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第14話 真実の鏡①


 時は少しさかのぼって。

 王国歴435年、飛蝗バッタの月1日。


 うわさになっていたシンダーナ神聖帝国とシソー公国の同盟はいまだ成らず、両国はぶきみな沈黙を保っていた。


 いっぽうそのころ、シンダーナ神聖帝国との将来を憂い、フィオナ姫によって設置された魔法兵器開発局はというと、定時である午後六時を過ぎたので全員が退勤していた。


 薄暗くなった局内には総務部のカレンがひとりぼっちで取り残されている。


「くそ~、クレノのやつ、ま~た領収書を出さずに帰りやがった! めんどくさい隊規がなかったら、隊舎まで追いかけていけるのに!」


 彼女は鬼の表情で、廊下をのしのし歩いている。

 ふつうの会社で言うところの社員寮にあたる隊舎は、当然、男性と女性が別になっており、行き来は厳密に禁じられている。なぜか? そんなもの言わずもがなである。だが、その禁を破りかねないほどに彼女は怒りくるっていた。


 ちなみに総務部のカレンは、クレノ・ユースタスの元同級生である。


 魔法学校時代、クレノとは仲がよく、いつも連れだっては悪さをしていた。


 だから卒業後、彼があっさりと王都を離れ、地方軍に入ってしまったのはカレンにとって晴天のへきれきであった。それは突然の青春の終わりで、どこか裏切られたような気持ちもしたが、カレンはクレノのその後のことをずっと気にかけていた。


 実は、フィオナ姫にクレノのことを紹介したのは、何を隠そうカレンなのである。


 もちろん——そこがカレンの複雑繊細なところなのだが——彼女は、だからといってその事実をクレノに押しつけがましく話したりはしていないのだった。


「誰のおかげで無人島から出られたと思ってるんだよ。あいつはいっつも調子に乗りすぎなんだ!」


 もちろんクレノはそのことを知らない。

 知らないのだからクレノも態度の取りようというものがないのだが、カレンはそれすらも燃料に変えてしまうのだった。


 だが、その燃料は、カレンもわざとところがあった。

 だれもいない廊下の床がギシギシときしみ、カレンはぶるりと震える。

 いつのまにか、彼女の中に確かにあった怒りの炎は消えうせてしまっていた。


「うっ……。やだ、なんでこの建物、こんなに暗いのかな、もう……」


 魔法兵器開発局が入っている建物は、予算の都合上、やけに古い。ガラスが貴重だった時代のなごりで窓も小さく昼間でも薄暗かった。

 なんだか空気が寒々しい気もしてくる。

 そのときだった。


『お、まぇ————………………………』


 どこかから低いかすれ声が聞こえてきた。


「まだ誰か残ってるの……?」


 カレンはびくりと体を震わせる。声は昼間、クレノが仕事をしている開発室から聞こえて来る。

 もしかしたら侵入者かもしれない。

 カレンは意を決して部屋の中に入った。


「誰なの!? 所属と名前を名乗りなさい!」


 声はいっそうはっきりと聞こえてきた。


『我は……真実の鏡……』


 ランプを向けると、扉の正面に銀色の姿見があった。

 そこには、明かりをかかげて立ちすくむカレンの全身がうつっている。


『お前の真実の姿を教えてやろう……』

「何これ! 鏡がしゃべってる!?」

『お前が隠している……真実の姿はこれだ……』


 鏡の中の像がゆがみ、別の姿が浮かび上がる。

 ゆがんだ像が元にもどったとき、そこにいたのはカレンであり、カレンではなかった。


 そこには彼女がひた隠しにしていた、秘密の姿があった。


 現実の彼女がカーキ色のスカートと上着を着ているのに対し、鏡の中はまったく違う。そこにはモコモコのナイトウェアを着た彼女がいる。

 薄茶色の生地のホットパンツとおそろいのパーカーは、王都でも若い女性に大人気のナイトウェアブランドの新作だった。フードのところに愛らしいお耳と、簡略化されたクマさんのお顔、そしてパンツにはしっぽもついている。全体的に幼さのあるデザインである。

