フィオナ姫が戸惑うのもむりもない。
解放された魔人は、ずしんずしんと恐竜じみた足音を響かせながら、フィオナ姫のほうに向かったからだ。
「え? ――えええ? なんでこっちに来るのじゃ? クレノ顧問!」
「姫様。あれを見てくださいよ、完全に仕上がってます。殺し屋の目です」
「な……なぜじゃ……なぜこちらを見つめているのじゃ……」
「そりゃあ、姫様のことを憎んでいるからでしょう。チョモランマ並に筋肉をムキムキに育て上げるために、いったいどれくらいの訓練をさせたんですか?」
フィオナ姫は「はっ」とか言って震えはじめた。
筋肉を育てあげるには絶え間ない訓練が必要だ。食べるものにも気を使い、過酷な減量で不眠におちいる選手もいるという。
それを願いの力を悪用して強制したのだ。
実験の最中、魔人がずっとフィオナ姫をニラみつけていた理由がそれだ。
ムキムキ魔人は、命令を出したフィオナ姫に対して完全にキレている。
キレちらかしているのだ。
「だから反対だったんですよ。もしも三つ目の願いでムキムキ魔人を自由にし、野に放ったとしたら、魔人の軍団はまずまちがいなく姫様を襲うでしょう」
「はわ……はわわわ……! そんなあ……!」
フィオナ姫がおびえたまなざしで魔人を見つめる。
はち切れそうな魔人の大胸筋にくらべると、フィオナ姫はまるで大きさくらべに使うタバコの箱のようだった。
「ひいっ、なんとかせい、クレノ!」
「う~ん、まあ、やってみますけど……」
クレノ顧問はぼんやりとした声つきでそう言い、狼の銀細工を飾った杖を腰から抜き、前に進み出た。
次の瞬間、チョコレート色の筋肉ダルマがこちらに突進してくるのがみえた。
とっさに突進を避けると、筋肉のかたまりが背後の盛り土を粉砕した。
嘘でも、幻覚でもない。土の山が文字通り爆散したのである。
まき散らされた土くれが、雨あられと降りそそぐ。
あんな攻撃をまともに受け止めたら、たちまち人間ハンバーグの原料になってしまう。
もう一度、魔人が突進の構えを見て、すかさずクレノは魔法を使った。
「————守護の法。“
呪文の詠唱に反応して、魔法の
筋肉ダルマは構うことなく再び突進してくる。まるでチョコレート味の特大ウェディングケーキが突撃してくるようだ。
魔法があっても、突進の勢いまでは殺せない。
クレノは魔法の
「うっ!」
クレノは痛みをこらえて起き上がり、筋肉ダルマに杖の先端を向ける。
「炎の法。——
杖の先端から炎が吹き出し、魔人の巨体を吹き飛ばそうとした。
だが、頑健な肉体は、炎を浴びても後ずさるのみだ。
怒りと憎しみに満ちた瞳を輝かせながら、ムキムキ魔人は焼けた大地を歩いてくる。
「うーん、これはダメですね。強すぎます」
クレノ顧問がぼんやりとした、あまり緊張感のない声で言う。
「ダメってなんじゃ、ダメって! あきらめたらそこで試合終了じゃぞ!」
「俺の魔法が軽く防がれてしまいました。今使ったストックは練りに練った魔法で再装填には三ヶ月かかるんですよ」
「じゃあどうするのじゃ!?」
「逃げましょう。お体に触れる無礼をお許しください」
クレノはフィオナ姫の体をかつぎ上げると、脱兎のごとく逃げ出した。
魔人はそのうしろを悠然と追ってくる。
クレノとフィオナ姫が必死に走っているのに対し、魔人は歩いているだけなのに、その差はゆっくりと縮まってきている。
魔人は満面の笑みを浮かべていた。まるで獲物を追い詰めるのが楽しくて楽しくて仕方がないと言わんばかりである。
「追ってきとる! 追ってきとるぞクレノ顧問!」
「姫様のワガママにつきあわせるのは馬鹿馬鹿しいと思って、隊員たちにはあらかじめ出かけてもらっていたのが裏目に出ましたね」
「貴様! やっぱり手を抜いておったんじゃないか! どうするんじゃ、大ピンチじゃぞ!?」
