エレクトラムは三日間の休みをもらい、久しぶりの出勤。
図らずも、新年あけましての元日。
年末年始の空気感には、特別な用事が無くとも、どこか高揚感を覚える。
冷たい夜風に溺れないよう歩きながら、〈二十一字の博物館〉の従業員用入口へと向かい、おだやかに暖房の効いた館内へと入って行く。
その手には、封印の陣が刺繍された大きな袋を携えて。
「あけましておめでとうございます」
「おお、ラブラドル君。あけましておめでとう。年末は大変だったね。よく休めたかい?」
「おかげさまで。とても元気です。それで、あの」
「もしかして、それが例の?」
「そうです。見ていただけますか」
エレクトラムは持ってきた袋からいくつかの箱と数枚の絵画を取り出し、机に並べた。
「これらが……、
「そうです。全部〈人間〉で出来ています」
「ううん、すごいなぁ」
あらゆる個所の人皮で装丁された本数冊、血液や骨を絵具やインクにして描かれた絵、人骨から作られた
「こういうモノを作っている人に心当たりありますか?
「だろうねぇ……。これは呪物として作られたものというよりも、おそらくは民芸品や美術品としての作品だと思う」
「やっぱりそうですか……。あの……」
「もちろん、まかせてもらってかまわないよ。むしろ腕が鳴るねぇ! 遅くとも三月までには作者を割り出せると思う」
「おお! さすがオーナー!」
「ふふふん!」
だからこそ、エレクトラムはあのあと魔法魔術協会の警察である
「あ、そうそう。ラブラドル博士がシャンバラの展示会についての計画表を作ってくれたんだけど、シャンバラ側が『ラブラドル博士がいらっしゃるならさらに国宝を出します』と言ってくれて。嬉しいことに、好い意味で計画表の見直しが必要になってしまったんだよ」
「あらら。奈良から呼び戻しますか?」
結果的にとても楽しんでいるようで、毎日定期的に写真が送られてくる。
「いや、せっかく日本のお正月を楽しんでくれているからね。私が奈良まで行こうかと思って」
「いいですね。喜ぶと思います」
「それはよかった。ほら、けっこう学者さんの中には遺物との対話を一人で堪能したい人もいるでしょう? だからどうしようかと思っていたんだ」
「ニクスくんは大丈夫ですよ。むしろオーナーが心配です。話し相手として離してもらえないかも」
エレクトラムは壊れた目覚まし時計のように話し続けるニクスを想像し、顔がほころんだ。
「あはははは。その辺は大丈夫だよ」
「ですね」
二人で話していると、次々と出勤してきたスタッフたちが机の上に並んでいる呪物に「うわぁ」と言いながらも興味深そうに眺め始めた。
「これ全部展示するんですか?」
西洋宗教美術を専門としている五十嵐は、いくつかの絵画を見つめながら
「いや、調査が済み次第
「えー、もったいない」
エレクトラムは学芸員と
彼らはみんな人間だ。
それなのに、働いている環境が特殊なために、ほとんどの場合呪物を怖がることはない。
魔法使いに対しても同じだ。
魔法を使っても怯えないでいてくれる。
エレクトラムにとってこの〈二十一時の博物館〉は、とても大切な場所なのだ。
「みんな、外はどうだった?」
「……今年も大変なことになりそうだね」
エレクトラムは出勤中に見た光景を思い出し、梅干を食べた時のような顔をしながらうつむいた。
隣接する大きな公園では、毎年大晦日から一月三日まで多くの屋台が出る。
飲食スペースもかなりの広さが確保されており、まさに連日宴会のような騒ぎなのだ。
昨日の夜は初詣の為に終日電車が運行していたこともあり、そこまでひどい事態にはならなかったのだが、三が日は毎年恐怖を感じるほどの盛り上がりを見せる。
「今年も三日間、酔っぱらいの来館お断りを徹底して乗り切ろう!」
普段は館内を巡回しているエレクトラムも、今日から三日間は博物館の周囲も徹底的に見回ることになる。
泥酔者は何をしでかすかわからない。
公園内に臨時の仮設派出所はあるが、警察官の人数にも限りがある。
「えいえいおー!」
エレクトラムも声を上げ、いつもより己を奮い立たせて準備を終えると、最初の持ち場であるチケットブースの護衛に向かった。
「ま、間に合わなかったのか⁉」
チケットブース横の博物館出入り口前の階段で、すでに寝ている酔っぱらいが三人。
階段に座って飲食しているカップルや集団が複数。
「うわあ……」
それぞれ個別に声掛けしている間にも、次々と座る場所を求めて人がやってきてしまう。
ここはもう、いっぺんに聞いてもらうしかない。
エレクトラムは拡声の魔法を使った。
「ここでの飲食や階段に座る、寝そべるなどの行為は御遠慮願います!」
数人が振り向いて「すいませーん」と言いながら立ち上がってくれたが、まったく聞こえていない集団もある。
こうなるともう言葉では意味がないので、エレクトラムは毎年行っている対処法を行うことにした。
それは局所的に小雨に似た水滴を降らせることだ。
パラパラと小粒の雨が人々の頭上に降り注ぎ始めた。
「……よし」
さすがに濡れるのは嫌なようで、全員が立ち去ってくれた。
「平和に解決してよかった……」
エレクトラムは雨を止めると、濡れた階段を魔法で乾かし、チケットブースのスタッフに「いつでも困ったら呼んでください」と告げ、周囲の見回りに向かった。
「……泣いちゃう」
吐瀉物、空き缶、食べかけの屋台飯、シンプルにゴミ、そしてもっと嫌なのが……。
「こんなところでいたすなよ……」
使用済みの
たしかに、博物館の壁の一角は公園の中でも死角として人の目からは遠ざかるような位置にあるけれど、野外は野外である。
新年で浮かれているとはいえ、人間はそこまで羽目を外すものなのだろうか。
エレクトラムはどんよりとした気持ちになりながらも、せっせと魔法で掃除をしていった。
ゴミを浮かせて区指定のゴミ袋に分別して入れながら、汚れを水流で洗い流し温風で乾燥させる。
博物館の周囲をたった一周しただけで燃えるゴミ、燃えないゴミ、缶ビンの袋がそれぞれいっぱいになってしまった。
そしてまた出入り口に戻ってくると何組かが階段で飲食している。
チケットブースのスタッフが注意するも、その声は届いていないようだ。
エレクトラムはまた小雨を降らせ、階段から人をどかした。
本当は濡らしたままでいたいのだが、それだと来館してくれる人が滑って転んでしまうかもしれない。
毎回乾かすしかないのだ。そしてまた、数十分経つと人々が座り出す……。
「普段のマナーが良い人々はどこに行ってしまったんだ……」
エレクトラムはうなだれながらゴミ捨て場に向かった。
その後も博物館の周囲を三周してから一度館内へ戻ると、中はそれなりに平和だった。
うるさいのは呪物の展示室くらい。
元日に漂う独特の神聖な気にあてられて苦しそうに呪物たちがうめいている。
毎年の風物詩のようなものだ。
「今日は中にいる必要なさそう……、でもないのか」
呪物に話しかけている人がいる。
見た目だけでは判断できない静かな酔っぱらいが一番厄介だ。
エレクトラムはそっと近づき、「カフェでお水をお出ししますので、そちらで少し休まれた方がいいですよ」と誘導した。
カフェで寝られるのも困るのだが、呪物と会話を続けられる方がよっぽど恐ろしいことになる。
エレクトラムは小さくため息をつきながら、さらなる仕事へと戻って行った。