「殺してやるクソオオカミが!! お前も道連れだ!!」
血反吐と一緒に、ほとんど無意識に叫んでいた。自分の中で、こらえようのない怒りや憎しみの感情が爆ぜるとともに、掴んでいたダイアウルフの体がガタガタと震え始めた。
次々と皮膚が裂け血が噴き出す。濃厚な鉄の匂いが鼻を突き、灰色の毛がみるみる赤黒く染まるさまを唖然として見ていた。腹がごっそりとえぐられ内臓がこぼれ落ちたかと思えば、次は胴体がバキバキと音をたてて変形していく。ダイアウルフは自分に起きていることが理解できていなかった。よだれをまき散らし、苦痛に顔をゆがめ吠えている。
「グオオオオオオッ!!」
最後に大量の血を吐きながら、空気が震えるような大きな断末魔をあげて、ゆっくりと床に倒れ伏した。
「はあっ……、はあっ……、はぁっ……」
なんだ、いまのは。なにが起きたのか、理解できない。
「……アマヤ……?」
声がしたほうに目をやると、エマが両手で上半身を起き上がらせてこちらを見ていた。ぼんやりとした目をして、額からは血の筋が流れている。
「エマ……!!」
急いでエマのもとに駆け寄る。抱きおこし、傷の具合を確認しようと顔を覗きこむと、彼女は目を見開いて俺のことを見た。
「エマ……? 大丈夫か? 俺がわかるな?」
「アマヤ……」
「まってろ、すぐ回復薬を――」
「アマヤ!!」
彼女の手が俺の額を撫でる。血ですべるが、痛みはない。
「あなた、怪我はどうしたの……?」
「どうしたって、ボロボロだよ。こんなに――」
エマに怪我のひどさを説明しようとして、気付いた。俺はどうやってここまで駆け寄ったんだ。
痛くない。あの燃えるような痛みがまったくない。あわてて起き上がり、手のひらから脇腹、つまさきまで確認する。エマも同じように、上から下まで俺の体に視線を走らせている。
無傷だった。服も防具もズタズタで、血や汚れはついているが、体にはかすり傷ひとつ残っていない。無数に切り裂かれたあとも、えぐられた脇腹も、嚙み砕かれた骨も、全部が癒えて、傷が消えている。
ピクリとも動かなくなったダイアウルフを振り返る。血だまりの中で息絶えた悲惨な姿は、まるでさっきまでの俺だった。
「傷が……うつった……?」
「アマヤ……」
不安そうなエマの声にハッとする。いまは俺よりも、彼女のほうがずっと重症だ。急いで彼女の肩と額の傷を確認し、荷物を回収して回復薬をとりだした。ボトルのコルク栓を抜き、血を洗い流すように傷口にかける。避けていた血管や皮膚が少しずつくっつきはじめ、数本使い切るころには傷跡も残らないくらい綺麗に癒えていた。痛みをこらえていたエマの顔色もよくなってきている。
「治ったみたいだけど、痛いとこないか?」
「もう大丈夫、ありがとう。あなたは……平気なのよね?」
「ああ。ダイアウルフを確認したい、エマも見てもらえるかな」
慎重にダイアウルフの巨体に近づく。死んでいるはずなのに、その威圧感は健在で、本当に死んでいるのか半信半疑になるほどだった。よく見ると、先ほどまで逆立っていた毛並みはへたり、生気を失った眼球が虚空を見つめている。血の海に浮かぶその姿は、まさに死そのものだった。まだ温かい体に触れて、ひとつひとつ傷を確認する。
「こんな傷、どうやってつけたの……」
エマの呟きが耳に届く。当然の疑問だ。俺の持っている武器や、戦闘能力で到底こんなダメージは与えられない。肋骨が突き出した胴体、深々と抉られた脇腹、そして全身を覆う無数の引っ掻き傷。ダイアウルフには俺が負っていたはずの傷がそのまま再現されていた。
「やっぱり、これは俺が受けた傷だ」
「あなたが受けた傷?」
「エマが気を失ってるあいだに、腹を裂かれて、骨を何本も折られたんだ。こいつ、ほとんど俺と同じ場所に傷を負ってる」
「じゃあ、本当にアマヤからダイアウルフに傷がうつったのね……」
「そうだと思う。俺はこのとおり無傷だし……。それよりこれ。傷の深さ、何倍にもなって返ってるよな。こいつ一瞬で死んだんだ。エマ、こんなの見たことあるか?」
エマが静かに首を横に振った。
「高位の魔法使いしか使えないものだけど、物理攻撃を通さなかったり、反射する魔法は存在するわ。でも、あなたは傷を負っていたし、何倍にもして返すなんて聞いたことない……。その手の魔法の影響を受けているようにも見えないし」
