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第16話 真実の鏡③


 それからというもの、クレノは真実の鏡と対話を重ね続けた。


 とはいえ転生前も転生後も、べつに心理学の知識があるでもなく、正直言って悩みの解決のために何をすればいいかわかっているわけでもなかった。だが、自分が悩んでいたときは、家族や周囲の人に話を聞いてもらっていたことが多かったような気がしたからだ。

 しかし、その過程で、クレノは自分の弱点に気がついた。


『クレノ顧問、人生で一番大事なこととはなんなのだろう?』

「えっと……それは…………一生懸命にがんばることじゃないかなあ」


 自分で言うのもなんだが、真実の鏡がもたらす哲学的な問いに対して、答えがめちゃくちゃ薄いのである。


『……フッ』


 真実の鏡がもらす笑いは、横田和史をほうふつとさせた。

 その度に、粉々に砕いてやりたい気持ちをぐっとこらえる。

 真実の鏡は、魔人のランプや横田とはちがう。まだ需要があるのだ。


『人とはなんなのだろう?』

「えーと、人ってのは考えるあしだと言った人がいたかな」

『…………我は真剣に問いかけているのに、借り物の知識とはな』

「……なんだよ、悪いのかよ」

『なんのためにその頭脳はついているのだ』

「お前こそ、考えすぎなんだよ。心配事はたいてい現実にならないっていうぞ」

『それは、運よく現実にならなかったやつだけがそう言っているんじゃないのか』

「…………えっ」

『もっと言うと、そいつが気がついてないだけで、現実にならないよう周囲のやつが気を配ってくれているのではないか? つまり、周囲の気配りに気がつかないアホの言説なのではないのかということだ』

「…………そうじゃないかって気がしてきた」


 真実の鏡と対話してわかったことは、クレノ・ユースタスがアホということであった。

 いや、アホとまではいかないが、人生とか真実とか、そういう深いことをこれまであまり考えてこなかったという事実がここにきて露呈ろていしたというほうが正しい。


 生前のクレノは、人生を漫然と生きていた。


 悲しいこともつらいこともあったが、なぜなのか考えるだけムダだと思っていた。

 『自分探し』なんてものは最大の嘲笑の対象でしかなかったが、じゃあおまえは何ものなのかといざ問われたら、答える言葉がない。


 鏡との対話は三日くらいで憂鬱になった。


 それで仕方がなく、クレノは真実の鏡を荷車に乗せて部屋の外に出すことにした。

 捨てたのではない。

 とても自分の手には負えそうにないので鏡の質問に答えられる人物を探しに行くことにしたのだ。


 まずはカレンのところに行った。


『人とは何なのだろう? 真実とはいったい?』


 そう問いかける鏡に、カレンはびっくりし、続いて不安げな顔つきになった。


「もしかして、私がいっぺん、粉々に割っちゃったから壊れちゃったの?」

「そういうわけじゃない。魔法による人格創造の結果だ。とにかく答えてやってくれ」


 カレンは不安そうな表情のまま腕組みをして、しばらく考えた。


「真実は難しいけど、人それぞれちがうって言うよね。人っていうのは……やっぱり、感情がある生きもののことかな?」

『犬も人か?』

「いや……それは違うけど……。犬の感情ってちょっと単純すぎるし、人とはちがうでしょ」

『では、人であれば、みな同じ感情をもつのか?』

「そ、それは……そう言われると違うような……」

『感情がそれぞれ異なるということは、真実の姿も千差万別ということだ。だとしたら人というものはどのように定義すればよいのだろうか』

「…………ゴメン、私にはムリだ!」


 鏡との問答をカレンは早々にリタイアしてしまった。

 悩みはいっそう深くなってしまったようだ。


 クレノは次に、実験部隊のハルトのところへ行った。

 ハルトは射撃場にいた。部下たちとともにを手にして、敷きつめた砂の中にまざった銃弾を選別にかけているところだった。

 ヨルアサ王国では鉄が貴重だ。訓練に使う弾だってタダではない。

 盛り土をめがけた射撃訓練に使ったあとは、こうして土の中から弾をより分け、使えそうなものは再利用しているのである。

 そんな涙ぐましい節約をしている最中にも、ハルトは嫌がるそぶりひとつせず、わざわざ考えをめぐらしてくれた。


「人の真実の姿ですか。うーん。そういう系は、僕らには難しいかもしれないですね。真実の姿だろうと嘘の姿だろうと敵の格好してたら撃つのが軍人ですし、撃たれたら死ぬのが戦場ですし……」

