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第92話 もしももう一度だけ話せたら⑥


 告別式が終わったあと、駅中にあるファストフード店で海老沢えびさわと話をした。

 喪服姿でこういう店を利用するのは雰囲気を悪くするかと思ったが、店内は適度に騒がしく、俺たちを気にしている者は誰もいなさそうだった。

 近況報告をしたあと、俺は会館のトイレで起きた出来事を洗いざらい海老沢に話した。

 とても自分ひとりでは抱えきれないことだ。でも、誰にでも軽々しく話せるようなことでもない。


「信じてもらえるかはわからないが……本当にあったことなんだ。俺が冗談を言うようなやつじゃないことは、海老沢もよくわかっているだろう」

「異世界転生……かあ……にわかには信じ難い話だけど……」


 海老沢はシェイクの一番大きなサイズをちゅうちゅう吸いながら、しばし考えている様子だった。

 そして二個目のハンバーガーにかぶりつき、ポテトをつまみながら、


「ヒロイン次第だな! おっぱいは大きかった?」


 と言った。やけにきりっとした顔つきだった。


「そこなのか?」

「俺は三大欲求に忠実に生きると決めてるんだ。おっぱいさえ大きければ、大抵のことは受け入れられる。シナリオの破綻はたんや、作画崩壊や、打ち切りやエタ死やカスみたいな性格の主人公もな。で、どうなんだそこのところ」

「見知らぬ女性の容姿についてあれこれ言うのは気が引けるが……」


 俺は俺なりに鏡通信の合間にうつりこんだ美人のことを思い出そうとする。紫色の瞳が印象的だったと思うが、海老沢が聞きたいのはそこじゃないだろう。


「胸はなかったと思う……」

「なるほどな、貧乳ヒロインか。性格とキャラデザしだいってとこだな」

「かわいいより、すらっとしたきれいな人で……ちょっと年上だったか?」

「ディテールが大事なんだぞ、がんばれ横田」

「そう言われてもな。俺は女の子が出てくるゲームとかはほぼしないし」

「銃が女の子になるやつやってなかったっけ」

「スペックにしか興味が持てなくてやめてしまった」

「もっと人間に興味をもてよ」


 そのとき、脳裏に何かがひらめいた。

 確かに俺はゲームをやらない。人間に興味がもてないから、キャラクターの容姿や性格や背景とかがとことんどうでもよく、続かない。

 しかし、妻のはなさんはちがう。彼女は一日の終わりに、スマホでできるゲームを楽しんでいる。そのキャラクターを見せてもらったときのことを思い出したのだ。


「そういえば、妻がやっているゲームに似ているキャラクターがいる」


 スマホで検索すると、有名タイトルだったらしく、すぐに情報が出た。

 何人か並んだキャラクターの中から、優しげな雰囲気のキャラクターの立ち絵をみつけた。


「ああ、これだ。ほんとうにそっくりだ」

「どれどれ」


 ポテトをくわえた海老沢が画面をのぞきこむ。

 海老沢は「ふーむ」と言ってポテトを続けて三本ほどむしゃりとした。

 そして衝撃的な一言を放った。


「横田、お前さ……。これ、男だぞ」

「!?」


 俺はもう一度画面にくぎづけになる。

 キャラクターは手足がすらりと長く、腰が細い。顔はちいさくて生まれてこの方「ムダ毛やヒゲは一本も生えてません」とでも言いたげな美肌である。服はひらひらだ。ほかのキャラクターも、多少の差はあれど全員そんな感じだ。

