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第39話 魅惑的な野良犬


 木箱から飛び降りたセオは、俺たち二人の前でたちどまった。風呂上りのようで、髪が少し濡れてフローラルのいい香りを漂わせている。油は綺麗に洗い流されて、花の模様が刺繍された白いシャツを雑に羽織っていた。


「どうやって俺たちがここにいるってわかったんだ?」


「俺は情報通なんだよ」


「……それで、どうしたんだ? 俺たちになにか用か?」


 少し警戒して、さりげなくエマを背にかばう。モンスターや武器を手にした賊じゃない、相手は引き締まった細マッチョとはいえただの男だ。ここは俺が前にでる場面だろう。


「警戒すんなよ。礼を言いに来たんだって」


 セオの声は低く、柔らかい。こちらの緊張を和らげようとしているのがわかる。


「礼?」


「ああ。リュシーとのあいだに入ってくれたろ」


 痴話げんかの仲裁に入ったことか。わざわざ礼を言いに来るなんて、見た目に似合わず律儀な性格なのかなんなのか……。そう思いながらも、セオの態度に少しずつ好感を持ち始めている自分に気付く。


「リュシーさんは落ち着いたの? 彼女、魔法使いでしょう? おおごとにならなくてよかったわね」


「おちついたよ。綺麗に洗ってもらったあと、たっぷり疲れさせたから、いまは寝てる」


「疲れさせた?」


「あーーーー! そうかそうか、わざわざ礼なんていいのに! じゃあな! 行こうかエマ!」


 頭に疑問符を浮かべるエマの肩をつかみ、セオとの会話をさえぎる。エマの教育上よくない発言をしそうだ、この男は。


「待てって」


 横をすりぬけようとした俺の肩に腕をまわし、セオが耳打ちしてきた。


「しょうがねえだろ? 喧嘩のあとは燃えるもんなんだからよ」


「あーもう! エマの前でそういうこと言うな! いいな!」


 小声で釘を刺すと、セオは目をぱちくりと見開いて驚いたような顔をしたあと、エマの顔をまじまじと見つめはじめた。


「エマ。あんたいくつだ?」


「え……? じゅ、十七だけど……」


「なるほどなぁ」


 俺から手を離すと腕を組み、なにかを察したようにうなずく。なにをしていても絵になるな。心なしか、まわりにいる冒険者たちも男女問わずチラチラとセオに視線をやっている気がする。オーラのある人間ってこういうやつの事だろう。


「お前の気持ちはわかったぜアマヤ。俺にも妹がいるんだ。十六歳。心配しかねえ年頃だよ」


「あ、ああ……。そうだな、うん」


「なあエマ。飯食ったか? レマンプロスの家庭料理に興味ねえ?」


「あるわ」


 まるでエマが食いしん坊であることが見抜かれているような質問だ。早くこの場を離れたいのに即答してしまったエマに頭を抱える。


「うちに来いよ。お礼にごちそうさせてくれ。俺の妹は料理が上手なんだ。それに話し好き。歳の近い女の冒険者なんて珍しいからな、連れて帰ったら喜ぶぜ。いいだろ?」


「アマヤ……いい?」


 エマが俺を見上げてたずねる。ああ……だめだ、やっぱり眼が輝いている。外部からきた人間にとって、飲食店では食べられない地元民の作った家庭料理というのは魅力的。怪しい男の家に行ってはいけませんと言いたいが、エマはレマンプロスの家庭料理にも歳の近い女の子とのおしゃべりにも惹かれている。


「……そっちはいいのかよ、俺たちみたいな素性も知らない冒険者をほいほい連れて帰って」


「いいんだよ。どうとでもなるしな」


 セオはまた、余裕たっぷりに目を細めて笑う。怪しいことには変わりないが、いざとなれば俺にはあの力もある。エマだって悪意や殺気には敏感だ、十分対処できるだろう。


「わかった。じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔させてもらうよ」


「よかった。よろしくね、セオ」


「おー。じゃあついて来いよ」


 セオの後に続いて、俺たちは職人地区の賑やかな通りを抜けていった。鍛冶屋の金槌の音や、革細工師の工房から漂う皮革の香りが徐々に遠ざかっていく。


「ねえ、セオ。リュシーさんとはどうして喧嘩になったの?」


 あの騒動を見てからずっと気になっていたのか、エマが踏み込んだ質問をした。彼女らしからぬ問いかけに俺はドキリとしたが、セオは飄々と答える。


「んー。あれなぁ。喧嘩なんてしてなかったんだけどなぁ」


「じゃあ、さっきのはなに? 思いっきり揉めてるように見えたわよ」


「わかんねえ。急にああなっちまったんだよ。普段は良い女なんだぜ? あんなことする性格じゃないんだけどな」


 セオは本気で心当たりがないようで、あごをさすりながら顔をしかめている。


「あなたのせいでおかしくなっちゃったんじゃないの? 気の毒だわ」


「ちょっ、エ、エマ……!」


 とつぜんの毒舌に焦ってエマを止めようとする。しかし、セオは怒ったり気分を害したりの素振りは見せず、へらりと笑った。


「俺はリュシーにとって、たまに見かける野良犬だぜ? 気まぐれに餌やって、部屋にいれて可愛がるだけだ。おかしくなるほど重要な存在じゃねえよ」


「野良犬……」


 公衆の面前であれだけ熱烈な修羅場やイチャつきを繰り広げていたのに、恋人じゃなかったのか……。しかし、自分のことを野良犬とはずいぶんな言いようだ。自己肯定感が低いのか? でも彼の態度や言葉には余裕と自信があふれている。ものすごく客観的に自分を見ているのかもしれない。とらえどころのない性格だが、セオはたしかに人を惹きつけるなにかがある。じゃなきゃ、俺たちもこうやって、のこのこと後をついて行ったりしない。


「うーん……、あなたヒモなの?」


「好きに呼んでくれていいぜ」


 エマを見下ろしながら、セオはまたにこやかに笑った。

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