「ちょっと、10分くらい待っててね。」
『うん、いいよ。』
そう言って、私はれんさんを玄関の外で待たせた。
家に来るなんて想定していなかった。リビングには昨日までの洗濯物が山積みで、書類や化粧品が散らばったまま。慌てて押し入れに物を詰め込む手が、焦りのせいで震えている。
外は冷たい11月の空気が漂っている。
「こんな寒い中で待たせたら、不機嫌になるんじゃないか?」
一瞬そう思ったけれど、すぐに頭を振る。
「いや、そんな必要はない。」
心の中で吐き捨てた。
だって彼は、ただの“ヤリモク”――遊びで近づいてきただけの男だ。そんな相手を少しくらい待たせるなんて、どうでもいいこと。むしろ20分待たせてやろうか、なんて意地悪な考えすら浮かぶ。
それでも、胸の奥がじわりと痛んだ。苛立ちと悲しみが混ざり合い、膨らんでいく。
彼が“ヤリモク”だと知った瞬間、まるで夢の中から現実に引き戻されたような気がした。
――そうだよね。私にそんな夢みたいなことが起こるはずないよね。
少女漫画みたいに、自分の理想通りのイケメンと偶然出会って、一瞬で恋に落ちるなんて…。
そんな都合のいい話、この現実には存在しないって、初めから分かってたはずなのに。
あんなに素敵だと思っていたれんさん――
その彼が、ただ私を遊び相手にしようとしているなんて。
「なんで…」
つぶやきながら、手を止めた。
今日一日、彼と過ごした時間が頭をよぎる。
――彼は本当に“ヤリモク”なのだろうか?
彼と話している時の不器用ながらも一生懸命な態度。それが全部嘘だなんて思いたくない。
でも、もしそうだったら?
疑いが胸の奥でざわめく。人を疑うのは嫌いなはずなのに、今の私は疑わずにはいられない。
「手は出さない」
彼はそう言っていた。
けれど、そんな言葉を信用していいのだろうか?
少女漫画やTL漫画で散々学んだことがある。
「手は出さない」と言った男ほど、危険だということを――。
――危ない。
彼の言葉を反芻しながら、頭の中でいくつもの可能性が巡る。
でも、今日のデート中のれんさんは――本当に優しかった。
私の話を真剣に聞いてくれる瞳、それがすべて嘘だとは思えない。
信じたい気持ちと、疑うべきだと叫ぶ心がせめぎ合い、頭の中は混乱する。
「私、どうしよう…」
無意識に口をついた言葉に、自分でも驚いた。
緊張で手が冷たくなるのを感じる。
れんさんと――そういうことをするのだろうか?
考えただけで顔が熱くなり、心臓が激しく脈打つ。経験なんてない。こんな自分が相手になんて、きっと…
思考が堂々巡りする中、もう彼をこれ以上待たせるわけにはいかないと覚悟を決めた。
――カチャッ。
扉を開けた瞬間、冷たい風が頬をなでる。
そしてそこには、何かを待ちわびたような表情のれんさんが立っていた。