 果たして、こんなにきれいな男がこの世に存在しているのだろうか。

 いや、いない——と脳内の菅原すがわら先生が続けて「反語」と言った。


「そうなのか……? 俺はてっきり女性だとばかり」

「これは女性向けのゲームだ。男性向けのソシャゲが女キャラばっかりなように、女性向けゲームに登場するキャラクターはほぼ男性なんだ」

「そうだったのか。全然知らなかった」

「もっと人間界に興味をもってくれ、横田。お前が好きな戦車を作っているのもだいたい人間なんだぞ」

「そういえば、暮野くれのといっしょにいたヒロインらしき人物も、女性にしては声が低いような気がしたな」


 その瞬間、海老沢が驚愕きょうがくの表情を浮かべる。

 手のひらからポロポロとポテトの束がこぼれ落ちて行く。


「まさか……男のヒロインってことか……!?」

「おとこの……こ……? 男性かもしれないということか?」

「ちがう! いやそうだが、ちがう!」


 それからたっぷり三十分かけて、海老沢は『男の娘』が何なのかについて俺にレクチャーした。話の大半が、俺にとってはわけがわからない情報の奔流ほんりゅうだった。まるで呪文みたいだ。


「……つまり、男の娘というのは、女装した美少年ということでいいんだな」

「何か違う気もするが、今日はこれくらいにしておいてやろう」

「そうか。暮野は……異世界に行って、男の娘とつきあっているのか……」

「そうだな、そういうことになる。まあ、あいつが選んだ道だからな……」


 何気なく言ったが、ふたりとも思い浮かべたのは告別式のロビーで大暴れしていたオカマバーのマスターである。

 これはとても遺族の耳には入れられない新事実である。

 なんとなく世間話も尻すぼみになり、俺たちは「また会おう」と約束をして別れた。

 知っての通り、俺は誰とも「また会いたい」とは思わない性格だが、今日ばかりはそういう安っぽい約束がなければ、ここを立ち去ることができそうになかった。



 駅を出ると、世界は夕景に包まれていた。

 おどろくほど丸くて大きな太陽が、空の上に広がった朱色から、墨を伸ばしたような薄い水色の夜へと落ちて行こうとしている。

 とっぷりと暗くなった黒ではない空の色を見るのはいつぶりのことだろう。

 スマートフォンにメッセージが入っていた。

 駅を出たところのベンチで、華さんが待っていた。

 華さんは心配そうに駅から出てくる俺を探していた。一華いちかはなんにもわからない様子で、与えられたジュースを飲んで待っている。


「華さん」


 ちいさな声で呼ぶ。

 彼女はきょろきょろする動きを止めて、まっすぐにこちらを見つけてくれた。

 周囲に迷惑がかからない程度の小さな声なのに、彼女は立ち止まってくれるのだ。

 ここに自分がいることをわかっていてくれる。


 それでもう、だった。


 なりふり構わず走っていって、華さんを抱きしめる。そして一華を抱きしめる。

 胸が痛い……。

 心臓は俺の体のなかにあるものなのに、どうしてこんなに痛むのだろう。

 こんなにも痛んだら、走ることはおろか、自分ひとりでは立ってもいられないじゃないか。それなのにどうして。

 わからないままに、関を切ったように涙がこぼれだした。

 暮野の言葉が自然と思い出された。


 『横田。俺はこっちでうまくやる。

 だからお前も、奥さんと娘さんのことを守ってやれよ』


 暮野に言われなくても、もちろんそのつもりだ。

 だけどそれは何よりも難しいことだった。


 オタク趣味をやめたのは……。

 もちろん仕事が忙しいせいもある。少しでも時間があるなら家事をやり、華さんの負担を楽にしたいというのも本当だ。一華の成長を見守りたいというのも。


 でもそれ以上に、俺が好きになったものは残酷だった。


 どれだけ兵器が発達し、優れたものが世に出たとしても……。

 それはいつか一華を殺す兵器になるかもしれない。


 暮野が選んだものは、全ての道のなかでいちばん難しい道だ。

 誰もなしとげたことのない、いばらの道になるだろう。

 その先に別の未来はあるだろうか。

 あってほしいと思う。


 幾億の祈りを捧げた先に、誰も見たことのないべつの未来が。


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