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第33話 悪夢の影と狩りの喜び


 エマが規則的な寝息をたてはじめて小一時間ほどたった。盗賊騒ぎなんて夢だったんじゃないかと思えるほど静かな夜で、焚き火の爆ぜる音と、ふくろうの鳴き声だけが心地よく続いている。少しぼんやりとしだしたとき、かすかな声が聞こえてきた。


「うっ……っく……」


 それは泣き声のような、うめき声のような、小さくて悲しい響きだった。まるまったエマの背中がかすかに震えている。


「エマ……?」


「……ゆるしてっ……」


「!」


「ゆるして……おかあさま……」


「エマ……」


「うっ……おとうさま……」


 震えは少しづつ大きくなり、声はしゃくりあげるような小さな嗚咽にかわる。



 ――アレ、見たり聞いたりしたことねえのか?



 路地裏でのマリさんの言葉を思い出した。エマは悪夢を見ている。そうか、テントを気にしていたのは、この姿を俺に知られたくなかったからか。


 バッグを探り、薄紫色の石がついたアミュレットを取り出した。いくつかの物資が奪われたと聞いたときはゾっとしたが、これが無事で本当によかった。


「うっ……、んっ……」


「大丈夫だよ、エマ」


 何かしてあげたいけれど、今の俺には、この子のためにお守りを握って祈ることしかできない。ずり落ちていたシャツをかけ直して、そばに座り込む。


 おかあさま、おとうさま、か。素人の俺から見ても彼女が戦うときの型や太刀筋は美しい。この若さでここまで完成されているのは、きっと幼少期からしっかりと訓練されたからだろう。厳格な家庭に生まれたのかもしれない。しっかり者だから忘れてしまいそうになるけれど、彼女はまだ十七歳。俺と比べればまだ子供だ。そんなエマが、夜な夜な夢を見ては苦しむほどのトラウマを抱えていることに胸が傷んだ。


「…………」


 得体はしれないが、なにかの力が目覚めた。ダイアウルフを相手にしている時は必死でコントロールがきかなかったけれど、いま、たしかに自分のなかに今までとちがう力の流れを感じる。俺にはまたアレができる。冷静に使いこなせれば、かならず役に立つはずだ。エマに対して、してあげられることの選択肢が増えるかもしれない。決心する理由なんてそれだけで十分だった。




***





 翌日、交代で昼近くまでたっぷり休息をとった俺たちは村までの道のりを歩いていた。朝食は抜きだったが、疲れが残っていないだけマシだ。


「きのう……私、うるさくなかった?」


 エマはうなされる姿を見られていないかと気にしているようだった。


「いや……? 少しうなされてたみたいだけど、すぐ静かになったよ。昨日はオオカミやら盗賊やらで大変だったもんな。うなされもするよ」


 嘘をついているようで少しうしろめたくなったけど、実際、嘘じゃない。アミュレットの力なのか、あのあとエマはすぐに泣き止んでおだやかな眠りに戻った。


「そう……? ならよかった。たしかにここ数日、眠りが深い気がするわ」


「ひさしぶりに旅に出て体を動かしてるからじゃないかな? 俺も毎日ぐっすりだよ」


「そうね。そうかも」


 納得したように笑って前を向くエマの姿に安心しつつ「毎日はだめだ、バレない程度にほどほどにやれ」というマリさんの言葉を思い返す。毎日使えば俺がアミュレットを持っていることを悟られる。それくらい、エマと悪夢の関係は根が深いものなんだろう。今日はよしたほうがいいんだろうか……。俺の一存で彼女が今夜、苦しむか苦しまないかが決まるなんて、使いどころが悩ましい。



「しっ。アマヤ、止まって。あれ見て」


 人差し指を口の前で立てて、エマが急にしゃがみ込んだ。また盗賊やモンスターだろうかと俺もすぐに続いて、あたりを見回す。カサカサと小さく揺れる草むらから現れたのは、1匹のツノの生えたウサギだった。いままでも何度か見たことがある小柄なモンスターで、スライムと同じく無視をしていいと言われていた。


「あのウサギがどうかした? 戦うのか?」


「いいえ、狩るわ」


「…………もしかして、食うの?」


「ええ。アルミラージはちょっと鶏肉に似てて美味しいの。食料がないんだもの、今日の夜ご飯はあれにしましょう」


 わあ。なんか嬉しそう。目が輝いてる。まあモンスターといえど見た目はほとんどウサギだ。ウサギなら昔の日本でもよく食べられてたらしいし、ジビエの一種だと思えばそこまで抵抗はない。……草食だといいな。