「俺は言いましたからね。姫様のせいですよ。責任とってください」
「まさか、わらわを置いていくつもりじゃなかろうな!?」
恐怖に震えるフィオナ姫を落ち着かせるように、クレノは優しく語りかける。
「ご安心ください。ここで逃げたら敵前逃亡あつかいになって、俺は間違いなく死刑です。どのみち死ぬなら一緒に死にましょうね」
「ご安心できる理由がひとつもないのじゃが~~~~!」
半べそをかいている姫様はかわいそうだが、とはいえ手がないのは本当だ。
ふたりは、とうとう敷地の端まで追い詰められた。
「姫様。最後の魔法を撃ちます、巻きこまれないようにお逃げください。炎の法。——
クレノ顧問は迫る魔人に杖を向け、同じ攻撃魔法を使った。
鍛え上げた魔人の肉体はなんとかその場に踏ん張ろうとするが、すかさずもう一度、同じ魔法を撃ちこむ。
「
激しい炎の二連撃を食らえば、無事ではいられない。
今度はムキムキ魔人のほうが吹き飛ぶ番だった。
魔人の体が毬のように宙を飛び、魔法兵器開発局の建物を突き破り、壁に大穴を開ける。ちょうど、フィオナ姫の部屋があるあたりだ。
「やったか!?」
さすがに攻撃魔法の二連撃を食らえば再起不能だと思うが——しかし、予想に反し、ムキムキ魔人は全身から煙を上げつつ穴のむこうから姿を現した。
そしてクレノの隣でこわごわと様子をうかがうフィオナ姫をにらみつけている。
「生きてる!?」
「こわっ! わ、わらわが悪かった、魔人よ!」
「いまさら謝っても遅いですって。あのランプが敵の手に渡ったらどうするつもりだったんですか」
「いっ、嫌じゃ~~~~っ! というか、まずアレをなんとかしてくれい!」
すると、クレノの足下に実験に使ったものとは別の蓋つきカレー容器が転がってきた。
どうやら、先ほどの衝撃で部屋にあったものが散らばり、ダンボール箱からこぼれ出したのだろう。
これしかない。
魔人には魔人をぶつけるのだ。
すばやくカレー容器をひろい、三度こすった。
「魔人よ、“
現れた筋肉が「ガッテンショウチノスケ」とこたえ、暴走したムキムキ魔人のもとに歩みよる。
どちらも鍛え抜かれた筋肉の持ち主だ。
お互い、うかつに攻撃できずににらみあいが続く。
暴走魔人がアブドミナルアンドサイを披露すると、さっき召喚したばかりの魔人はモストマスキュラーで迎え撃つ。
「はやくしてくれ……」
筋肉の見せつけあいは三時間におよんだ。
*
クレノ・ユースタスはフィオナ姫から預かった計画書に改めて『不採用』のハンコを押した。
姫様が発案したムキムキ魔人のランプは封印を施され、復讐を誓う百体のムキムキ魔人とともに魔法兵器開発局の倉庫に眠ることとなるだろう。
お蔵入りである。
その後もしばらく、姫様はしょんぼりしていた。
ただし魔法兵器開発計画が没になるのはこれがはじめてのことではない。
フィオナ姫はみてのとおりのポンコツで、これまでも幾多の魔法兵器が倉庫行きとなったのだ。
それゆえ第三王女の魔法兵器開発室は、魔法
「泣きたいのは姫様ではなく国民です。キホン、国民の血税が姫様のお小遣いなんですからね」
「わかっておるわ、クレノ。わらわはこの失敗にめげず、魔法兵器開発にまい進すると誓う! 計画はまだまだある。どんどん形にしていくぞ!」
「なぜ計画を止めないんだ」
「そう言うなら、お前の計画立案で、新しい魔法兵器を開発すればよいではないか」
「うっ……」
クレノは気まずそうな表情で、目をそらす。
「それから……さっき魔人と対決しておる最中にお前が発した、チョモランマ? というのはなんなのだ?」
「あ、やっべ……」
姫様はポンコツである。
だが、なかなかあなどれないところがある。
どうやら『サイドチェスト』が異世界翻訳で出てきたせいで、気が緩んでいたようだ。
そう。
——クレノ顧問はこうみえて異世界転生者なのである。