「エマ……! 大丈夫か? 怪我してないか?」
牛鬼が動かなくなったのを確認して、キヨちゃんとミヨちゃんを抱えたままエマに駆けよる。血や内蔵をぶちまけた牛鬼の体はぺしゃんこになり、半分ほどの体積になっていた。
「あ、ここ怪我してるぞ! 水で流さないと……」
エマの太ももの側面に、スライディングの際にできたであろう広範囲の擦り傷があった。たくさんの筋になって血が滲み、小石や土がついて汚れている。早く洗い流してやりたい。キヨちゃんとミヨちゃんを傍におろして、腰から下げていた水筒を手にとる。
「大丈夫よ、これくらいならすぐに治せるから」
そう言って彼女が傷に手をかざすと、やわらかな緑色の光を発して、ささくれ立った肌がみるみる滑らかになっていった。水筒の水で濡らした布で汚れを拭き取ると、もうそこはつるりとした無傷の肌に戻っている。治癒魔法というやつか。ゲームなんかでは当たり前に使われるけど、実際に目にすると感動するな……。
「それより、二人とも!」
エマが眉間にシワを寄せてしゃがみこみ、キヨちゃんとミヨちゃんの顔を交互に見た。
「私、このあいだ言ったばかりだよね? 子供だけで森に近づいちゃだめって!」
人差し指を立てて、言い聞かせるように二人を指さす。キヨちゃんとミヨちゃんは緊張の糸がとけたのか、大粒の涙をこぼしてそんなエマに抱きついた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
「ごめんなさいぃっ……」
こらえていたものが溢れ出す。ワッと声を上げて泣き始めた二人を抱きとめて、エマは困ったような笑みを浮かべた。
「もう……。怪我してない? 痛いところは?」
「だいじょうぶ、怪我してない」
「転んだだけ、痛くないよ」
「アマヤ、あなたはどう?」
「俺もなんともない。エマのおかげだよ、ありがとう」
荒い鼻息を感じるほど近くまで迫っていた牛鬼から、無傷で二人を守れたのは間違いなく彼女のおかげだ。
「そう。みんな無事なら良かった」
「また何か出てきたら大変だし、もう戻ろうか?」
「ちょっとだけ待っていて。牛鬼から魔石を取っていくから」
そう言うとエマは立ち上がって牛鬼の腹のあたりを探りだした。
「魔石?」
「ランクの高いモンスターや、長生きしたモンスターの体内には高確率で魔石があるの。依頼で集めてて……、すぐ終わるから」
ブーツの側面に取り付けられたナイフを取り出し、エマがこちらを振り返る。
「少しグロテスクだから、見せないほうがいいかも」
「あ……ああ。わかった」
キヨちゃんとミヨちゃんを回れ右させて、ついでに俺も背を向ける。背後からなにやらグチャグチャと粘着質な音がした。腹の中を切り開いているんだろうか。これはたしかに子供に見せるのがためらわれる音だ。
「よし。終わり。もう大丈夫」
「見てもいいか?」
エマの手に、布で包まれた何かが乗っている。モンスターからとれる魔石というものを直に見てみたかった。
「もちろん。どうぞ。今日は良いものが取れたわ」
「おお……!」
布をめくると、中から手のひら大の黄色の石がでてきた。ゴツゴツと無骨な形をしているが、少し透き通っていてキラキラ輝いている。とても綺麗だ。あんな強面のモンスターから出てきたものとは思えない。
「すごく綺麗だな。宝石の原石みたいだ」
「これくらいの大きさに育つのに、百年はかかるはずよ。依頼主もきっと喜ぶわ」
「きれー!」
「キラキラしてる!」
キヨちゃんとミヨちゃんも、輝く石を見て声を弾ませている。
「おつかれさま、エマ」
「あなたもね、アマヤ。さあ、帰りましょう」
***
「キヨ! ミヨ!! もう! どうしてアンタたちは心配ばっかりかけるのよ!」
「ほっほ。お前が子供のころもこうじゃったぞ。よく似ておるわ」
