三日後、フィオナ姫は決戦場である運動場に自信満々で現れた。
フィオナ姫の手には色鮮やかな一人用じゅうたんがあった。
「来たな! クレノ……わらわが勝負する魔法兵器は、これじゃ!」
「ほう、空飛ぶじゅうたんですか。たいしたものですね」
「先に言うな! 先に!」
クレノはすでにフィオナ姫の兵器の『ダメさ』をかぎとり、心の中で原作者に哀悼の意を表明していた。
まさか数か月でメインキャラクターが全滅するとはアラジンも思っていなかっただろう。
とんでもない悲劇だ。
「たしかに、これはそなたの言うとおり空飛ぶじゅうたんじゃ! 人をじゅうたんに乗せて空を飛ぶことができれば、偵察も簡単になるじゃろう!」
「まぁ、それは否定しませんけど……」
現状、兵士たちの戦いは、偵察部隊を出し、地道に敵を探すところからはじまる。いかに先んじて敵を発見するかが命運を分ける。
あるいは数万人が一同に会する大戦であっても、司令官が数万人の兵のひとりひとりを目視しているわけではなく、状況がどうなっているかは伝令による報告に頼らざるを得ない。
もしも空飛ぶじゅうたんに乗り戦況を直接視認できるようになれば、有利になるだろうとフィオナ姫は考えたのだ。
「……でも、それは魔法使い兵ならできますけどね」
「えっ」
「風の法を使えば飛べますよ。あと、少し難易度が高いですが千里眼を使う者もいます。伝令と偵察任務は魔法使い兵のオーソドックスな運用方法ですから」
「おぬし、飛べるのか?」
「正確には浮くって感じですけど、まあ」
「飛んでみよ!」
「いやですよ。これ以上無駄にストックを使うのは」
「なんじゃなんじゃ。おぬし、ほぼほぼ炎の魔法しか使わなんだではないか。魔法使い兵というのはそういうもんじゃと思うとったぞ」
「俺は魔法を連射できるので、そこそこ使いますけど……。他の魔法使い兵はあまりストックには入れませんね。どこの部隊でも推奨していないと思います。知らなかったんですか?」
フィオナは頬を赤くして「しらなかった」と呟いた。
素直に認められるところは良いところである。
「でもでも、これが実用化したら、いっぺんに大量の荷物や兵を運べるはずじゃ」
「まず、大きなじゅうたんを制作する機械を作らねばならないという難がありますが、それができたとして大量の荷物や兵の重量を支えきれるんでしょうかね?」
「まーたそうやって試してもみぬうちから文句を言う! クレノの悪いクセじゃ。とりあえず、乗ってみよ! 乗ればわかる! このじゅうたんはすごいんじゃ!」
クレノはひとしきり嫌がったが、自分が乗らなければ実験部隊の誰かを呼んでくるというので、渋々、絨毯に乗った。
青色の地に銀色でツタ模様が描かれたじゅうたんは、高級品のふかふかした触り心地だ。ムダに金がかかっている。
「落っこちぬよう、しっかり持っているのじゃぞ!」
「はあ……そう言われてもな……」
じゅうたんに安全バーがついているでもなし。
四隅に房飾りがついているのでそれを握りしめた。
「さあ飛ぶがよい、魔法のじゅうたんよ!」
姫様が号令をかけると、クレノを乗せたじゅうたんがふわりと浮く。
「お……おお~……」
失礼ながらまずは「フィオナ姫の発明なのにちゃんと飛んだ」という驚きがあった。
じゅうたんはふわふわと風に揺れながら、魔法兵器開発室の建物の屋上よりさらに上がり、ゆっくりと前進し……そして急加速した。
「——ぎゃっ!?」
あまりの勢いに帽子が吹き飛ばされて飛んでいく。
周囲の景色が瞬く間に後ろに流れ、じゅうたんは基地の外に飛び出してしまった。
「これ……操作とかどうすんだ!?」
どこを探しても操縦かんがついているわけではない。
戸惑うクレノの脳裏に『Ba349 ナッター』という単語が浮かぶ。大戦末期にドイツ軍が開発した有人ミサイル——テストパイロットは死んだ——と言ったらだいたいわかるだろう。空を飛んでいるときにあまり思い出したくないやつだ。
ほかにも数多のきらめく綺羅星のような珍兵器が脳内を駆け巡った後、下のほうから姫様の声が聞こえてきた。
「クレノーっ! 手を放してはならんぞーっ!」
下をみると、姫様が愛馬『フランソワ』を駆っている。
「じゅうたんの乗り心地はどうじゃ~!?」
「姫様!! これってどうやって止まるんですか!」
「まだまだ止まらん! 勝負ついでに加速度耐久試験をしてもらいたい!」
「加速って!?」
「うむ! そのじゅうたんの名は『マッハで飛ぶじゅうたん』じゃ!」
「マ……マッハって、文字通りのマッハですか!?」
「マッハじゃ!」
「いますぐ止めてくださいっ!」
「え~なんじゃって~?」
距離があってなかなか声が届かないのか、会話がうまく通じない。
そうこうしているうちに速度がまた上がり、馬に乗るフィオナ姫の姿がはるか後方に遠ざかっていく。
マッハという言葉が、異世界翻訳の綾でなければ、それは音速をこえるということを意味する。
