空が茜色に染まり夕暮れが近くなってくると、遠くに小さな村の輪郭が見えてきた。
「あれがサーヌ村ね。暗くなる前につけそうよ」
村の入り口には小さな木の看板が立っていた。「サーヌ村」と手書きで書かれている。村に入ると、緑風町との違いがより鮮明になる。町ではあたり前に見かけた和服姿の人が少なく、代わりに質素な麻の服を着た村人たちが多い。人種も、ほとんどが人間のように見えた。建物は和風な木造建築と、木と藁で作られた素朴な家々が混在している。ほとんどの家の前には小さな庭があり、そこには野菜やハーブが植えられていた。鶏やヤギが放し飼いにされていて、自給自足の生活を送っている様子が見てとれる。
「みんな仕事の多い緑風町に出て行っちゃうから、この村は少し寂しい印象なの」
きょろきょろとあたりを見回す俺の様子を察してか、エマが説明してくれる。
「たしかに、のどかな田舎の村って感じだ。店もほとんど閉まってるか、閉店準備中だな」
「多くのお店は日没とともに閉店よ。言ったでしょ、緑風町は特別なの」
村の中心部に向かって歩いていくと、二階建ての木造の建物が目に入った。看板には「夕焼け宿」と書かれている。
「宿ね。ここにしましょうか」
中に入ると、素朴な造りの受付カウンターの向こうに、エプロンを着た中年の女性が立っていた。俺たちの姿を確認すると明るい笑顔で迎えてくれる。
「あらあら、いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
「はい。二部屋お願いします。このへんでいまから食事ができるところはありますか?」
「ここから四軒ほど行ったところに『
女性は親切に説明してくれた。カウンターの上には、ろうそくの明かりが揺らめいており、宿に温かな雰囲気を添えている。
「ありがとうございます。行ってみます」
エマが礼を言うと、女性は二つの古びた鍵を取り出した。
「お部屋は二階になります。階段を上がって右側の二部屋です。お休みの
エマと俺は交互に宿泊台帳に名前を記入した。台帳は分厚く、古びた革で装丁されており、何年も使われてきたことが感じられる。
「ありがとうございます。それでは、ごゆっくりお過ごしください」
俺たちは頷いて鍵を受け取り、軋む木の階段を上がっていった。廊下はせまく、天井も低いが、清潔に保たれている。エマから受け取った鍵を使い扉をあけると、中はベッドと小さな木の机だけが置かれた部屋。うん、これこそイメージ通りの異世界の宿屋だな。
「アマヤ。荷物おいたけど、もう行けそう?」
「ああ。ぜんぜんオッケー。月見亭だっけ、行こうか」
***
「これおいしい、食べてみる?」
「うん。こっちもうまいよ。わけるから、皿借りるな」
村の中心部から少し歩いたところに月見亭はあった。宿のおかみさんのいう通り少し混みあっていたが、カウンターなら空いていると案内され、エマと隣あって席に座り食事をとる。
店内は意外と広く、木のテーブルと椅子が並べられ、壁には地元の風景を描いた絵や、狩りで得た獲物のハンティングトロフィーが飾られている。中央には暖炉があり、その周りでは村人や旅人たちが集まって談笑していた。店内の明かりはその暖炉とロウソクの炎だけで、現代風に考えるとムードがあった。だけど本来、この世界での夜の過ごし方はこれが一般的なんだろう。緑風町はいたるところに魔法の力が働いていて夜も明るかったが、やっぱりあれは特殊だと思う。
カウンターの向こうにいる店員からおすすめの料理を聞き、俺は川魚の香草焼き、エマは鶏の具だくさんスープを頼んだ。香ばしいかおりを嗅ぐと一気に腹が減り、手が止まらなくなる。
「本当、お魚もおいしいわ。つぎはこれにする」
「注文しようか? すみませーん、これと同じのもう一皿……で足りる? 二皿にしようか」
