街道を歩き始めて数時間はたったか。足元は平坦ではなく、でこぼこした土の道が続いている。ときおり、雨で削られたくぼみや、馬車の車輪がのこした深いわだちが道を横切り、注意しないと足をとられることがあった。両側には背の高い草木が生いしげり、時折、風に揺れては何かの気配を感じさせるような気がする。
正直、半日歩けば次の目的地とエマから聞いたときは、なんだそんなものかと思ってしまった。戦闘あり野営ありの過酷な旅の想像をしていたからだ。甘かった。初心者には、軽いとはいえ装備を身に着け、剣をたずさえ、舗装されていない道を何時間も歩くだけで重労働だ。目的地に辿り着くまでの道のりが何倍も長く感じられる。
「はぁっ……、エマ。ごめん、水もらえるか。俺のカラになった」
「ちょっと待ってね。はい、無理しないで。そろそろ休憩にしましょうか」
エマが旅の物資が入ったマジックバッグから革でできた水筒をとりだし、手渡してくれた。素直にうなずき、休憩させてもらうことにする。砂ぼこりをよけるため街道から少しはずれた木の下に腰をおろし、水を飲む。
「お腹すいたわよね? はい、これ夜鳴きの厨房で作らせてもらったの。食べて」
「おにぎりか! ありがとう。おいしそうだ」
紙のような薄さに削った竹の皮で包まれたおにぎりには、潰した梅にみりんやダシをくわえて練った梅びしおが入っていた。夜鳴きでよく食べた味だ。疲れた体に塩分が染みる。
「うまい。しみるわー……」
「うん。おいしいね」
「思ってたより人とすれ違うもんなんだな。旅人っぽい人がたくさんいて驚いたよ。護衛つきの馬車とか、はじめて見た」
「
数十分ほど休憩をとってまた歩き出す。時折、馬に乗った旅人や、荷車を引く商人とすれ違った。空は広く、雲の動きがよく見える。抜けるような快晴だ。ときどき、鳥のさえずりや小動物なのかモンスターなのかわからない鳴き声が響き、肩を震わせる。道ばたには里程標らしき石柱が立っているが、風雨にさらされて文字はぎりぎり判読できる程度に
「サーヌ村……って書いてあるよな。あとどのくらい?」
「半分は超えたわ。順調ね」
「よし! あとひと踏ん張り」
半分終わったと知り、少し肩の荷が下りたような、気が抜けたような気持ちになっておおきく伸びをした。すると背後の森の中からガサガサと音が聞こえ、何かがこちらに近づいてくる気配を感じる。エマが俺のうしろに鋭い目線を向けた。周囲の静けさが急に不穏なものに変わる。
「アマヤ、気をつけて。ゴブリンがいるわ」
「ゴブリン?」
エマが低い声で警告した。俺はついに遭遇してしまったモンスターに戸惑いながらも、エマの横で身構えた。
「ギッ、ギッ」
茂みの中から三匹の、小柄だがしっかりした体躯をした生き物が現れる。肌は緑色で、うろこのようにざらついて見えた。大きな、にごった黄色い目がギラギラと光り、鋭い牙をむき出しにしている。ゴブリン……想像よりもずいぶん迫力があり、たじろぐ。
「ギギギッ!」
甲高い鳴き声を上げながら、三匹のゴブリンは手に持った粗末な武器を振り回してこちらに向かってきた。一匹はこん棒、もう一匹は錆びた短剣、最後の一匹は石を投げる。どの武器も使い古されて簡易的だが、あたれば十分に危険そうだ。
「エマ、どうすればいい?」
「落ち着いて、アマヤ。ゴブリンは数が多いと厄介だけど、これくらいなら何とかなるわ。私が前に出るから、あなたは下がって」
緊張で声を震わせる俺に、エマは冷静に答えた。素早く腰に差していた刀を抜き、ゴブリンたちに向かって構える。
「ギギギッ!」
ゴブリンたちは再び鳴き声を上げ、それぞれの武器を振りかざして攻撃を仕掛けてきた。エマはそれらを軽々とよけて、いちばん近くにいたゴブリンの腹部に一閃を加えた。
「アマヤ、石を投げているやつに気をつけて!」
エマが叫ぶ。俺は言われるままに石を投げるゴブリンに注意を向けながら、戦いを見守った。ゴブリンたちは痛みによろめきながらも、
最後の鳴き声を上げて、ゴブリンは地面に倒れ込んだ。エマが息を吐きながら刀を拭い、俺のほうに振り返る。
「大丈夫? アマヤ」
「あ、ああ。ありがとう、エマ。ごめん、俺なにもできなくて」
