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参:聖なるもの

 開館前の休憩室に、歓喜を含んだ二人の声が響く。

「これがそうなのか!」

「まさか日本にあるなんて思いませんでしたけれど、本物らしいです」

 四月朔日わたぬきはエレクトラムが机に広げた遺物を見ながら、感嘆の溜息をついた。

 さかのぼること一週間前。

 四月朔日わたぬきの友人が理事長をしているキリスト教系の私立大学で、グラウンドを土から最新の素材へと変更するにあたっての事前調査の一環で発掘調査をすることになった。

 四月朔日わたぬきの推薦によって専門家の一人として派遣されたエレクトラムは、いくつかある区画でトレンチを掘ったところ、光って見える箇所を発見した。

 そこを重点的に掘り進めて見ると、螺鈿らでん細工が施されていた形跡の有る漆塗りの木の箱が出てきた。

 壊さないよう慎重に中を開けると、入っていたのは縦約十六センチ、横約十センチほどの黒ずんだ銀の十字架だった。

 エレクトラムはその十字架が放つ光に異様なものを感じ、専門機関にて急いでおおよその年代の測定と、とある聖遺物との成分比較をしてもらったところ、これが大当たり。

 ユダがキリストを売った時に得た銀貨から作られた十字架だったのだ。

「くうう……。常設展示したかった……」

「オーナーは偉いですよ。ヴァチカンのお知り合いに律儀に連絡するなんて」

 四月朔日わたぬきはこの世紀の発見を黙っておくのは誠実ではないと考え、ヴァチカンの図書館で司書をしている知り合いに連絡したのだった。

 それがすぐに上層部へと伝わり、友好的な話し合いで寄贈することになった。

 ヴァチカンの専門家がわざわざこの日本まで受け取りに来るという。

 それまでの間は、厳重な警備があれば展示していてもかまわないことになり、さっそく今日から二週間、企画展として三階で展示することになったのだ。

「突然のことだったので満足に告知も出来ませんでしたけど、たくさん見に来てもらえると良いですね」

「貴重な発見だからなぁ。さすがはうちのエース! ラブラドル君はいつも素敵なものを運んできてくれる妖精さんのようだね」

「よ、妖精さんですか……」

 二人で話していると、そこに、西洋宗教美術担当の学芸員、五十嵐いがらしが颯爽と現れ、肩で息をしながら興奮したように話し出した。

「今ですね、設置場所の準備が整いまして、いやぁ、もうすぐだなぁ、楽しみだなぁとご報告に来る前に、ちょいと外の空気でも吸おうと外に出たところ、ものすごい数のお客様が並んでおられましたよ! まだ二十時なのに!」

「え!」

 エレクトラムと四月朔日わたぬきは急いで従業員用の扉から外に出てチケットブースを見ると、たしかに人が並んでいる。それも、三十人以上いる。

 こんなに人が来るのは、『世界の妖刀展』を行った時以来だ。

「くうう。聖遺物って人気あるんだなぁ!」

「すごいですね」

 今回は、ユダの銀十字架に合わせ、収蔵していた様々な宗教の一風変わった聖遺物などを展示する『聖遺物の多様性展』というのを開催する。

 急だったのでチラシも刷れず、図録も受注生産となってしまったが、まさかSNSだけの告知でこんなにも人が来るとは誰一人思っていなかった。

 ただ、ヴァチカンからの要請で警備は倍以上雇っているので、そのあたりは心配ない。

「で、実のところ、ラブラドル君的にはどんな感じなんだい?」

 館内へと戻りながら、四月朔日わたぬきは心配そうにエレクトラムに尋ねた。

「どうでしょう。結界は三重にかけているので大丈夫だとは思いますが……。あまり良いことだとは言えません」

「やはりそうか……。ヴァチカンから日本に受け取りに来るのも、凄腕のエクソシストたちだからなぁ」

「ユダの銀貨がどうとか、十字架がどうとかではなく、あの場所に埋められていたっていうのが重要なんだと思います」

 四月朔日わたぬきは何かを思い出したようにつぶやいた。

「……そういうことか」

「はい。あの場所は、第二次世界大戦のときは防空壕。そのずっと前は潜伏キリシタンたちの地下教会があった場所ですから。それ以前にも、何か宗教的に重要な施設があったかもしれません」