「狩るっていっても、どうする? 罠を作ったりするのか? いや、エマのことだから、ナイフか刀を投げる……?」


「アマヤは私のことをなんだと思ってるの? あのサイズなら、霧がなくても魔法で捕まえることくらいできるわ」


「ああ! あの魔法か」


 エマはこくりとうなずくと、アルミラージと呼ばれたモンスターに向き直り、小さな声で呪文を唱えはじめた。


「太古の根と蒼き緑、縛れ、見届けよ」


 鼻をひくひくと動かし、じっとしていたアルミラージが、なにかの気配に気付き飛び跳ねた瞬間、植物の細いツルがそのうしろ脚を捕らえた。地面に着地し、「ブゥブゥ」と鳴き声をあげる体に次々とツルが伸びて喉を締め上げる。静かで獲物の肉に傷もつかない、じつに見事な狩りだ。


「よし、掴まえたわ。香草焼き? それともスープがいいかしら」


「うーん……。できれば臭みが気にならない方で」


「じゃあ、香草焼きかな。ハーブを摘みながら行きましょう」


 日が落ちる前に野営の準備をして、二人で摘んだハーブとさばいたアルミラージを料理し、無事に夕食にありつけた。エマの言うとおり、アルミラージの肉は少し鶏肉に似た弾力とコクがあり、香草焼きにすると思いのほか旨かった。


「モンスターを食べることになるとは思わなかったよ。ふつうに旨かったけど」


「食べることができるモンスターは意外と多いのよ。解体屋にもっていけば肉も買い取ってくれることがあるし、狩りで生計を立てる人もいるわ」



 食事のあと片付けをして、寝床を作り、星空の下で横になった。この調子なら飢えずになんとかなりそうだ。明日もなにか狩れるといいな。


 先にエマが見張りをして、交代の時間になると思ったとおりうなされる声と嗚咽が聞こえてきた。


「やっぱり毎日なのか……」


 エマの震える背中を眺めながら、何度もアミュレットを取り出そうとしたが、心を鬼にしてこらえた。野営のときだけ悪夢を見ないというパターンに気付かれれば、アミュレットの存在を疑われてしまうかもしれない。捨てられたり壊されたりすれば、もうエマの悪夢を遠ざけることが出来なくなってしまう。それは避けたかった。



 翌朝、早起きして周辺を探索すると、運良くまた一匹のアルミラージを捕まえることができた。エマから教わり俺も解体を手伝いながら朝食のスープにする。その日も野営を続け、翌日の夕方になってようやく村に戻った。宿を借り、とりあえず風呂に入ってから、酒場で今後の予定について話しあう。


「ゴーレムが倒されたことと、ダイアウルフ討伐の報告が先ね。今回は風呂敷のおかげでダイアウルフの死体を見せるだけで済むからラクよ。いつもは調査隊が現地に行って確認するまで数日は待たされるの」


「やっぱり買ってよかったな、風呂敷」


「本当ね。使ってみると、もう手放せない気がする」


 胸をおさえ、しみじと頷くエマ。便利家電とかそうだよなぁ。気持ちがわかるよ。


「あとは食料や回復薬の補充をして、防具を修理に出さなきゃね。修理のほうは数日かかるかもしれないわ」


「うん。全然いいよ。少なくとも待ってるあいだはベッドで眠れるってことか」


 たった四日の野営だったけど、やっぱり危険な屋外の地面で眠るのと、安全な屋内のベットで眠るのとでは受けるストレスが全然ちがう。睡眠は十分とれているとはいえ、慣れない野宿で体はバキバキだった。


「テントも買いなおしておきたいわ。ラマハタ村は小さいけれど旅人も多いし、魔法道具を扱ってる店もある。あした探してみるわ」


「ん? テントを魔法道具屋で買うの?」


「私たちがつかっていたテントは特別なの。サイレントの魔法がかかっていて、外からの音は聞こえるけれどテント内からの音は消えるようになっているのよ。魔法道具屋か、大きな町にあるテントの専門店くらいでしか扱っていないわ」


「ええ? ぜんぜん知らなかった……」


「見た目は普通のテントと変わらないもの。運が良ければ中古を扱っている行商人が見つかるかも。とりあえず当たってみなきゃね」


 野営をはじめた最初の二日間、うなされてる声が聞こえてこなかったのはテントにかかった魔法の力だったんだな。エマが、テントがないと眠れないとかたくなになっていた理由がわかった気がした。





「あっ、じゃあ明日は早起きしないでいいんだよな? 少し酒飲んでもいいかな? 一人だけ楽しむようで悪いけど……」


「もちろん、いいわよ。気にしないで。私は食事を楽しめれば十分。四日間おつかれさま」


「やった。エマもおつかれさま。本当に助かったよ。明日からもよろしく、相棒」


 俺の言葉にエマは少し驚いたような顔をしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「こちらこそ」


 そのあとはジュースと酒のジョッキで乾杯をして、お互いをねぎらった。酒場の喧騒が心地よく耳に響く。久しぶりの俺たち二人以外の笑い声、食器がカチャカチャとぶつりかりあう音。そんな些細なものすべてに安心感をおぼえる夜だった。



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