「あんたのこと、噂になってるよ」
ここは東京都新宿区の某所にある、
大きくスリットの入ったきわどい黒のドレスに身を包んだ女性が、煙草をふかしながら立っている。
その正面にいるのは、おおよそこの場には似つかわしくないほど純朴そうな青年。
「それはいいこと……、ですか?」
エレクトラムは苦笑しながら聞いた。
「もちろん違う。あんたがルシファー様の獲物を日本の地獄に勝手に移籍させちゃったからでしょ。自分が一番よくわかってんじゃないの?」
「まあ、そうですね」
ルシファーの獲物、とは、この間知り合いになった元〈
あのあと、エレクトラムは知り合いの
閻魔の元で獄卒として存在できるよう契約書を書いてもらうためだ。
その
「でも、別にいいでしょう? 彼は日本人です。〈鬼〉として生きる権利があるんですから」
「だからって……。これだから
「それはどうも」
「で、何の用があってあたしを呼び出したわけ? ご丁寧に逃げられないように魔法陣まで用意しちゃってさ」
悪魔の足元で、地面に描かれた魔法陣が淡く光っている。
エレクトラムは微笑みながら訪ねた。
「人間に
悪魔は肩をピクリと動かしたが、さも何も知らないというように笑って見せた。
「知らないね」
「貴石族と魔女族、どちらが怖いか知ってます?」
悪魔は一瞬怯えたように顔が元の姿に戻ったが、再び人間に姿を整えると、自嘲するように大きな声を出した。
「いいかい、小僧。貴石族と魔女族のどっちが怖いかだって? そんなの、どっちもクソくらえだね。あたしたちが畏れているのはこの世界でただ
「機嫌を損ねたのなら、すみません。でも、それなら、魔法使いについては話せますよね?」
悪魔はエレクトラムを睨みつけながら思考を巡らせた後、溜息をついた。
「あんた、顔に似合わず頑固なんだね」
「それはどうも」
「褒めちゃいないよ。……あたしが知ってんのは渋谷を根城にしてる奴だけ。でも、ただの下っ端だよ。学生に毛が生えた程度の魔力しかないしね」
「会ったことあるんですか」
「そいつは呪物の調達担当なんだよ。売人として立つのは週に一回あるかないか」
「何か特徴はありますか」
「趣味なのかしらないけど、身体中タトゥーが入ってるらしいよ。それも、眼球とアソコにもね」
悪魔は下腹部を指し示し、ニヤリと笑った。
「い、痛そう……」
「悪いことは言わないから、関わるのやめとけば?」
「そういうわけにもいかないんです。私の大事な友人が巻き込まれたので」
エレクトラムの瞳の中で魔力が弾けた。
今度は悪魔が本気で怯えてしまったようで、上半身が元の姿に戻ってしまっている。
黒い毛でおおわれた、山羊に似た獣身。
黄色い目は揺れ、五本指に生えている
「すみません。魔力の暴走で怖がらせてしまいましたね。もう行って結構ですよ。ありがとうございました」
エレクトラムは魔法陣を杖の先で切ると、悪魔は一目散に消えていなくなった。
「全身にタトゥーか……。顔にもあるのかな」
エレクトラムは指先を走る痛みに顔をゆがめながら、怒りと魔力を鎮めようと、深呼吸を繰り返した。
数時間前のことだった。
いつものように出勤し、館内を見回っていたら、突然呼び出しの音楽が鳴ったのだ。
エレクトラムが急いで休憩室へ向かうと、月島が口から紫色の泡を吹いて痙攣し、倒れていた。
その身体には静電気のような魔障が閃光を放っている。
「ど、どうしようエリー!」
慌てるスタッフたちを下がらせ、エレクトラムは自分の指輪を一つ引き抜くと、月島の指に通した。
魔障が徐々にひき、痙攣が治まっていく。
呼吸が落ち着き、顔色が元に戻った。
「これ、いったい……」
「
「まさか……」
「
スタッフはすぐに受話器をとり、
その間に、エレクトラムは月島のロッカーを漁り始めた。
その場にいた誰も、異議を唱える者はいない。
「……これだ」
鞄の中から見つかったのは、カラフルな糖衣が施されている人気のチョコ菓子。
中には果物のジェリーが入っており、口の中でチョコと混ざってとても美味しい。
どこのコンビニにも売っている有名な商品だ。
「赤だけチョコじゃない……」
エレクトラムが触れると、ピリッとした痛みが指先に走った。
「これ、月島さんがどこで買ったかわかりますか⁉」
まだ売っているのだとすれば、大変なことになる。
これでは、無差別テロと同じだ。
「こ、ここから一番近いコンビニだよ」
「
エレクトラムはなりふり構わず杖に跨り、博物館を飛び出した。
歩行者や車の邪魔にならないよう、ある程度の高度を保って飛行する。
コンビニに着くと、走るように杖から降り、すぐに菓子コーナーへ行ってチョコを探した。
「あった!」
陳列棚にはまだたくさん残っている。
そのすべてに手をかざすと、五つから反応があった。
「すみませんが、通報を受けて来ました。
