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拾弐:一線

 雪の降る寒い夜。

 杖に乗って空から舞い降りてきた二人の男性が、あたたかな博物館内へと入って行く。

 中は歓迎の為に待っていた職員たちで満たされていた。

「ようこそおいでくださいました! ラブラドル君、ラブラドル博士を紹介してくれて本当に本当にありがとう!」

 博物館に着くなり拍手で迎え入れられたニクスは、四月朔日わたぬきに大歓迎を受けて連れていかれてしまった。

「あの様子だと、閉館時間までずっと話し込んでるだろうな」

 昨夜も徹夜したのだろう。

 ニクスの目は相変わらず充血しているが、嬉しそうにとても輝いて見える。

「なぁ、あの人がシャンバラの専門家?」

「そうですよ、笹野さん。従兄弟のニクス・ラブラドルです」

「めちゃくちゃ美男子イケメンじゃん……」

「本人にその自覚は皆無ですけどね」

 ニクスは四月朔日わたぬきに会うということで、いつもよりは身だしなみに気を使っているようだが、持って生まれた容姿を活かしきれてはいない。

 エレクトラムからすればそういうところがニクスらしいとも言えなくもないが。

「じゃぁ、館内の巡回始めますね」

「おう」

 エレクトラムは私物をロッカーに収めると、いつも通り仕事を始めた。

 順番に展示室を巡って行く。

 すると、呪物の展示室の中に、解像度の低い人影がたたずんでいた。

 見慣れない残像。

 エレクトラムは目を凝らしてよく見てみると、その人物が何者なのかわかってきた。

 魂が重なっている。消えかけの儚い魂と、怒りで闇を孕む魂。

 見覚えのある仄暗い光と、その姿。

艶兎えんとさん、ですか」

 男はゆっくりと振り返った。

 その顔は、艶兎えんとが愛した女性、みやびの夫だった。

「……何があったんですか」

 残像が重なる。

「……亡くなったんですね」

「ああ。飲酒運転のトラックに追突されて、この男もろとも、彼女は死んだ」

 艶兎えんとが憑依している男性の右半身は、不自然な折れ曲がり方をしている。

「この男は最期まで彼女を護り、自分の身体で衝撃を和らげようと頑張ったようだ。でも、無駄だった」

 左手から滴る血は、乾いていない。

「あなたは……、私に殺されに来たんですか」

「そう見えるか」

「その左手の血は、あなたの愛する女性のものでも、その旦那さんのものでもありませんよね」

 艶兎えんとは口元をゆがめ、嗤いながら博物館の出入り口へと向かっていった。

 幸い、まだ来館者は一人もいない。

 エレクトラムはその後ろについて行った。

 途中、何人かの学芸員が心配そうに怯えた瞳でエレクトラムを見ていたが、近寄ってくるのをそっと手で制した。

 外には雪が積もり始めていた。

「もう少し離れたほうがいいか?」

 艶兎えんとは周囲を見渡しながら尋ねた。

「そうですね。ここでは、チケット売り場から凄惨な光景が見えてしまいますから」

「ふふ。そうか」

 夜の公園へ入って行く。奥へ、奥へ。

「トラックの運転手さんは、あなたに殺される間際、何か言いましたか?」

「ああ。だが、覚えていない。命乞いを聞くつもりはなかったからな」

「でしょうね」

「なぜ殺したのか、とは聞かないのか」

「ええ。明らかですから」

 一歩、一歩とお互い間合いを取る。

「泣いているんですか」

「ああ。この身体の主がな」

 エレクトラムはすぐに嘘だとわかった。

 数分前に、すでに身体からは魂が抜けきっていたからだ。

「一人分の血じゃないですよね、それ」

 初めは事故の時の血が身体の全面を覆っているのだと思った。

 でも、身を挺して女性を護ったのなら、身体前面がそこまで血には染まらないだろう。

「誰が一人だけだと言った?」

「……何故そこまでするんですか」

 返り血の中に幼い命の欠片を感じ、エレクトラムの血が熱く震えた。