「すごく、妙な感じがしたんだ。あいつがエマに近づいていく姿を見てると、怒りとか、焦りとか、痛みで頭がいっぱいになって、俺の中でなにかが……爆発するみたいな……」
言葉を紡ぎながら、あの瞬間の記憶が蘇ってきた。何か得体の知れないものが内側で目覚めたような、その感覚を言葉にしようとしたが、うまく表現できない。
「アマヤ。あなたはやっぱり、潜在能力をもって召喚されていると思うの。目覚めさせるはずのヘリオンがそばにいなかったから、本来の力は眠っているだけなのかもしれないわ」
そう言われても、なにも喜ぶ気にはなれなかった。複雑だ。本来の力? そんなものが本当に俺の中にあるのだとして、きっとろくなものじゃない。現に、受けた傷を何倍にもして相手に返すなんて、誰かを傷つけるためだけにしか使えないじゃないか。そんな力はもっていないとエマを説得したのに、嘘になってしまった。
「エマ、俺が怖くないか?」
ダイアウルフが傷ついて死んでいく様を見て、ほの暗い興奮と喜びを覚えた。もっともっと、俺やエマの受けた何倍もの痛みを感じればいいと思った。俺はヘリオンの扉から召喚されるにふさわしい人間だと、一瞬、頭をよぎった。
「あなたは自分が怖いの?」
エマの問いかけに、言葉が詰まる。この力の正体が分からない以上、自分自身を完全に信じることはできない。目を逸らしながら、やっと絞り出すように答えた。
「……わからないよ。少なくとも、人のためになるような力じゃない」
「そう。じゃあ、私が言ってあげるね」
エマはまっすぐに俺を見て答えた。
「怖くないわ。だって私はもうあなたが優しい人だった知ってるもの。どんな力が目覚めたって、アマヤは自分の力を悪用したりしない。だから怖くない」
胸が熱くなる。彼女の信頼が、暗闇に差し込む一筋の光のように感じられた。それからエマは少しすねたように続ける。
「信じるって言ったじゃない。ちゃんと聞いてたの?」
「聞いてたよ。ごめん。……ありがとう」
「不安になって当然よね。私が同じ立場なら、怖くてしかないと思う。自分を信じられないなら、私のことを信じて。私がアマヤのぶんまでアマヤを信じるわ」
なんなんだろうな、この子は。よくもまあ、俺のほしい言葉ばかりを……。これが素なんだから、信じるしか選択肢がないんだよ。
「裏切らないよ、絶対」
「うん」
微笑むエマを見て、俺もつられる。不安が溶かされていく。一緒ならきっと道は開けるはずだと勇気をくれる。
「じゃあ、あと片付けしちゃいましょう。早く外の空気を吸いたいわ」
「あと片付け?」
「ダイアウルフよ。これだけ傷だらけだと毛皮は買い取ってもらえないかもしれないけど、爪や牙は高く売れるわ。絶対、回復薬の元は取るんだから。魔石も忘れずにね!」
「はは……。うん、タダでやられるわけにはいかないよな」
ダイアウルフの魔石をとりだしたあと、エマは横に座り込み、シャツのボタンを一つ二つとはずして胸元を探り始めた。なんとなくいたたまれなくて目を背けると、すぐに声をかけられる。
「アマヤ。ついにコレを使う時がきたわよ」
エマが胸元から取り出したのはマジック風呂敷だった。……マリさんの言った「折り畳んで下着のなかにでもしまっておけば」を真に受けたのか……。あれは絶対、たとえ話だったぞ……。まあ、そこほど安全な場所も他にないだろうと口をつぐむ。
「一部でも包めばいいのよね」
風呂敷でダイアウルフの前足をつつみこみ結び目をつくると、魔法道具屋で見たのと同じように瞬時に巨体が消えた。無事に収納できたみたいだ。
「あとはあれよ」
ダイアウルフに倒されてしまったゴーレムを見て、エマが思い悩んでいる。
「ゴーレムの魔石、もっていってもいいのかしら」
「いいだろ絶対。ゴーレムを倒したダイアウルフを倒したんだから、俺たちのものだよ」
「賊の考え方よね、それは」
「じゃあ置いてく? このあとたまたま来た初心者が持っていくかもしれないよ?」
「……んんっ。価値を知っている人が持っているべきね、きっと」
わざとらしく咳ばらいをして、エマはゴーレムから魔石を取り出した。