音速は秒速340メートル、時速およそ1200キロをこえる超高速の世界だ。
異世界とはいえ1800年代の技術しかもたないヨルアサ王国で、音速の壁をこえることのできる飛翔体はたぶんない。竜にできないなら無いはずだ。
じきに風が強すぎて周囲の風景がまともに視認できなくなった。
じゅうたんは風と速さそのものにあおられて不安定にばたついている。
制御できていない。
じゅうたんの姿勢制御なんて誰も研究しているはずがない。
「誰か助けてくれーーーーっ!!」
防護服もなく生身のまま音速の壁に突っこんだらどうなるか――それでもしがみついているしかできないクレノは、はじめて真剣に神に祈った。
必死だった。
この祈りにくらべたら毎朝毎夕の祈りなんてごっこ遊びみたいなものだ。
祈りむなしく、じゅうたんは音速をこえた。
誰も破ったことのない壁を突破し、その後方に円形の衝撃波、いわゆるマッハコーンを発生させた。
その瞬間に、じゅうたんはばらばらになって崩壊した。
なにしろ、この世界ではだれもマッハをこえたことがないのだ。
音速をこえた物体がどうなるかなんて想像もできなかったに違いない。
そしてクレノはというと、じゅうたんが魔法兵器生命を終えた地点のはるか後方で、ゴミクズのように地面に横たわっていた。
最高速度に到達する前にみずから手を離したのだ。
落下する寸前に守護の法を使ったはずだが、かなり高いところから落ちたこともあり、着地した衝撃で全身の骨が折れる音がした。
まさか、こんなところで死ぬことになろうとは。
意識もうろうとしながら死の瀬戸際にいた青年の頬に、だれかが触れた。
ひどく冷たい手だった。
「癒しの法。——“
魔法をとなえる声を聞いた瞬間、クレノ・ユースタスは意識を失った。
*
目覚めたとき、そこには涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにしたフィオナ姫がいた。
「ぐっ……グレノ~~~~!! よかったよお~~~~~~!!」
「ここは……?」
クレノは白いふかふかな布団に寝かされていた。起き上がると、意外なことに体のどこにも痛みはない。折れたと思った骨も全部ぶじだ。
たしか、気をうしなう前に誰かが魔法を使う声を聞いたはずだ。
癒しの魔法、それも全身の傷を完璧に治癒するとなると、かなり長い時間をかけて紡いだ法のはずだった。
「王宮じゃ!」
「おっ……! 王宮!?」
「クレノ、おまえはじゅうたんから落ち、父王様がお庭でお茶をしていたところに突っこんだのじゃ!」
クレノ・ユースタスは目の前がまっくらになった。
フィオナの父親といえば、それはヨルアサ王国の国王ということだ。
許しもなく王宮に立ち入り御前を汚したのである。
よくて自刃、悪くて処刑といったところだろうか。
もちろんどっちが悪いかは人による。
「よけいな心配はせずともよい。この件についてはわらわから仔細説明しておる。責めもわらわが負う、当然じゃ!」
とはいえ名前と顔は覚えられただろう。
出世はないな、とクレノは思った。
もちろんパンジャンドラムの件もあるのでそう期待していたわけではないが、いよいよ絶望的だ。
「すまぬ、すまぬ~~~~!!」
「姫様、ひとまず命は助かったのですから、それ以上泣くことはありません」
「でも、でも……!!」
フィオナ姫は青い目をぐずぐずに濡らし、
クレノはしばらく落ちつくのを待ち、それから布団に突っ伏したフィオナ姫の背中に語りかけた。
「……いいですか、姫様。俺がふだんから開発した魔法兵器について口うるさく言うのは、こういう事故を起こさないためです。俺がテスト飛行をしていたからいいものの、一歩間違えば、なんの罪もない現場の兵士がこういう目にあっていたかもしれないのですよ」
「うむ……クレノ顧問の言うとおりじゃ」
「マッハで飛ぶじゅうたんは、残念ながら不採用です。飛ばすものがじゅうたんでは、速度を遅くしても落下事故は起きるでしょう」
「そうじゃな、わらわもそう思ったところじゃ。……じゃが」
ベッドのふちから顔を上げたフィオナ姫は、なぜか
「勝負はべつじゃ!」
「俺が全身の骨を折って死にかけたところを見てたでしょう!?」
「じゅうたんが不採用なのは納得じゃ。しかし、それとこれとは話がちがう! そなたの魔法兵器が、じゅうたんよりゴミで空を飛ばないということもありえる! ひろえる勝負はひろう! それがヨルアサ王家のモットーじゃ!」
執念に燃えるフィオナ姫の背後に、クレノはかつての同級生である
海老沢はカードゲームをするとき自分の手札が事故りちらかしていたとしても「相手も盛大に事故ってるかもしれん」と言い張って絶対にサレンダーしないことで有名であった。
「うそくせえ! そんな泥臭い王家あるはずないじゃないですか!」
「あるったらある! わらわがあると言っておるのだ、疑う余地はなかろう」
「いつか他の王族とお会いしたら裏とりますよ! いいですね!」
勝負は続行することになった。