「彼女は妊娠していたんだ。だから、同じように、奪うことにしただけだ」

「そうですか……」

 艶兎えんとは運転手だけでなく、その家族も殺めたらしい。

「さぁ、れるものならやってみろ。俺を煉獄へ送るのだろう? 貴石族の小僧」

 エレクトラムは耐えがたい苦しさと悲しみに痛みを感じながら、くうから杖を取り出し、構えた。

「兵器としての力、見せてみろ」

 男性の身体を触媒に、艶兎えんとは真の姿を現した。

 月の光を反射する美しい銀色の髪。

 ネモフィラのような青い瞳は悲哀と憎悪に燃え、身体は人に近く、両手足にはにび色の鋭い爪が光る。

 白い衣袴きぬばかまは眩しく、身に着けている勾玉は血のように赤い。

「砕いてやる。何もかも」

 艶兎えんとは顔を歪めて嗤うと、瞬きの間にはるか上空へ跳躍した。

 彗星のごとく落下してくる強烈な蹴り。

 エレクトラムは後方へと跳ね退いた。

 避けた先にまでその衝撃波が飛んでくる。

「その可愛らしい顔に傷が出来てしまうなぁ、小僧よ」

 砕けた遊歩道の一部がエレクトラムの頬をかすめ、一筋の血が流れる。

 攻勢に出ようと隙を窺うが、そうもいかない。

 間髪入れず繰り出される強烈な足技。

 杖に張った防御壁で攻撃を弾くことで精一杯だ。

「貴石族の力はそんなものなのか?」

 後方へ宙返りした艶兎えんとは、着地した瞬間の衝撃を使い、エレクトラムの身体中央めがけて右足を叩き込んできた。

 口から血が溢れる。

 防御壁ごと吹っ飛ばされたエレクトラムは、体勢を崩さないよう杖を地面に突きたてた。

「同情心で鈍るほどの殺意など、何の救いにもならないぞ」

「同情なんてしていない」

 エレクトラムはそう言うと、杖から幾つもの直剣を召喚し、艶兎えんとに攻撃を仕掛けた。

 直剣のいくつかが艶兎えんとを掠め、血が流れた。

「そうだ小僧。殺せ! その力のままに!」

 噴水の水流を操り、まるで鋭い矢のように艶兎えんとめがけて放つ。

 風を起こし、針葉樹の葉を巻き上げ、身体を引き裂いていく。

 艶兎えんとは嗤いながら攻撃を躱し、それでも傷ついていく身体と手遅れの心を抱えながら、つぶやいた。

「やっと終われる……」

 エレクトラムは再び直剣を召喚し、艶兎えんと目掛けて放った。

 弾けるように、血が舞い散る。

 艶兎えんとの心臓を、直剣が貫いたのだ。

 積もった雪の上に、まるで曼殊沙華のように血が滴り落ちていく。

 地面に足を付けた艶兎はゆらゆらと歩きながら、両膝をつき、月の光に重なるように消えゆく魔法の剣に自嘲した。

 その時、遠く、声が聞こえてきた。

 まるで、狼の遠吠えのような、強く、悲しい響き。

「あなたの仲間ですか」

「ああ……。安心、しろ。誰も、お前を、襲ったり、しない」

「わかってます」

「はは……、だろう、な」

 雪の上に倒れ、仰向けになった艶兎えんとは、雲間からのぞく月を見つめながら笑った。

「本当に、あ、愛して、たんだ」

 青い瞳からあふれる涙が、雪に広がる血に混ざって行く。

「護る、と、誓った、の、に」

 エレクトラムの頬に、熱を持った雫が伝った。

 艶兎えんとが感じている喪失感と、それを癒すために必要な途方もない時間は、天秤にはかけられない。

「なぜ、小僧、も、泣く」

「死にたくなる気持ちは、痛いほど、理解できるから……」

「そう、か」

 艶兎は一度大きく血を吐き出すと、そのまま動かなくなった。

 何もなかったかのように雪は降り続ける。

 痛くてたまらない心とは裏腹に、多くの魔法を放ったおかげで体調は憎らしいほどに良好だ。

「これで兵器じゃないって、私ですら納得がいかないのに」

 エレクトラムは自身の手を見て動揺した。

 目の前で今まさに命を奪ったのに、ただただ、きれいなままだからだ。

 返り血すら、浴びることなく。


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