タイミングよく、
「こっちです!」
エレクトラムは手を上げ、警察官たちに問題の場所を知らせる。
「あ、君はたしか……、エレクトラムくんだっけ」
「そうです」
挨拶もそこそこに、エレクトラムは陳列棚からチョコ菓子の箱を引き抜くと、近付いてきた警察官たちの前で手をかざして見せた。
「こ、これは! まさか……、
警察官の表情が強張った。
「ここにはこれだけみたいですけど、でも、他にも買ってしまった人がいるかもしれません」
「わかった。ここからは
「そうです。なんでもお手伝いします」
「わかった。とりあえず、これから到着する捜査官にあの月島という人間の症状を詳しく話してくれ。すでに二人、博物館へ向かっているはずだから」
「わかりました」
警察官二人がコンビニに非常線を張り、その様子を通行人たちが好奇心を含んだ目で見つめている。
彼らの間をすり抜けるようにエレクトラムは博物館へ戻ると、ユウキが来ていた。
「ユウキさん!」
ユウキは赤子を宿した母体をいたわるようにゆっくりと立ち上がり、エレクトラムへ近付いた。
「大変だったな、エリー。月島さんはすぐに
「よかった……」
「スタッフたちからはすでに聴取したから、エリー、君が見た状況を詳しく話してくれ」
「わかりました」
月島が横たわっていた場所からは、異様な甘い香りが漂っている。
エレクトラムは所見と、どうやって症状を抑えたかを説明した。
「そうか。そういえばエリーは
「はい。だから魔力抑制用の指輪を一つ使ったんです」
「大丈夫なのか?」
ユウキが少し眉根を寄せてエレクトラムを見つめる。
「私は大丈夫です。少し余分に身に着けていますから」
「そうか……。ならいい。だが、いったい誰がこんな非道なことを……」
「あ、あの……」
スタッフの一人が、おびえたような表情で話に入って来た。
「どうした? もし何か知っているのなら、全部話してくれ」
すると、三人のスタッフが顔を見合わせながら、話し始めた。
「実は、ここ最近月島さん論文とかでとっても忙しそうで。すごく疲れた様子だったんですけど、三日くらい前から突然元気になったんです。どうしたのか聞いてみたら、『チョコが身体に効くみたい』って……」
「なぜかはわかっていなかったが、彼女は体調が改善したから食べ続けてしまったんだな」
「そうみたいです。もっと早くラブラドルくんに言えばよかった」
そう言うと、スタッフは泣き出してしまった。
「そんな、無茶ですよ。むしろ、今思い出して言ってくれたことが大きな手掛かりになります」
エレクトラムはスタッフに「休憩に出ていいですよ。ゆっくりしてきてください」と言い、優しく労った。
「エリーの言う通り、人間が気付くのは無理だ。それに、三日前からというのは大きい手掛かりだ。ただ、その分被害が広がっているということでもあるが」
ユウキの険しい表情を見つめ、エレクトラムは呟いた。
「私、手がかりを探れるかも」
「何か思い当たるのか?」
「魔法使いのことなら、呼び出される側に聞いてみるのもいいかも、と思って」
エレクトラムの提案に、ユウキはゆっくり頷いた。
「なるほど……。悪魔たちか」
「十字路なら簡単ですから」
「では、さっそく明日から頼む。今日は……」
二人で話していると、近所へ買い物に出ていた
「おお、オーナー殿」
「これは……、え、ど、どうしたんでしょうか」
ユウキは動揺する
「私からお話させていただきます」
「わ、わかりました。……まさか! ラブラドル君たちに何かあったのでしょうか⁉ 怪我してるようには見えないけど……」
「私は大丈夫ですよ。とにかく、お二人で話してきてください」
「……そうするとしよう。では、こちらへ」
二人は奥の部屋へと入って行った。
エレクトラムはそれを見届けると、近くにいたスタッフに「ちょっと出てきます」と声をかけ、上着掴んですぐに博物館を後にした。
そして現在、エレクトラムは杖に跨り空へと飛びあがっていた。
「全身にタトゥーって言っても、今の時期じゃ長袖着ちゃってるだろうしなぁ……」
渋谷上空を飛びながら、街行く人々を注意深く観察してはいるものの、一向に見つからない。
「魔女族は何人かいるけど……。普通に人間に溶け込んで生活しているような人ばっかりだ」
博物館を飛び出してすでに四時間が経とうとしていた。
「もう二時か。人通りもまばらになってきたなぁ」
どうやら、今日は不発だったようだ。
悪魔も言っていた。
奴が街に立つのは週に一回程度、と。
「一週間、張り込んでみるか」
エレクトラムは一度博物館に戻ることにした。
「うう、寒い」
夜風が服の隙間を通り抜けて身体を冷やしていく。
エレクトラムはかじかむ手を吐息で温めながら空を飛び続けた。
奇しくも、今日は年が明けてから初めての満月の日だった。