「うん」
食事を楽しんでいると、背後から肩を叩かれた。ふりむくと、三人組の男性が立っていた。他のテーブルに座っていた別グループの冒険者のようだ。彼らは装備からしても経験豊富そうに見えた。
「……なにか?」
少しの警戒をしつつ、できるだけ柔らかな口調を心がけて問いかける。
「急にすまない。そちらのお嬢さんは
真ん中に立っているリーダーらしき男性が尋ねてきた。丁寧な口調に、少し緊張がとける。
「ええ、そうですけど。どうしました?」
「いや、最近あっちの方でゴブリンが増えてるって噂を聞いてな。俺たちも明日には向かう予定なんだが、何か情報があればと思ってさ」
「たしかに、今日ゴブリンに遭遇しました。数は多くなかったけど、注意が必要かもしれませんね」
エマがフォークを置いて、冒険者たちに向きあって答えた。
「そうか、ありがとう。俺たちはレマンプロスから来たんだ。狂信者のほうはどうだ? まだこのへんでは姿を見せないそうだが、そっちにも噂くらいは届いているか?」
「いいえ……。緑風町ではまだ聞きません。いろいろ調べてまわりましたが、街道には兵士の巡回もありますし、まだ現れていないと思います」
狂信者? 急に不穏なワードがでてきたが、エマは普通に会話を続けている。
「レマンプロスのほうはどうですか?」
「うん……。たまに見かけるようになってきたな。もし行くのなら気をつけてくれよ、最近のあいつらのやり方は巧妙になってきていると聞く。じゃあ、ありがとう。気をつけて旅を続けてくれ」
「こちらこそ、ありがとうございました。お気をつけて」
男たちは笑顔で手をふり店を出ていった。エマはまた食事に戻る。旅人同士の情報交換というのを生で目の当たりにして妙な感動を覚えたが、それよりも狂信者とやらが気になってしょうがない。
「エマ、狂信者ってなに……?」
「…………」
手をとめて、エマがじっと黙り込んでしまう。言うか言うまいか迷っているのだろうか。彼女がこういう気の使いかたをするときは、異世界関係の話だとなんとなく想像がつく。
「……俺に関係ある?」
「アマヤには……関係ないわ。前に、ヘリオンの扉から召喚された人間が村を滅ぼした話をしたでしょ?」
「ああ、覚えてるよ」
「そいつは姿を消したわ。それが一年くらいまえの出来事。そのあとしばらくしてから、その召喚されてきた人間を信奉する人たちが現れたの」
村を滅ぼした……大量虐殺をした人間を信奉? 俺にはとても理解できない話だが、たしか元の世界でも大量殺人犯や死刑囚には必ずファンがつくと聞いたことがある。狂信者とはそういうファンのことだろうか。
「狂信者は具体的になにをするんだ? 気をつけてって言われてたけど」
「うん。彼らは人を連れて行っちゃうらしいの」
「えっ!? 誘拐ってことか!?」
「それが、ちがうみたいなの……。詳しくはわからないんだけど、本人の意思でついて行ってしまうらしいわ。家族を捨てて出て行っちゃったり、一家全員でいなくなっちゃったり」
そんなの、まるでカルトのやりかたじゃないか。その召喚された人間をあがめる危険思想のやつらがあつまって、宗教でも作っているんだろうか。
「……洗脳とか? 帰ってきた人間はいないのか?」
「たまにね、見つかる人もいるんだけど……。抜け殻なのよ。魂を失ってしまっているの。医術や魔術、もちろん蘇生術もね、できることをすべてしても二度と目覚めないんですって」
「なんだそれ……」
あまりのことに言葉を失ってしまう。死人を生き返らせることすらできるこの世界でも、狂信者に連れていかれたら終わりってことか?
「不思議なのよね。そんな目にあっているのに、魂を失った本人だけは、穏やかな表情をうかべたままなんですって」