夜鳴きにつくと、涙目のルリさんがキヨちゃんとミヨちゃんに飛びついて声をあげた。心配でずっと玄関前で待っていたらしい。おばば様やスタッフも集まってきて、二人の無事を喜んでいる。
「なあ。なんとなく聞くタイミングを逃してたんだけど、あの二人ってルリさんの子なのか?」
「いいえ。キヨちゃんとミヨちゃん、それにルリさんも、早くに親を亡くしておばば様に引き取られたんですって。境遇が似ていて、小さな頃から面倒を見てるから特別にかわいがってるのよ」
「そうだったんだ……。無事に帰せて本当によかった。連れて行ってくれてありがとうエマ」
「私だけの力じゃないわ。あなたがいたから二人を無傷で連れて帰れた。よく頑張ったわね」
「それは、元はと言えば俺のせいみたいなものだし……」
「…………」
キヨちゃんとミヨちゃんがいる時には意識的に避けていた、気まずい空気が流れる。普通に接してくれるエマに甘えていたが、昨日のことをちゃんと謝りたい。怒りにまかせてひどい態度をとった。彼女みたいに心優しい人間が、好きで俺を苦しめたり殺そうとしたりするわけがない。きっと悩んだ末に、ああするしかなかったんだ。
「エマ。場所を変えよう」
「……ええ」
賑やかな夜鳴きを後にして、昨夜エマに連れていかれた竹林への道を歩き出した。今日も夜空に浮かぶランタンが綺麗で、町の人たちの活気のある声が飛び交っている。殺されるにはいい夜かもな、と不思議と穏やかな気分だった。
「昨日のこと、謝っておきたいんだ」
「え……?」
「あんな態度をとって本当にごめん。頭の中がぐちゃぐちゃだったんだ。怒りで我を忘れてた。だからってエマに当たるのは卑怯だったよな。本当にごめん」
「そんな……。思い出したくない記憶を、無理やり呼び覚ましたのは私なのよ。あんなの、怒って当然だわ」
「好きでやってるわけじゃないだろ。君には君の理由がある」
「そうだけど……」
やっぱり優しいんだな、この子は。俺のような訳ありの異世界人なんかに関わらせてしまったことが申し訳ない。迷いや同情なんて感じてしまったら、苦しむのは自分だろうに。
「今夜、俺の記憶を確かめたら
「アマヤ……まって……」
「俺は大丈夫だから。ごめんな、こんな役回りさせて」
「まって、お願い止まって」
エマが俺の前に回り込み、両手で胸を押し返してきた。あきらかに動揺していて、いまにも泣き出してしまいそうな顔をしている。足を止めて彼女の言葉を待った。
「私、もうやりたくない。いいえ。やる必要を感じない」
「……なんで? 確かめなきゃいけないんだろ」
「身を
「きっかけがあれば、人は変わるかもしれないよ」
きっかけ。あの怒りは俺を変えるには十分だ。どんなに努力して真面目に生きていたって、悲しみや怒りは思わぬところからやってくる。回避しようがないきっかけに出会ったとき、俺がこの世界にとって無害な人間で居続けられると証明できない。この子が後悔するような事になってしまったら――
「それでも、私はあなたを信じる。ごめんね。本当はもっと早く言ってあげたかった」
「……エマ……」
「あなたが召喚されてくる少し前に、別の村で事件があったの。ヘリオンの扉から召喚された人間が、村の人たちを全滅させたのよ。それで……どうしてもあなたが危険な人じゃないか確かめたかった」
「村を、全滅させた……?」
エマが思い詰めていた原因はそれか。それなら、ずいぶん不安な思いをさせただろうな。やっぱりヘリオンの扉から召喚されてくるのは、そんな力と残忍さを併せ持った人間ばかりなのか? 俺にそんな事ができるか? できないと言いたい。ちゃんと確かめたい。
「エマ、俺は知りたい。自分が何をしたか思い出したい。それには君の協力がいる」
「……だって、もし……」
「頼む」
エマは俺が折れないと察すると、悲しそうにうつむいた。
「……わかった」