「直近では誰かを守るために使われていた施設だったというわけか。失った人々の魂を鎮守するために埋められていたのかもしれないな」

 まだ生まれていなかった頃に行われていた戦争の被害者たちを思い、四月朔日わたぬきは胸が苦しくなった。

「銀には退魔の力があります。ですが、長く強い念にさらされ続ければ、呪物になりかねません」

「では、きっと惹きつけてしまうな」

「そうですね。明後日来てくださる七五三しめ先生が忙しくなりそうです」

「こりゃ、喫茶店の分の奢りだけじゃすまなくなりそうだ」

 そうこうしているうちに、開館待ちの人数は膨れ上がり、ついに百人を超した。

 今日は気温も低く、天候も曇ってきている。

 来館者の体調を考え、四月朔日の判断で十五分早く開館することになった。

 そのため、清掃もその他もろもろの準備も急いで行わなければならず、館内では普段は走らないような人までもが小走りで動き回っている。

「あと五分です!」

「はーい!」

 あちこちで最終確認が行われ、エレクトラムも清掃員に交じって結界の確認に追われている。

 そして、ついに開館の時が訪れた。

「わあ……」

 エレクトラムは目の前に広がる光景を、まるで上野にある国立の博物館のようだと思った。

 人が途切れることなく来館し、館内BGMが聞こえないほどのざわめきが博物館を包んでいる。

「だ、大繁盛……!」

 喫茶店もひっきりなしに注文が入り、飲食店勤務の経験があるアルバイトの学生がマスターのヘルプに駆り出されるほど。

 目の前の景色だけ見ていると、今が夜だということを忘れてしまいそうになる。

「いつも通り、落ち着いて見回りしないと」

 エレクトラムは癖である腕まくりをしながら何度も階段を上り下りした。

 いつもは少し寒い館内も、今日は暑いと感じるくらいに人が多い。

 雨が降り始めて湿気が増したことも原因の一つかもしれない。

 来館者も多くが上着を脱いでいる。

 東洋宗教美術の展示室に住んでいる霊たちも、心なしか元気がないように見える。

 いつもならば聞かれることの無い「トイレってどこですか?」という質問が新鮮だ。

 案内板が人の波で隠れてしまっているのだ。

 ただ、終電も近くなってくると人の波は徐々に収まり、二時を過ぎるころにはいつものまったりとした空気感に戻っていった。

 普段とは違う客足に疲れた従業員一同。

 ただ、これがあと二週間続く予定だ。

 今日はみんな少し浮き足立ってしまったが、明日からはもっとうまくやり過ごせるようになるだろう。

 エレクトラムは身体の熱を冷ますために、休憩時間は外に出て少し散歩をした。

 夜風と雨が身を切るほどに冷たく痛い。

 でも今はそれが心地よかった。

 休憩から戻った後はゆっくりと館内を見回り、展示物が放つ何かに引き寄せられて深刻な顔をしているひとにはチラシを配り、いつも通り過ごした。

 十字架は思っていた通り、人々の心に何かを映しているようだ。

 エレクトラムは少し警戒しつつ、十字架の前で立ち止まる人には必ずチラシを渡して回った。

 そうこうしているうちに、空が黎明に染まり、日の出が迫ってきた。

 外で小鳥が鳴いている。

 冬の匂いが濃くなり始めた澄んだ空気。

 いつのまにか雨は止んでいたらしい。

 閉館間際、三階へ行くと、一人の老紳士が十字架の前に立ち、じっと見つめていた。

「すみません。あと五分で閉館となります」

 エレクトラムが声をかけると、紳士はニコリと微笑み、話し出した。

「この十字架は、よく働きました。もう、眠りについてもいい頃です」

 声を聴いた瞬間、エレクトラムは紳士が放つ強烈な神聖に、全身の動きが止まった。

(こ、この人は……。いや、人じゃない……)

 瞬きほどの刹那、あたたかな光が部屋を満たし、そして、消え去った。

 老紳士も同時に姿を消し、その空間には清浄さだけが残り、中央に展示してある十字架は何の邪気も放たなくなっていた。

「虹だぁ!」

 外からの声ではっとしたエレクトラムは、急いで階段を駆け下り、外に出ると、なんと空には大きく鮮やかな虹がかかっていた。

 雨に洗い流された空気は清々しく、まるで世界を祝福しているようだった。


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