいのでこのまま眠りたい、というのが正直なところだった。


「クレノ君!」

「ルイス王子……フェミニは……? フェミニはどうなったんですか?」


 ルイス王子に助け起こされてなんとか上半身だけ起き上がる。

 すると、視線の先に天をあおいで白目を向き、唇の端から舌をだらりとたらして床に座りこんでいる美少女がいた。フェミニだ。とても美少女がしていい表情ではない。

 彼女は通信中ずっと降り注ぐ雷を、重たいルイス王子の『守護の法』で防いでくれていた。

 その結果があれだ。


「まだギリギリ意識はある」


 無い方がよかっただろう。かわいそうに。


「これ……いったい、何がどーなってんですか……」


 いかに相手が王子とはいえ、もはや言葉を選んでいる余裕はない。

 周囲は暴風雨だ。

 不自然な強風がうなり、体調が万全だったとしても、まともに立ってもいられないような状況だ。


「いわゆる神罰だね。ボクがキミに貸した魔法で……キミがしたことが天の神々的には許せなかったみたい」

「王子の魔法がカンにさわった可能性はないのですか?」

「それはない。ボクは神々の考えていることがなんとなくわかる。怒りが解けるまであともう少しってとこかな。——フェミニはもう魔法が使えそうにない」


 ルイス王子は再び固有魔法を使い、俺のストックを守護の法に書き換えた。


「むりむりむりぃ、むりです! これ以上はおかしくなっちゃう!」


 十七年ものを一度発動しただけで、頭の中の大事な部分が弾け飛ぶ感じがした。

 ここまで意識を保てたのは、なんとか横田と会話しなければいけないという、ただそれだけの一心だ。

 これ以上は神経が焼き切れてしまう。


「王子が使ってくださいよ、魔法を!」

「ボクのストックひとつ分でヨルアサ王国の発展が二、三年は遅れるんだ。キミ、責任取れるのかな?」


 ルイス王子は空恐ろしいことを言いながら俺の手に杖を持たせ、ついでいっしょに腰のベルトに下げていた落下防止のハーネスで固定する。杖が鉄のかたまりのように重たい。

 しかし迷っていられる猶予ゆうよはない。

 頭上の曇天はうずを巻き、その中心の闇が白く帯電し、うるさく鳴り続けている。さきほどから小神殿のあたり一帯を襲い続けていた白光の槍を再び、こちらにめがけて落とそうとしている気配を肌で感じた。


「くそっ……守護の法っ、魔法解放アインザッツ……っ!」


 魔法を解放した瞬間、視界が黒く塗りつぶされる。

 指先から肉体の感覚が急速に失われる。先ほどまでずっと王子のつけている香水のにおいがしていたはずだが、それも一瞬で失われる。

 天と地の区別もなくなり、そして完全に意識をなくした。



 *



 次にめざめたのは三日後、気がつくと魔法兵器開発局の医務室にいた。


 どうやってここまで戻ってこれたのか、三日間の間のことはひとつも覚えていなかった。

 その間、クレノ・ユースタスの意識は、現実とはまったくべつのところにあった。そこは冷たい暗闇の中だった。肉体の感覚はなく、意識だけがあり、その意識をさざ波のようなものがなでては遠ざかる。

 そういう感覚がしていた。

 波は言葉ではない何かで、その意志を伝えてくる。



 あなたのねがいごとは、もうきまりましたか?



 “たぶん”



 なにか ほしいものは ある?



 “まだ……あともうちょっと……あなたの助けが必要です”



 わかりました。

 いつでもあなたを みまもっていますよ。



 かつて暮野祐一くれのゆういちが一度目の死を迎えたそのとき、波は今回のそれとまったくおなじことをたずねた。



 なにかほしいものはある?



 そのとき、暮野祐一は答えをだせなかった。

 闇のなかにいるものは、セオリーとは少し違うが、おそらく人知をこえた存在なのだろう。

 これが異世界転生ものラノベなら、チート能力を授かるところだなと思い、生前に考えた『異世界転生したらもらいたいチート能力』についていくつか考えてみたが、結局、結論を出すことができなかった。

 どれも喉から手が出るほどほしい、甲乙こうおつつけ難い能力ではあったが……そのときの暮野祐一が答えを出せなかったのは、おそらく『本当にほしいもの』が何なのかわからなかったからだろう。


 神様は『ねがいごとがきまるまで、いつでもあなたの助けになりましょう』と言って消えた。


 クレノが魔法を連発できる性質をもつことに気がついたのは、転生し、魔法を習ってしばらくした後のことだ。

 神様が言っていた『いつでも助けになる』という言葉が、魔法という形であらわれていた。

 それはまるで固有魔法のように働き、クレノが望むとき『いつでも』魔法を授けてくれるのだった。


 神様の声が聞こえなくなったあと、しばらくクレノは闇の中でたゆたっていた。


 だんだんと周囲が明るくなり、遠くからフィオナ姫の声が聞こえてきた。


 何を言っているのかはわからないが、カレンの声もする。ハルト隊長や、実験部隊の連中の声も。

 それから、不機嫌そうなフェミニの気配が感じられた。

 ルイス王子の花の香りもした気がする。


 そういうひとつずつの、記憶のなかにある小さな気配をたどって、クレノ・ユースタスは現世に帰還した。


 まず医務室の天井を見て、窓から差しこむ明るい陽射しに気がついた。

 陽射しは、少しほこりっぽい空気をきらきらと輝かせている。

 なにもないはずの空間に、そこに確かに求めていた答えがある気がして、クレノは手を伸ばす。



『なんでも作ればいい。お前が好きな物を、なんだって作ってみせればいいんだよ』



 横田和史よこたかずふみからもらった言葉が、何らかの啓示のように思い出される。

 言っていることはフィオナ姫と同じなのに、その言葉が輝いてみえるのはなぜだろう。

 天井に伸ばした手の平をぎゅっとにぎってみせる。

 空気をつかんだだけなのに、そこに大切なものがある気がする。


「…………作るか」


 声はかすれていた。


 王国歴435年蝉の月10日のことである。



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