「だよなあ、そうだよな!」


 クレノはここぞとばかりに同意しておいた。

 一応魔法使い兵ではあるものの早々に体力仕事をリタイアしたくせに、都合のいいときは軍人面である、と横田和史だったら指摘したかもしれない。


「だから、外に出て街の人とかに話をきいたほうがいいかもしれませんね」

「——え」


 気がつくと、クレノは基地の外に出ていた。


「味方だと思っていたのに……」


 クレノは鏡を連れて街に出た。

 そして様々な人々に質問をして回った。


 人とは、真実とはなんなのか?


 基地の外には様々な職業の人々がいた。八百屋、肉屋、パン屋、役人、銀行員、教師、アーティスト、食堂の店主、酒場の店員や飲んだくれ、主婦、子ども、ホームレス……それぞれが、真実や人というものに対して様々な意見を述べるのをクレノは鏡に聞かせてまわった。


 しかしながら、そこに鏡が求める答えは見つからなかった。


 答えを探す旅はだんだんと長距離になり、クレノ顧問は基地には帰らず王都を出ることにした。


 さすがにこんなことに予算は下りないので、頼りになるのは二本の足のみだ。

 ゲートルをきつくしめてクレノ顧問は歩き続けた。


 まずは王都から街道沿いにヒルノ地方に南下し、ヨルアサ王国でも有数の学園都市に入った。

 著名な大学教授はしゃべる鏡の訪問も嫌な顔ひとつせず出迎えてくれた。研究室に置かれた人の骨や、人の祖先とされている化石を示しながら、人とは何かについて彼が知り得る限りの知識を授けてくれた。おそらくは、現代日本でいうところの自然人類学に近いような学問領域だろう。

 講義が終わると、鏡は教授に質問した。


『人とは何なのか?』

「ひとつ言えることは、人を人たらしめるものはその姿形だけではないんだ。文化的要素も深く関わっている。他者と交流し、社会を形成し得るのが人の特徴だからね」


 矛盾しているようだが、ひとりの人間から答えを訊くと、謎は解けるのではなくより深まっていく気配があった。

 教授は鏡のために遠方に住む哲学者に紹介状を書いてくれた。

 クレノは鏡を連れて旅を続けた。

 旅の間、クレノも鏡と話した。

 とはいえクレノには詳しい自然科学の知識も哲学の素養もない。

 相乗りをした荷馬車の荷台や、雨宿りに立ち寄った洞窟や、旅の宿でかわされた鏡との会話の大半はくだらないものだった。


『クレノ顧問、愛とはなんだ?』


 あれは、シソー公国との国境に向かう川下りの最中だっただろうか。

 船に偶然乗り合わせた夫婦を目にした鏡がそんなことを聞いてきた。


「知るかよ! 恋人もできたことないのに!」

『ここまで会話した人間のうち、32パーセントには恋愛経験があり、そのうち60パーセントは不貞を経験している。だからこそ聞くのだ。無垢なる68パーセントの代表者よ』

「このテーマを続けるならお前を割るからな」

『鏡とはいったい何なのか』

「そこは疑わなくてもいいだろう。鏡面になった平たい金属にガラスを貼ったもの、それがおまえだ」

『説明に鏡が使われている。自家撞着というのではないか』

「だから疑わなくてもいいことなんだろ」

『……ふっ、言うようになってきたではないか』


 なぜか鏡は終始上から目線だった。しかし、鏡との会話にも慣れてきて、その生意気な話し方も段々と心地よくなっていた。

 鏡を運ぶため、当初は荷馬車を使っていたが、じゃまになって捨ててしまった。

 以後、クレノは鏡を背負いながら歩いた。


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