 それは職場では男まさりで通っているカレンが、誰にも見せたことがない『カワイイもの好き』な姿であった。


「ぎ……っ、ぎゃあああああ~~~~っ!!」


 カレンはとっさに手近にあった灰皿を握りしめ、鏡にむかって行った。

 そして鏡を粉々に割りくだいてしまったのである。

 カレンも魔法学校出身の魔法使いなので、杖の携帯が許されている。

 魔法を使えばいいのに、物理でいった。

 これが、彼女がクレノから「ゴリラ」と呼ばれているゆえんである。


 ほんとうは、かわいい子ぐまちゃんなのに……。



 *



 それから一月後。

 破壊された鏡は修復が終わり、クレノ顧問の執務室に運びこまれた。

 運んできたのは恥ずかしそうにうつむいたカレンである。


「姫様、この度は大変、申しわけございませんでした。姫様の魔法開発局にお世話になって何年もたつのに、大切な魔法兵器を壊してしまうなんて一生の不覚です」

「よいのじゃ、カレン。物は壊れたらいくらでも直せばよい。それより乙女の手のひらにケガがなくてよかったぞ」


 フィオナ姫はそう言って、落ちこんでいるカレンをなぐさめる。

 しかし、クレノは冷たい声つきでいう。


「まさか壁にあいた大穴の修繕費を俺の給料から払おうとしていたカレンが、魔法兵器を破壊していたとは……な」

「あれは不幸な事故だったの、事故! だいたい、クレノがちゃんと書類仕事をしていたらあんなことにはならなかったんだからね」

「俺のせいか?」

「ほかの誰のせいだっていうのよ」

「書類仕事の責任は書類で取らせるべきだろう」

「うぐっ……。あのね、そういう態度はないんじゃない!?」


 言いあいをするふたりを、フィオナ姫はほほえましく見つめていたが、これはきりがないぞとさとったところで「クレノのせいじゃ!」と結論づけた。


「ええっ、そりゃないですよ、姫様」

「まあまあ。カレンがいつもきちんと仕事をしておって、クレノ顧問が魔法兵器開発以外のところでちゃらんぽらんだというのはわらわも知るところじゃ。今度のことは不幸な事故ということで、さっそく新しい魔法兵器の試験をはじめるぞ!」


 クレノは不承不承、開発計画書に目を通す。

 カレンが壊してしまったのは『真実の鏡』という名の魔法兵器であった。


「姫様、この鏡はいったいなにをするものなんですか?」

「うむ。よくぞ聞いてくれたな、クレノ顧問。これはな、鏡にうつった者が心に秘めている真実の姿を映し出す魔法の鏡なのだ」

「おお、それはすばらしい」


 童話に出てくるような『魔法の鏡』の亜種か、とクレノは思ったが、思うだけにしておいた。


 鏡はとりわけ魔法との縁が深い道具だ。

 昔の人々は、自分の姿を写しとる不思議な鏡に、霊性や神秘性を見いだしていた。それゆえ、さまざまな祭儀や魔術に鏡が用いられた。


 ただし、魔法との相性がよくとも、魔法兵器としては扱いにくい。

 単純に兵器としての要素がないからだ。


 真実の鏡も、敵に攻撃をする能力は持たない。

 しかし、相手の真実の姿を見ることができるというのは、使いようによっては役に立つだろう。

 そこまで考え、沈黙が気になった。

 ふと見るとカレンとフィオナ姫がそろって口を半開きにしたまま固まっていた。

 まるで靴下をかいだ猫みたいな顔つきである。


「なんですか二人とも、ヘンな顔して」

「クレノ顧問がまさか他人の発明をほめるとは思わなんだからじゃ……!」

「いつもは文句ばっかり言うのにぃ……」

「俺だって、使えそうな魔法兵器ならほめますよ。俺のことをいったいなんだと思ってるんですか」


 顧問の仕事は、魔法兵器に適切な評価を下すことである。

 ただむやみやたらに文句を言っているわけではない、と、クレノは憤慨ふんがいする。


「さっそく、機能を試してみたいですね。ただ、真実の姿というのがどういうものかわからない以上、うかつに試すと職場の信頼関係にヒビが入りかねません。——カレン、お前には何が見えたんだ?」

「い、言えるわけないじゃない!!」


 カレンは顔を真っ赤にしてうろたえている。


 クレノは魔法学校時代のことを思い出す。

 まずいのいちばんに、魔法薬学の実験で、思いっきり試薬の臭いをかいでしまいゲロを吐いたカレンの姿が思い出された。もちろん、そのあとでクレノももらいゲロを吐いた。


 そういう思い出をもつふたりの間柄でも話せないとなると、そうとうやばい秘密を抱えているにちがいない。クレノは思わず生つばを飲みこんだ。


「クレノ顧問。実験のことなのじゃが、実は諜報部からスパイの疑いがある人物を捕まえたという連絡があってのう。かたくなにスパイであることを認めていないらしいが、その正体を見抜くのに、この真実の鏡が使えるのではないじゃろうか」

「スパイですか……それはまさしく、うってつけの案件ですね」


 フィオナ姫の提案はあっさりと受け入れられ、ふたりは監獄にむかうことになった。

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