エマはほほえみながら頷いた。
「まずは敵を知らなきゃ。無謀に向かっていかなかっただけで満点よ」
始末を終え、俺たちは再び歩き始める。通常のゴブリンからとれる素材は高値で売れないらしく、死体はほうっておくように言われた。エマの頼もしさに感謝しつつ、少しの手助けにもなれない自分が情けない。
そうしながらまたしばらく進んでいると、ふたたび茂みから一匹のゴブリンが飛び出してきた。エマが素早く反応し、ゴブリンの手から武器のこん棒を叩き落とした。釘が打ち込まれており、殺傷能力が高めてある。
「一匹しかいない、いい機会だわ。アマヤ、剣を抜いて」
エマの静かな声に、俺は震える手で短剣を抜いた。はじめて生き物に向ける武器の感触に戸惑い、狙いが定まらない。
「おちついて思いだして。短剣は刺突が基本よ。相手の隙を狙って、素早く突き刺すの」
冷静な指示を聞いているあいだに、ゴブリンが牙をむき出しにして近づいてくる。相手は明確な殺意を俺にむけている。恐怖で足が竦んでしまいそうだった。
「アマヤ、相手の動きをよく見て。 ゴブリンは小柄で素早いわ。動きを予測して」
「……っ!」
エマの声が俺を現実に引き戻す。ゴブリンが飛びかかってきた瞬間、反射的に短剣を突き出した。刃先が緑色の太い腕をかすめる。
「そう、その調子。 でも、刺突は一瞬で。長く構えていると隙ができる」
「わ、わかった!」
ゴブリンが体制をととのえて再び攻撃してくる。こんどは俺も少し落ち着いて対応できた。エマの指示通り、動きを見きわめようとする。
「急所は人間と同じよ。首筋、手首、胸、腹部。狙いやすいところを探して」
エマのアドバイスを頭に入れながら、必死でゴブリンと対峙する。何度か攻防をくり返すうちに、少しずつコツを掴んでいく感覚があった。
「……っ、ここだ!」
最後の一突きで、短剣が緑色の首元に刺さった。いやな感触だった。ゴブリンはゴボッとせきこむような声を上げて倒れ込む。
「や……やった……?」
「やったわ、アマヤ! 」
エマが喜びの声を上げる。息を切らしながら、血だまりをつくるゴブリンの死体を見る。はじめての戦いを終えて、恐怖と達成感が入り混じる不思議な感覚に包まれていた。手がまたかすかに震えはじめる。
「ゴブリンから剣を抜いて、アマヤ」
我に返り、ゴブリンの首元に刺さった短剣に目を向けた。柄をにぎり、力をこめて引っ張る。しかし、いざ抜こうとすると、思いのほか抵抗がある。
「うっ……抜けない」
短剣を引っぱると、ゴブリンの体が一緒に持ち上がってしまう。肉や骨に引っかかっているのかもしれない。
「力任せじゃ、だめ。剣先を少し動かして、抜きやすい角度を探して」
エマが近づいてきて、アドバイスをくれる。言われた通りにしてみるが、それでも焦りのせいか簡単には抜けない。汗が額からしたたり落ちる。血の匂いが強く香り、吐き気を催す。
「落ち着いて、深呼吸して」
背中をさすられて、自分がだいぶ苛立っていることに気付いた。エマの言うとおり目を閉じて深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。今度は剣先の角度を少し変えながら、ゆっくりと力を込めた。
「グチュッ」という不快な音とともに、ようやく短剣が抜ける。とつぜんの解放感に、後ろによろめいた。
「こんなに大変だとは思わなかった……」
ゴブリンの死体から距離をとり、地面に座りこむ。血に染まった短剣を見つめながら、この世界の厳しさをあらためて痛感した。
「最初は誰でもそうよ。でも、これも大事な経験。少しずつ慣れていくから」
「そうだといいけど」
理解を示してくれるのは、自分も同じ経験をしているからだろう。彼女はどれだけこんな思いをしながら、今の強さを手に入れたんだろう。途方もない。
「少し休む?」
「いや、いい。いける。大丈夫」
気を取り直して立ち上がり、バッグから布を取り出して剣をぬぐった。篭手にもいくつかの返り血を見つけ、気が滅入る。これからどれだけこんなふうに返り血を浴びることになるんだろうか。慣れなきゃいけないことだらけだ。